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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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7/16

第7話 加護は、どこへ行ったのか

その秋、

リントの町は、

珍しく、豊作だった。


「こんなに採れた年は、

ここ何年も、なかったよ」


市場の女将たちは、

口々に、そう言った。


痩せた辺境の土地で、

作物がよく実るのは、

めったにないことらしい。


「お天道さまの、気まぐれだねえ」


誰かが、そう言って笑った。


私も、

最初は、そう思っていた。


ただの、

めぐり合わせだろう、と。



けれど、

それだけでは、なかった。


長く咳の止まらなかった老人が、

いつのまにか、けろりと治っていた。


産み月の近かった町の女が、

驚くほど、安らかに、

子を産んだ。


夏の終わりから涸れかけていた、

教会の裏の井戸が、

また、こんこんと、水を湛え始めた。


ひとつひとつは、

偶然と言えば、偶然だった。


けれど、

それが、いくつも重なると、

人は、

意味を、探したくなる。


「なあ、エルナさん」


ある日、

パン屋の主人が、

真顔で、私に言った。


「あんたが来てから、

町が、なんだか、

いい風になった気がするんだ」


私は、

首を振った。


「私は、何も……」


「いや。

気のせいかもしれん。

けど、皆、そう言ってる」


エルナ様が来てから。


その言葉が、

町に、

少しずつ、広がっていた。


私は、

それを、

否定も、肯定も、

しなかった。


できなかった、

と言うほうが、

正しいのかもしれない。


なぜなら、

私自身、

分からなかったからだ。


聖印は、返した。


加護は、

セシリアに、移ったはずだった。


それなのに、

なぜ。



その夜、

私は、マレンに、

そっと、尋ねた。


「マレン。

加護とは……

聖印に、宿るものなのでしょうか。

それとも――」


マレンは、

煎じていた薬草から、

ゆっくりと、顔を上げた。


その目が、

いつもより、

少しだけ、深く見えた。


「面白いことを、聞くのね」


「面白い?」


「ええ。

ねえ、エルナ。

この土地にはね、

古い、言い伝えがあるの」


マレンは、

火にかけた鍋を、

そっと、かき混ぜながら、

語り始めた。


「昔々、

役割を捨てた、ひとりの聖人が、

この辺境に、流れ着いたそうです。


その人は、

何の力も、肩書きも、

持っていなかった。


ただ、静かに、

この土地で、暮らした。


すると、

不思議なことに、

聖人がいるあいだ、

作物はよく実り、

病は癒え、

水は、涸れなかった――と」


私は、

息を、のんだ。


それは、

今、町に起きていることと、

あまりにも、

よく似ていた。


「その聖人は、

力を、誇らなかった。

人を、救おうともしなかった。

ただ、いただけ。


それでも、

土地は、応えた。


――加護というのはね、エルナ」


マレンは、

火を見つめたまま、

静かに、言った。


「役割や、印に、

宿るものではないのかもしれない。


その人、そのものに、

宿るものなのかも、しれませんよ」


その言葉が、

私の中に、

ゆっくりと、

落ちていった。


その人、そのものに。


もし、それが、本当なら。


聖印を返しても、

加護は――


「……でも」


私は、

言いかけて、

口をつぐんだ。


たとえ、

そうだったとしても。


私は、

もう、

それを、取り戻したいとは、

思わなかった。


聖女の座も、

加護も。


今の私には、

町の人が握らせてくれる、

傷もんの根菜のほうが、

ずっと、

温かかった。


「マレン」


「なあに」


「私は、

ただ、ここにいても、

いいのでしょうか」


マレンは、

やっと、火から目を上げて、

私を見た。


そして、

皺だらけの顔で、

やわらかく、笑った。


「言ったでしょう。


この土地はね、

役割を手放した人に、

優しいんですよ」


鍋の中で、

薬草が、

ことこと、と、

小さく、音を立てていた。


その音だけが、

夜の教会に、

静かに、響いていた。


本話をお読みいただき、ありがとうございました。


加護は、どこへ行ったのか。

その問いが、静かに立ちのぼります。


けれど、エルナは、

それを「取り戻そう」とは思わない。

この物語の、大切な芯です。


次話「戻ってほしい、とは言われたけれど」では、

王都から、ひとりの使者が訪れます。


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