第1章 第11話 森から来た脅威
折れた木の幹が、重い音を立てて地面へ倒れた。
ユウトの【ライト】が照らす範囲の外側で、枝葉が激しく揺れている。何かが茂みを避けることなく、太い枝を身体で押し潰しながら進んでいた。
逃げていったホーンウルフや森猪とは、足音の重さがまるで違う。一歩ごとに、畑の柔らかな土まで震えている。
「全員、柵から離れるな」
グレンが低く命じた。
「姿を確認するまで攻撃するな。狙う場所も俺が指示する」
村人たちは震える声で返事をし、槍や斧、農具を握り直した。村の魔法使いも杖を構えているが、【ライト】を長く維持した影響で呼吸が浅い。
ユウトは光球を少しだけ高く動かした。
白い光が木々の隙間へ差し込む。
最初に現れたのは、太い前脚だった。
黒褐色の毛に覆われた脚が土を踏む。続いて現れた頭部には熊に似た耳と口吻があり、額からは岩のような突起が幾つも盛り上がっていた。
四足で歩いているにもかかわらず、背中は村の柵を越えている。
「岩鎧熊だ……」
グレンの声がかすれた。
「森の深い場所にいる魔物だ。なぜ、ここまで下りてきた」
ユウトはすぐに【鑑定】を使った。
【種族:岩鎧熊】
【危険度:E】
【推定生存年数:十一年】
【状態:興奮・空腹・左眼損傷・縄張り喪失】
【特徴:魔力によって硬質化した皮膚と体毛を持つ】
【行動傾向:進路上の障害を排除・負傷により攻撃性上昇】
【弱点:右眼・口腔内・脇腹・四肢関節部】
【注意:正面からの斬撃および刺突は硬質皮膚に阻まれます】
額を覆う岩のような突起は、本物の石ではない。皮膚と毛が魔力によって硬く変質したものだった。
村人たちの槍では、正面から傷を与えることさえ難しい。
「正面の皮膚は硬くなっています! 目や口以外を槍で突いても通りません!」
「どうして分かるんだ?」
近くの村人が振り返った。
「説明は後です。今はグレンさんの指示に従ってください!」
岩鎧熊が鼻を鳴らした。
血と泥で汚れた口元から白い息が漏れる。左眼は潰れていたが、残った右眼はユウトの光をまっすぐ見ていた。
「光を少し下げろ」
グレンが告げる。
「眩しさで刺激するかもしれん」
ユウトは【ライト】を後方へ下げた。
それでも岩鎧熊は立ち止まらない。作物を踏み潰しながら、ゆっくりと柵へ近づいてくる。
「村の向こうへ抜けるつもりか?」
村人の一人が呟いた。
岩鎧熊の鼻先が左右へ動く。逃げた魔物の方角ではなく、家畜の鳴き声が聞こえるたびに柵の内側へ向いていた。
「違います。空腹で、家畜の匂いを追っています」
岩鎧熊が口を開き、腹の底へ響く咆哮を上げた。
家々の奥から家畜の悲鳴と、子どもの泣き声が聞こえる。
岩鎧熊が地面を蹴った。
「来るぞ!」
グレンが矢を放つ。
右眼を狙った矢は、岩鎧熊が顔を振ったことで額の硬い皮膚へ当たり、音を立てて弾かれた。
「荷車を固定しろ! 終わった者から退避しろ!」
村人たちは柵の内側へ置いた荷車の車輪へ木片を噛ませ、縄を別の柱へ結びつけた。最後の一人が走って離れた直後、岩鎧熊が柵へ激突した。
轟音が響く。
柱が軋み、横木が内側へ大きく曲がった。荷車は車輪を浮かせながらも、辛うじて柵を支えている。
【名称:ラト村外周柵】
【状態:破損進行】
【耐久評価:限界】
【注意:次回の突進により倒壊する可能性が極めて高い】
「次は持ちません!」
岩鎧熊が土を掻きながら数歩後退する。
もう一度、突進するつもりだ。
「全員、正面から散れ!」
グレンが叫んだ。
「柵を破られても家の間へ誘い込むな! 建物ごと壊される!」
村人たちは負傷者を支え、岩鎧熊の進路から離れていく。
しかし、このままでは村の中へ侵入される。
その先には、武器を持たない者や子どもたちがいる。
ユウトは周囲を見回した。
