第4章 第101話 遊びなら、もう一度
翌朝、宿の食堂に置かれた大きな机には、昨夜作った木札が並んでいた。
ただし、使うのは四枚だけだ。
「肉、宿、水、火」
フィーナが一枚ずつ指差す。
「今日はこれだけ?」
「まずは他の人にも試してもらいたいからね」
ユウトが答えると、フィーナの白い耳がぴくりと動いた。
「フィーナが教える!」
「昨日覚えたばかりでござろう」
「だから教えられるんだよ!」
自信満々に胸を張るフィーナを見て、アイリスがわずかに笑った。
昨夜の試遊では、絵を見ながら札を取っているうちに、フィーナは「肉」という文字を覚えた。その後には自分から「宿を覚えたい」と言い、何度も札を取るうちにそちらも読めるようになっている。
だが、フィーナ一人が覚えられただけでは、この方法が誰にでも使えるとは分からない。
「実際に試してもらって、分かりにくいところを探しましょう」
エリシアはすでに記録用の紙を用意していた。
「問題があれば直せばいいさ」
レティシアも腕を組む。
そこへ朝食を運んできた宿の女将が、机を覗き込んだ。
「朝から何を始めるつもりだい?」
「文字の遊び!」
フィーナが肉の札を持ち上げる。
「見て! これ、肉!」
「へえ。読めるようになったのかい?」
「うん! こっちは宿!」
「昨日まで宿帳を見ただけで眠そうにしてたのにねえ」
「それは勉強だったから!」
「同じ文字だろうに」
女将が笑う。
その会話を聞いていた若い従業員が、配膳の手を止めた。
「それ……字が読めない人でもできますか?」
「もちろん!」
フィーナが即答する。
だが従業員はすぐには近づかなかった。
「私、自分の名前と数字くらいしか読めなくて。料理の注文札も、よく出るものは文字の形を丸ごと覚えてるだけなんです」
ユウトはその言葉に目を向けた。
「形で?」
「はい。これが煮込み、これがパンって。読めてはいないんですけど、見慣れてるから区別できるだけで」
なるほど、とユウトは思う。
意味を知っている形なら、文字として読めなくても覚えられる。
昨夜フィーナが絵と文字を結び付けたのと、少し似ている。
「やってみませんか?」
「でも……」
従業員は周囲を気にするように声を落とした。
「今さら字を習うなんて、子どもじゃあるまいって笑われたことがあって……」
「じゃあ勉強しなければいいよ!」
フィーナが言った。
「え?」
「遊ぶの! フィーナも勉強は嫌いだけど、これなら楽しかったよ!」
「……遊びなら?」
「うん!」
フィーナが隣の椅子を引く。
「一緒にやろ!」
従業員は迷った末、小さく頷いた。
「じゃあ……少しだけ」
ユウトは四枚の札を机に並べた。
肉には肉の絵。
宿には建物。
水には水差し。
火には炎。
「最初は絵を見て取って大丈夫です。俺が言ったものに合う札を取ってください」
「分かりました」
「フィーナも参加する!」
「フィーナは二枚読めるから、最初は待ってあげて」
「むう……」
「初心者との勝負では、相手が動きを覚えるまで待つのも大切でござる」
アイリスが言う。
「拙者も剣を習い始めた頃は、同じ構えを何度も間違えた。最初からできる者などおらぬよ」
従業員が少しだけ笑った。
「冒険者さんでもですか?」
「当然でござる」
「じゃあ、やってみます」
ユウトが読み上げる。
「水」
従業員の手が迷い、やがて水差しの絵がある札へ伸びた。
「これ?」
「正解です」
次は火。
これも取れた。
宿も、建物の絵を見て選べた。
「肉!」
「はいっ!」
今度だけは、我慢できなかったフィーナが先に叩いた。
「フィーナ!」
「だって肉だよ!?」
食堂に笑いが起きた。
その声に誘われ、近くで朝食を取っていた作業着姿の男と、年配の女性まで机へ近づいてくる。
「俺もやっていいか?」
「私も混ぜてもらおうかね」
参加者が増えたため、ユウトは二人ずつ交代で遊ぶことにした。
何度か繰り返してから、絵を隠して文字だけにする。
そこで問題が起きた。
「水」
年配の女性の手が止まる。
「……こっちかい?」
「それは火です」
「あら」
次も間違えた。
その次も、文字だけになると迷う。
「やっぱり駄目だねえ。年を取ってからじゃ覚えられないのかね」
「そんなことはないでござる」
アイリスがすぐに答えた。
「一度で覚えられぬから、繰り返すのでござる。拙者も新しい型は百回でも千回でも振る」
「千回?」
「必要ならば」
「それはちょっと真似できないねえ」
女性が苦笑する。
ユウトは札を見つめた。
フィーナには同じ方法が通じた。
だが全員が同じ速度で覚えられるわけではない。
「一度に四枚でも多い人がいるのかも」
「二枚ずつから始めますか?」
セレスが提案する。
「それに、絵を隠すのが少し早かったかもしれません」
「そうだね」
ユウトは火と水だけを残した。
「今度はこの二枚だけにしましょう」
「それなら何とかなるかね」
「間違えても大丈夫です」
再び始める。
絵を見て取る。
文字も見る。
もう一度。
また取る。
数回後、絵を伏せた。
「火」
年配の女性の指が迷いながら、一枚へ伸びる。
「……こっち」
「正解です」
「おや」
女性自身が驚いた。
「今のは読めたのかい?」
「はい」
「もう一回やっておくれ」
ユウトはエリシアを見る。
彼女はすでに紙へ何か書き込んでいる。
「人数だけでなく、一度に使う札の枚数も調整した方が良さそうですね」
「覚える速さは人によって違うからね」
「絵を外す時期も変えた方がいいでしょう」
セレスも頷く。
「できない人を遊び方へ合わせるのではなく、遊び方をその人へ合わせるんですね」
「うん。その方が続けてもらえそうだ」
やがて若い従業員の番が回ってきた。
今度は文字だけの札が二枚置かれる。
「宿」
指先が止まる。
彼女は二枚を見比べ、片方を取った。
「……宿」
「正解です」
「読めた……」
小さく呟いたあと、顔を上げる。
「もう一回やっていいですか?」
「もちろん」
「私も!」
年配の女性も手を挙げた。
「今度は水を覚えるよ」
「じゃあフィーナも!」
「フィーナ殿は参加しすぎでござる」
「楽しいんだもん!」
木札を叩く音が再び食堂へ響き始める。
しばらくして、従業員が宿の札を迷わず取った。
「宿!」
「正解!」
フィーナが自分のことのように喜ぶ。
従業員は札を握ったまま、少し考えた。
「次は……食堂って読めるようになりたいです」
「フィーナも!」
「あなたは食べる場所ばかりでござるな」
「大事だから!」
笑い声の中、ユウトは新しい木札を一枚手に取った。
最初の試作品は、もう少し作り直す必要がある。
けれど、それは失敗ではなかった。
遊んだ人が「もう一度」と言い、自分から次の文字を選んでいる。
ユウトは木札へ、新しい文字を書き始めた。
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