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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第56話 ふたつの、返事

秋が、深まっていった。


畑の豆は莢ごと乾されて、蔵に積まれた。


森は日ごとに色を変え、朝の空気には、薄く、霜の匂いが混じり始めた。


収穫祭まで、あと十日。


町のおせっかいは、いよいよ仕上げに入っていた。



「参ります!!」の勢いのまま、セシリア様の手紙は、続きも賑やかだった。


「大聖儀より、緊張しております。

何を着てまいればよいのでしょう。

白い衣は、務めの装いですから、違う気がするのです。


ヨナス様に相談しましたら、

『友人の装いで行かれるのがよろしいでしょう』と。


私、務めの外の装いというものを、

ほとんど、持っていないことに気がつきました。


生まれて初めて、旅支度に、わくわくしております。


追伸。

辺境の教会が「祈りの家」であることと、

私がエルナ様の式に参ることは、なんの関わりもございません。

これは、聖女ではなく、友人のセシリアが、参るのです」


「ふふ……」


読みながら、頬がゆるんだ。


役割ではなく、友人として。


あの方は、もう、その区別を、自分の足で歩ける人になっていた。



母からの荷が届いたのは、その数日後だった。


荷馬車から降ろされたのは、大きな木箱がひとつ。


開けてみると、丁寧に布で包まれた品々が、几帳面に納められていた。


婚礼の細々とした支度の品。

王都の上等な糸と布。

茶葉と、菓子と、庭の花の種。


そして、いちばん奥に。


小さな、古い箱があった。


私は、それを、そっと開けた。


中には、一本の櫛が、納められていた。


飴色に艶の出た、古い、木の櫛。


歯のひとつが、少しだけ、欠けている。


添えられた文には、母の細い文字で、こう書かれていた。


「エルナへ。


それは、あなたのおばあさまの、櫛です。


母の持ち物は、ほとんど残っておりません。

祈りのお礼にいただいた品々は、母が、皆、困っている人に配ってしまいましたから。


その櫛だけが、母が最後まで手放さなかった、たったひとつの持ち物です。


なんの変哲もない、田舎の木の櫛です。

けれど母は、祈りで疲れて帰った夜、その櫛で髪を梳きながら、よく歌をうたっていました。


祈りの人ではなく、ただのひとりの人に戻る時間が、

母には、その櫛の時間だけ、だったのだと思います。


婚礼の朝に、あなたの髪に、挿してあげてください。


役割ではなく、ただの人として、

いちばん幸せな日を迎える孫娘を、

母に、見せてあげてください」



私は、櫛を手のひらに載せて、長いあいだ、見つめていた。


会ったことのない、祖母。


善意と敬いに使い潰された人。


その人が、ただのひとりの人に戻れた、櫛の時間。


「……見ていてくださいね」


私は、櫛に、そっと言った。


「あなたの孫は、役割ではなく、ただのエルナとして、嫁ぎます。……あなたの娘が、守り抜いてくれた道の、いちばん先で」


窓の外では、町の広場に、祭の櫓が組み上がっていくところだった。



そして、収穫祭の前日。


町の入り口に、二台の馬車が、相次いで到着した。


一台からは、旅装のセシリア様と、ヨナス様。


「エルナ様ーっ!」


もう、フードで顔を隠す必要のない当代の乙女は、馬車から降りるなり、子どものように手を振った。


もう一台からは——母が、降り立った。


初めて見る、旅装の母。


母は、町を、教会を、集まってきた人々を、ゆっくりと見渡した。


そして、駆け寄った私の手を取って、囁くように言った。


「……良い町。あなたの手紙の、とおりね」


明日は、収穫祭。


そして、式の日だった。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


祈りの人ではなく、ただのひとりの人に戻る時間が、

櫛の時間だけだった、おばあさま。


その櫛が、孫娘の婚礼の朝に、立ち会います。


使い潰された人の物語が、

いちばん幸せな日に、ようやく報われるのです。


次話「白百合の、咲く朝」——

式の朝、庭で、静かな奇跡が待っています。


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