第58話 静かな、結婚式
教会の扉が、開いた。
古い長椅子は、磨き上げられて、飴色に光っていた。
そこに、町中の人が、座っていた。
女将が、パン屋の主人が、蜂蜜屋が、木工の年寄りたちが、子どもらが。
セシリア様とヨナス様が。
母が。
みんな、晴れ着というほどでもない、いちばん上等の普段着で、みんな、同じ顔で笑っていた。
祭壇の前に、ユリウスが立っていた。
仕立ての良い、けれど飾りのない、深い灰色の衣。
私と目が合うと、彼は、一度だけ、大きく息を吸った。
◇
「はなよめさんの、おとおりー!」
ニコが、精一杯の声で叫びながら、私の前を歩いた。
小さな籠から、花びらが撒かれていく。
庭の花と——今朝の、あの木の白い花びらだった。
花の道を、私は、ゆっくりと歩いた。
長椅子の顔が、ひとつずつ、目に入った。
初めての収穫祭で、スープをよそってくれた女将。
言い伝えで道を照らしてくれたマレン。
雪の日に泣きながら来て、今日は晴れやかに笑っているセシリア様。
記録を記録のとおりに積んだ、生真面目なヨナス様。
祝いパンを何十回も試作したリーゼル。
二十年ぶんの答えをくれた、母。
この教会に、私の一年と、私のこれからが、ぜんぶ、座っていた。
◇
祭壇の前で、マレンが、静かに言った。
「長い祈りは、いたしません。この町の式は、昔から、短いのです。……働き者の式ですからね」
小さな笑いが、椅子を渡った。
「誓いの言葉だけ、いただきましょう。……ユリウス」
ユリウスは、私に向き直った。
寡黙な人の、精一杯の言葉を、私はもう、たくさん知っている。
だから、長い言葉は、いらなかった。
「……ユリウスとして、誓う」
彼は、言った。
「領主としてでも、家の当主としてでもなく。……俺として、お前と生きる。この先の、ぜんぶを」
「エルナ」
マレンが、私を見た。
私は、彼を見上げた。
一年あまり前、無言で薪を置いていった人。
見え透いた口実を、積み上げ続けた人。
洗い物をしていただけの私を、見つけてくれた人。
「……承知、いたしました」
私は、言った。
教会に、小さな、あたたかい笑いが満ちた。
みんな、知っているのだ。
その言葉が、私のどんな言葉よりも、深い「はい」であることを。
「では」
マレンが、両手を広げた。
「この町の、祈りの家の名において。……ふたりは、夫婦です」
◇
若枝の環の隣に、細い銀の環が、そっと重ねられた。
町の鍛冶が打った、飾りのない、小さな環。
「若枝は、いつか、朽ちる」
ユリウスが、囁いた。
「だから、朽ちない方も、隣に」
「ふふ……欲張りですね」
「ああ。……初めて、欲張った」
顔を上げると、鐘が鳴った。
教会の古い鐘が、町中に、高く、明るく、鳴り渡った。
「「「おめでとう!!」」」
歓声と、拍手と、ニコの撒いた最後の花びらが、いちどに降ってきた。
◇
扉の外は、収穫祭だった。
祭の輪の真ん中に、私たちは、手を引かれていった。
去年、よそ者だった私が、初めて輪に入れてもらった、あの広場。
今日は、その輪のいちばん真ん中で、スープの椀を掲げる。
「エルナさん! いや——奥方様!」
女将が、豪快に笑った。
「どっちで呼べばいいんだい!」
「エルナで、お願いします」
私は、笑って答えた。
「これからも、ずっと、エルナで」
「よし来た! エルナさんに、乾杯!」
「乾杯!!」
椀と椀のぶつかる音が、秋晴れの空に、いくつも、いくつも、響いた。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
長い祈りのない、働き者の町の、短い式。
「ユリウスとして、誓う」
「承知、いたしました」
若枝の環の隣に、朽ちない銀の環。
そして式のあとは、そのまま収穫祭の輪の真ん中へ。
「どっちで呼べばいいんだい!」
「エルナで、お願いします」
次話「エルナの、まま」——
祭の夕暮れに、この物語がずっと問うてきたことの、答え合わせをします。
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