第7話 加護は、どこへ行ったのか
その秋、
リントの町は、
珍しく、豊作だった。
「こんなに採れた年は、
ここ何年も、なかったよ」
市場の女将たちは、
口々に、そう言った。
痩せた辺境の土地で、
作物がよく実るのは、
めったにないことらしい。
「お天道さまの、気まぐれだねえ」
誰かが、そう言って笑った。
私も、
最初は、そう思っていた。
ただの、
めぐり合わせだろう、と。
◇
けれど、
それだけでは、なかった。
長く咳の止まらなかった老人が、
いつのまにか、けろりと治っていた。
産み月の近かった町の女が、
驚くほど、安らかに、
子を産んだ。
夏の終わりから涸れかけていた、
教会の裏の井戸が、
また、こんこんと、水を湛え始めた。
ひとつひとつは、
偶然と言えば、偶然だった。
けれど、
それが、いくつも重なると、
人は、
意味を、探したくなる。
「なあ、エルナさん」
ある日、
パン屋の主人が、
真顔で、私に言った。
「あんたが来てから、
町が、なんだか、
いい風になった気がするんだ」
私は、
首を振った。
「私は、何も……」
「いや。
気のせいかもしれん。
けど、皆、そう言ってる」
エルナ様が来てから。
その言葉が、
町に、
少しずつ、広がっていた。
私は、
それを、
否定も、肯定も、
しなかった。
できなかった、
と言うほうが、
正しいのかもしれない。
なぜなら、
私自身、
分からなかったからだ。
聖印は、返した。
加護は、
セシリアに、移ったはずだった。
それなのに、
なぜ。
◇
その夜、
私は、マレンに、
そっと、尋ねた。
「マレン。
加護とは……
聖印に、宿るものなのでしょうか。
それとも――」
マレンは、
煎じていた薬草から、
ゆっくりと、顔を上げた。
その目が、
いつもより、
少しだけ、深く見えた。
「面白いことを、聞くのね」
「面白い?」
「ええ。
ねえ、エルナ。
この土地にはね、
古い、言い伝えがあるの」
マレンは、
火にかけた鍋を、
そっと、かき混ぜながら、
語り始めた。
「昔々、
役割を捨てた、ひとりの聖人が、
この辺境に、流れ着いたそうです。
その人は、
何の力も、肩書きも、
持っていなかった。
ただ、静かに、
この土地で、暮らした。
すると、
不思議なことに、
聖人がいるあいだ、
作物はよく実り、
病は癒え、
水は、涸れなかった――と」
私は、
息を、のんだ。
それは、
今、町に起きていることと、
あまりにも、
よく似ていた。
「その聖人は、
力を、誇らなかった。
人を、救おうともしなかった。
ただ、いただけ。
それでも、
土地は、応えた。
――加護というのはね、エルナ」
マレンは、
火を見つめたまま、
静かに、言った。
「役割や、印に、
宿るものではないのかもしれない。
その人、そのものに、
宿るものなのかも、しれませんよ」
その言葉が、
私の中に、
ゆっくりと、
落ちていった。
その人、そのものに。
もし、それが、本当なら。
聖印を返しても、
加護は――
「……でも」
私は、
言いかけて、
口をつぐんだ。
たとえ、
そうだったとしても。
私は、
もう、
それを、取り戻したいとは、
思わなかった。
聖女の座も、
加護も。
今の私には、
町の人が握らせてくれる、
傷もんの根菜のほうが、
ずっと、
温かかった。
「マレン」
「なあに」
「私は、
ただ、ここにいても、
いいのでしょうか」
マレンは、
やっと、火から目を上げて、
私を見た。
そして、
皺だらけの顔で、
やわらかく、笑った。
「言ったでしょう。
この土地はね、
役割を手放した人に、
優しいんですよ」
鍋の中で、
薬草が、
ことこと、と、
小さく、音を立てていた。
その音だけが、
夜の教会に、
静かに、響いていた。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
加護は、どこへ行ったのか。
その問いが、静かに立ちのぼります。
けれど、エルナは、
それを「取り戻そう」とは思わない。
この物語の、大切な芯です。
次話「戻ってほしい、とは言われたけれど」では、
王都から、ひとりの使者が訪れます。
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どうぞ、よろしくお願いいたします。




