第4章 第117話 もう一つの黒い魔石
「……ユウトお兄ちゃん」
街道脇で足を止めたフィーナが、白い耳を伏せた。
「前に嗅いだのと、似てる」
王国東部へ入って半日。報告にあった襲撃地点は、もう近い。
ユウトは周囲へ視線を巡らせた。
「黒い魔石が出た魔物と同じ匂い?」
「たぶん。でも、黒いのそのものを嗅いでるのかは分かんない。魔物とか血とか土に残ってる、嫌な匂いが似てるの」
「分かった。それなら、匂いだけで発生源だとは決めないでおこう」
「うん!」
最初に異変を確認した森から、ここまでは馬車でも何日も離れている。
同じ現象なら、一つの森から魔物が移動しただけでは説明しにくい。
だが、まだ結論を出すには早かった。
「見つけました」
エリシアが前方を指す。
街道脇に荷車が横倒しになっていた。
片輪は外れ、側板は大きくへこんでいる。荷袋や木箱が散乱し、地面にはまだ乾ききっていない血痕が残っていた。
ユウトが【鑑定】する。
【状態:大破】
【破損原因:獣型魔物による複数回の衝撃】
【付着物:獣型魔物の血液】
【異質魔力反応:微量】
「反応がある」
「血に付着していたものが移った可能性もありますね」
エリシアが答える。
「周囲そのものに広がっているとは、まだ言えません」
「人の匂い、こっち!」
フィーナが藪へ飛び込んだ。
血痕は途中で途切れていたが、彼女は迷わない。
ユウトには見えない痕跡を、白狼族の嗅覚が拾っている。
少し進んだ木の根元で、護衛らしい男が二人倒れていた。
「すぐに治療しますね」
セレスがしゃがみ込む。
一人は太腿、もう一人は肩を負傷していた。
ユウトが脚を負傷した男を【鑑定】する。
【状態:右大腿部裂傷・出血・衰弱】
【主要血管損傷:なし】
【毒:なし】
【異質魔力汚染:なし】
「大きな血管は無事。異質魔力も入ってない」
「ありがとうございます」
セレスはすぐには回復魔法を使わなかった。
まず止血し、水で傷口を洗う。
「傷を閉じるのは最後です。土が入ったまま塞いだら悪化することがありますから」
それから回復魔法を重ねた。
ユウトなら【鑑定】結果を確認してから治療手順を組み立てる。
セレスは傷を見た瞬間に、何を優先するべきか判断していた。
「魔物の血を浴びましたか?」
「腕に……少しだけだ」
「そちらも後で確認しますね」
「商人たちは?」
ユウトが尋ねると、肩を負傷した護衛が森の奥を指した。
「逃がした……護衛が二人ついてる。だが魔物が追った」
「何体?」
「八体だ。三体は倒した。けど……変だった」
男の顔が強張る。
「仲間が斬られても逃げねえ。腹が裂けても、こっちへ来やがった」
フィーナの耳が伏せる。
最初の森で見た魔物と同じ特徴だった。
「フィーナ、追える?」
「追えるよ!」
ユウトは負傷者を見る。
「セレスは治療を続けて。レティシア、ここをお願い」
「任せな!」
レティシアは壊れた荷車へ歩み寄る。
「側板を外して壁にする。ついでに車輪も戻せるだけ戻しとくよ。怪我人を運ぶ足がないんじゃ困るからな」
「助かる」
ユウト、フィーナ、アイリス、エリシアの四人が森へ走った。
ほどなく剣戟の音が聞こえる。
「前!」
木々の向こうで、三体のグレイファングが二人の護衛を追い詰めていた。
その背後には商人たちがいる。
ユウトが【鑑定】する。
【種族:グレイファング】
【危険度:E】
【状態:異常興奮】
【体内異質魔力:中濃度】
【痛覚反応:著しく低下】
【恐怖反応:低下】
【異質魔力発生源:――――】
「前の個体と同じ傾向だ!」
「承知いたした!」
アイリスが一体へ踏み込む。
鋭い斬撃が肩から胸へ走った。
本来なら逃走してもおかしくない傷だ。
だが魔物は一歩も退かなかった。
血を流しながら、そのまま商人へ飛び掛かろうとする。
「まだ動く!」
ユウトが叫ぶ。
「倒れたかじゃなく、動けなくなったかで判断して!」
「承知!」
アイリスはすぐに踏み直し、今度は急所を断った。
エリシアが商人たちの前へ結界を展開する。
二体目が激突した。
牙が折れても止まらない。
何度も頭を打ちつける。
「これは……正常な生存行動ではありませんね」
エリシアの声から、普段の眠たげな響きが消えていた。
ユウトが風魔法で脚を断ち、アイリスが止めを刺す。
三体目も同様だった。
傷を負っても逃げず、最後まで商人へ向かおうとする。
戦闘そのものは短い。
《アカシックレコード》にとってE級魔物三体は強敵ではない。
問題は、強さではなかった。
「怖がらないって、こんなに変なんだね……」
フィーナが倒れた魔物を見つめる。
「うん。生き物なら普通は、自分が死ぬほどの傷を避けようとする」
三体から取り出した魔石は、すべて中心が黒く濁っていた。
ユウトが一つを【鑑定】する。
【異質魔力:検出】
【性質:既知の黒色変質魔石と極めて高い類似性】
【発生源:――――】
エリシアが静かに息を吐いた。
「距離を考えると、最初の森からこの個体群が移動してきた可能性は低いですね」
「別の場所にも、同じ原因があるかもしれない」
「その可能性は上がりました。ただし、まだ断定はできません」
ユウトは頷いた。
その時、フィーナが森の奥へ顔を向ける。
「また変な匂い」
「どっち?」
「こっち。でも……向こうにも少しある」
エリシアも目を閉じた。
「私は異質魔力を別方向に感じます」
フィーナが首を傾げる。
「違うの?」
「匂いと異質魔力が、同じ場所を示していないということですね」
ユウトは二人が見ている方向を比べた。
一つの巣。
一体の魔物。
一か所の土地。
そのどれかだけを追えば終わる問題ではないのかもしれない。
まだ仮説だ。
だからこそ、記録する価値がある。
◇
負傷者の元へ戻ると、レティシアは荷車の側板を組み直し、簡易の囲いを作っていた。外れた車輪も応急的に固定されている。
「これなら町までは持つだろ」
「治療も終わりました」
セレスが立ち上がる。
「二人とも異質魔力汚染は確認されませんでした。ただ、念のため今日は安静です」
現地支部へ引き継ぐ準備をしていると、馬を走らせたギルド職員がやってきた。
「《アカシックレコード》の皆さん! 王都から伝言です!」
封書には、商業ギルドからの至急相談が記されていた。
木札や木片芝居の粗悪な模倣品で、子どもが怪我をしたという。
広がったからこそ生まれた、別の問題だった。
ユウトは封書をしまい、もう一方の袋へ目を落とす。
中には、最初の森から遠く離れた土地で得た、三つの黒い魔石。
偶然ではない。
そう断言するには、まだ早い。
けれど――偶然だと片づけるには、同じ異常が重なりすぎていた。
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