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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第54話 承知、いたしました

「承知、いたしました」


私は、言った。


夕暮れの丘の上で、まっすぐに、彼の目を見て。


ユリウスが、一瞬、固まった。


「……いや、その」


彼は、めずらしく、うろたえた。


「それは、その……務めとして受ける、という意味の」


「いいえ」


私は、首を振った。


そして、気づけば、笑いながら、泣いていた。


「違うのです。……聞いてください」



「その言葉を、私は、何千回も言ってきました」


涙の向こうで、彼の顔が、揺れて見えた。


「命じられて、承知いたしました。決められて、承知いたしました。聖女におなりなさいと言われても、明日は遠い町で祈りなさいと言われても、あなたはもう要らないと言われても——承知、いたしました」


声が、震えた。


「心を、どこにも置かない言葉でした。何を言われても傷つかないように、心より先に、口が言う言葉。……役割の、言葉でした」


「……ああ」


「けれど」


私は、涙を拭って、彼を見上げた。


「いま、生まれて初めて、この言葉が、心の真ん中から出てきたのです。あなたの隣に居ることを、私の全部が、承知している。喜んで、承知している。……だから」


私は、両手を、差し出した。


「承知、いたしました。ユリウス様。……喜んで、あなたの妻に、なります」



若枝の環が、私の指に、そっと通された。


少し、大きかった。


「……すまん。寸法が、分からなかった」


「ふふ。ふふふ」


「笑うな」


「だって」


私は、環のはまった自分の手を、夕陽にかざした。


若葉が、指の上で、小さく揺れた。


宝石よりも、金の細工よりも、この世のどんな指輪よりも、きれいだった。


「……きれいです。とても」


「そうか」


「はい」


「……そうか」


ユリウスは、それだけ言って、空を仰いだ。


その目元が、赤いのは、夕陽のせいだけでは、ないようだった。


それから彼は、おそるおそる、というふうに、手を伸ばして。


私を、そっと、抱き寄せた。


薪の匂いがした。


森と、畑と、この町の匂いだった。


「……長かった」


頭の上で、くぐもった声がした。


「ずいぶん、かかった」


「ふふ。……口実の分だけ、遠回りでしたね」


「ああ。……だが」


彼は、言った。


「遠回りの分だけ、覚えている。全部だ。薪の日も、林檎の日も、豆の日も。……お前が笑った顔を、全部」


胸の奥で、ことり、と、最後にひとつ、大きな音がした。


そして、その音は、もう、鳴り止む必要がなくなった。



丘を降りる頃には、月が出ていた。


つないだ手の、彼の指は、少しだけ、まだ緊張していた。


「あの、ユリウス様」


「なんだ」


「このこと、皆には、いつ」


「そうだな。……まず、マレン殿には、俺から」


「ええ。それから、母にも、文を」


「ああ。……順番に、ちゃんとやろう」


そんな話をしながら、町の入り口まで来て。


私たちは、同時に、足を止めた。


広場に、灯りがついていた。


たくさん、ついていた。


そして、その灯りの下に——町中の人が、集まっていた。


女将が、リーゼルが、パン屋の主人が、ニコが、マレンが。


全員が、こちらを見て、にこにこと、にやにやと、笑っていた。


「「「…………」」」


「おめでとう!!」


夜空に、町中の声が、はじけた。


「ちょ……皆さん、どうして」


「どうしてもこうしてもあるかい!」


女将が、豪快に笑った。


「領主様が丘の上で待ってるなんて話、ニコが町中に触れ回ってるんだ! あとはもう、見てりゃ分かるさ!」


「僕、言っちゃだめだった!?」


「でかしたよ、ニコ!」


リーゼルが、ニコを抱え上げて、くるくる回った。


「ほら、ふたりとも、こっちへ! 今夜は町中で宴だよ!」


ユリウスが、私を見た。


耳まで真っ赤な顔で、それでも、彼は、笑っていた。


「……騒がしい町だ」


「ええ」


私も、笑った。


涙が、また、こぼれた。


「世界一、あたたかい町です」

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


何千回も言わされてきた、役割の言葉が。


人生でいちばん、自分の言葉になりました。


「承知、いたしました。……喜んで」


寸法の分からなかった若枝の環と、

口実ぶんの遠回りと、

町中の「おめでとう」。


次話「町中の、おせっかい」では、

式の支度が、本人たちを置いて、どんどん進みます。


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