傾いた柵。固定された荷車。水路。柔らかな畑の土。散乱する廃材。
利用できるものを探しても、あの巨体を確実に止められる手段は見つからない。
「グレンさん。右眼を潰せば止められますか?」
「止まらん。見えなくなれば、手当たり次第に暴れる」
「脚の関節なら?」
「矢は刺さっても浅い。一射で走れなくするのは無理だ」
「なら、わしが止める」
村の魔法使いが前へ出た。
「残っている魔力で何をするつもりだ!」
「光を出すしか能がないと思うたか」
老人は杖を両手で握り、岩鎧熊へ向けた。
ユウトは反射的に【鑑定】を使う。
【所持装備:蓄魔の杖】
【蓄積魔力:3】
老人の身体に残る魔力だけではない。杖の内部に蓄えられていた魔力が引き出され、同じ流れへ合流していく。
その魔力は【ライト】とは異なる術式へ組み上げられていた。
熱を生み出す。
火属性へ変換する。
圧縮し、球状に保つ。
老人が息を吸い込んだ。
「赤き炎よ、我が敵を焼け――ファイアボール!」
杖の先から、人の頭ほどの火球が放たれた。
【魔法名:ファイアボール】
【属性:火】
【階級:初級】
【消費MP:6】
【効果:圧縮した炎を射出し、接触地点を燃焼させます】
【発動条件:魔力操作・火属性変換・術式形成・発動意思】
【威力低下要因:水属性干渉・高水分環境・魔力拡散】
【習得判定:再現可能】
火球は岩鎧熊の顔へ直撃した。
炎が弾け、黒褐色の毛を包み込む。岩鎧熊が咆哮し、突進を中断した。太い前脚で地面を叩き、燃える顔を激しく振り回す。
「効いたぞ!」
村人から声が上がる。
しかし、ユウトの【鑑定】には別の情報が表示された。
【損傷:軽微】
【硬質毛皮により熱を分散】
【状態変化:激昂】
通常の【ファイアボール】は、接触地点から炎を広げて対象を焼く魔法だ。だが、岩鎧熊の硬い毛皮は広がる熱を分散し、内部へ届く前に威力を弱めている。
炎が消えた。
焦げた毛の下から、わずかに赤くなっただけの皮膚が現れる。
「倒せていません!」
老人の杖が手から滑り落ちた。
魔力を使い果たした身体から力が抜け、その場へ膝をつく。
【現在MP:0/19】
【蓄魔の杖・蓄積魔力:0】
【状態:魔力枯渇・疲労・頭痛・身体能力低下】
岩鎧熊が残った右眼で、炎を放った老人を捉えた。
鼻先が家畜小屋から外れ、老人へ向く。
【行動対象変更:攻撃を与えた対象を優先】
激昂した岩鎧熊が姿勢を低くした。
「老人を下げろ!」
グレンが矢を放つが、硬い肩へ当たって弾かれる。
村人二人が老人の腕を取った。
だが、間に合わない。
ユウトの視界には、老人が使った【ファイアボール】の術式が鮮明に残っていた。
魔力操作。
火属性への変換。
熱の圧縮。
球状の維持。
射出方向の決定。
【解析上達により、火属性魔法術式への理解が補助されます】
【魔法上達により、属性変換への理解が補助されます】
人間の肉体で再現できる既存魔法。
習得は可能だ。
だが、同じように毛皮へ当てても止められない。
炎を広げるのではなく、火球を小さく保ち、熱を一か所へ集中させる。別の魔法を作るのではない。【ファイアボール】の形と威力配分を、可能な範囲で調整する。
狙うべき場所は、硬い毛皮に覆われていない右眼か、開いた口の中。
ユウトは【ライト】への魔力供給を止めた。
光球が消え、畑が角灯だけの薄暗さへ戻る。
「何をしている!」
「魔力を攻撃に使います!」
老人が地面へ膝をついたまま、目を見開いた。
「まさか、今の魔法を……」
ユウトは右手を前へ伸ばす。
岩鎧熊が地面を蹴った。
巨体が老人たちへ向かって突進する。
ユウトは胸の奥から魔力を引き出し、たった今見たばかりの火属性術式を組み上げ始めた。
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