第54話 承知、いたしました
「承知、いたしました」
私は、言った。
夕暮れの丘の上で、まっすぐに、彼の目を見て。
ユリウスが、一瞬、固まった。
「……いや、その」
彼は、めずらしく、うろたえた。
「それは、その……務めとして受ける、という意味の」
「いいえ」
私は、首を振った。
そして、気づけば、笑いながら、泣いていた。
「違うのです。……聞いてください」
◇
「その言葉を、私は、何千回も言ってきました」
涙の向こうで、彼の顔が、揺れて見えた。
「命じられて、承知いたしました。決められて、承知いたしました。聖女におなりなさいと言われても、明日は遠い町で祈りなさいと言われても、あなたはもう要らないと言われても——承知、いたしました」
声が、震えた。
「心を、どこにも置かない言葉でした。何を言われても傷つかないように、心より先に、口が言う言葉。……役割の、言葉でした」
「……ああ」
「けれど」
私は、涙を拭って、彼を見上げた。
「いま、生まれて初めて、この言葉が、心の真ん中から出てきたのです。あなたの隣に居ることを、私の全部が、承知している。喜んで、承知している。……だから」
私は、両手を、差し出した。
「承知、いたしました。ユリウス様。……喜んで、あなたの妻に、なります」
◇
若枝の環が、私の指に、そっと通された。
少し、大きかった。
「……すまん。寸法が、分からなかった」
「ふふ。ふふふ」
「笑うな」
「だって」
私は、環のはまった自分の手を、夕陽にかざした。
若葉が、指の上で、小さく揺れた。
宝石よりも、金の細工よりも、この世のどんな指輪よりも、きれいだった。
「……きれいです。とても」
「そうか」
「はい」
「……そうか」
ユリウスは、それだけ言って、空を仰いだ。
その目元が、赤いのは、夕陽のせいだけでは、ないようだった。
それから彼は、おそるおそる、というふうに、手を伸ばして。
私を、そっと、抱き寄せた。
薪の匂いがした。
森と、畑と、この町の匂いだった。
「……長かった」
頭の上で、くぐもった声がした。
「ずいぶん、かかった」
「ふふ。……口実の分だけ、遠回りでしたね」
「ああ。……だが」
彼は、言った。
「遠回りの分だけ、覚えている。全部だ。薪の日も、林檎の日も、豆の日も。……お前が笑った顔を、全部」
胸の奥で、ことり、と、最後にひとつ、大きな音がした。
そして、その音は、もう、鳴り止む必要がなくなった。
◇
丘を降りる頃には、月が出ていた。
つないだ手の、彼の指は、少しだけ、まだ緊張していた。
「あの、ユリウス様」
「なんだ」
「このこと、皆には、いつ」
「そうだな。……まず、マレン殿には、俺から」
「ええ。それから、母にも、文を」
「ああ。……順番に、ちゃんとやろう」
そんな話をしながら、町の入り口まで来て。
私たちは、同時に、足を止めた。
広場に、灯りがついていた。
たくさん、ついていた。
そして、その灯りの下に——町中の人が、集まっていた。
女将が、リーゼルが、パン屋の主人が、ニコが、マレンが。
全員が、こちらを見て、にこにこと、にやにやと、笑っていた。
「「「…………」」」
「おめでとう!!」
夜空に、町中の声が、はじけた。
「ちょ……皆さん、どうして」
「どうしてもこうしてもあるかい!」
女将が、豪快に笑った。
「領主様が丘の上で待ってるなんて話、ニコが町中に触れ回ってるんだ! あとはもう、見てりゃ分かるさ!」
「僕、言っちゃだめだった!?」
「でかしたよ、ニコ!」
リーゼルが、ニコを抱え上げて、くるくる回った。
「ほら、ふたりとも、こっちへ! 今夜は町中で宴だよ!」
ユリウスが、私を見た。
耳まで真っ赤な顔で、それでも、彼は、笑っていた。
「……騒がしい町だ」
「ええ」
私も、笑った。
涙が、また、こぼれた。
「世界一、あたたかい町です」
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
何千回も言わされてきた、役割の言葉が。
人生でいちばん、自分の言葉になりました。
「承知、いたしました。……喜んで」
寸法の分からなかった若枝の環と、
口実ぶんの遠回りと、
町中の「おめでとう」。
次話「町中の、おせっかい」では、
式の支度が、本人たちを置いて、どんどん進みます。
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どうぞ、よろしくお願いいたします。




