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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第51話 夏の、リント

夏の名残りの、よく晴れた日だった。


川では、ニコと子どもたちが、今年最後の水遊びに興じていた。


「エルナねえちゃん、見てて!」


ニコが石の上から飛び込んで、盛大な水しぶきを上げる。


「上手ですよ」


私は岸辺で、洗い物をしながら笑った。


畑では豆の莢が膨らみ、森の蜂の巣箱は蜜の甘い匂いを放ち、町は冬支度にはまだ早い、いちばん穏やかな季節の中にいた。


神殿の垣根も、王都の思惑も、もう、ない。


あるのは、洗い物と、豆と、蜂蜜と、子どもの歓声だけ。


なんて、豊かなのだろう。



その帰り道、私は蜂蜜屋の前で、女将とリーゼルに呼び止められた。


「エルナさん、ちょっと味見していきなよ。今年の初物だ」


「まあ。では、少しだけ」


匙でひとくち。


夏の花の香りが、口いっぱいに広がった。


「おいしい……」


「だろう? 今年のは、格別でねえ」


女将は、にんまりと笑った。


「格別といえば、エルナさん。あんた最近、うちの領主様を見たかい」


「ユリウス様、ですか? ここ数日は、お見えになりませんけれど」


「だろうねえ」


「だろうねえ、って」


リーゼルと女将は、顔を見合わせて、実に楽しそうに笑った。


「いやあ、ねえ?」


「ねえ?」


「あの、おふたりとも……?」


「なんでもないさ。ほら、蜂蜜、ひと瓶持っていきな。おまけだよ」



数日ぶりにユリウスの姿を見たのは、その翌日、教会の窓からだった。


彼は、教会には来なかった。


代わりに、マレンが畑の隅で、彼と何やら立ち話をしていた。


ユリウスは、腕を組んで、難しい顔をしている。


マレンは、それは穏やかに、何度も頷いている。


やがてユリウスは、深々と頭を下げて——領主が、シスターに、深々と——足早に帰っていった。


「……マレン?」


夕方、私は思いきって訊いてみた。


「ユリウス様と、何のお話をなさっていたのですか」


「ん? ああ」


マレンは、こともなげに言った。


「懺悔ですよ」


「ざ、懺悔!? ユリウス様が、何か悪いことを」


「まあ、悪いこと、といいますか」


マレンは、笑いをかみ殺した。


「いい大人が、まだ言えずにいる言葉がある、というのは、罪といえば、罪ですかねえ」


「……?」


「こちらの話です。さ、夕餉にしましょう」



その夜、私は寝台の中で、天井を見つめていた。


近いうちに、話がある。


あの日から、ユリウスは、教会に来ない。


口実の、薪も、林檎も、蜂蜜も、ぱたりと、止まった。


来ないと、来ないで。


こんなにも、落ち着かない。


「……いつの間に」


私は、毛布を、少しだけ引き上げた。


いつの間に、私は、あの見え透いた口実たちを、こんなにも、待つようになっていたのだろう。


胸の奥で、ことり、ことり、と、音がしていた。


静かな夜に、その音だけが、妙に大きく聞こえた。



そして、数日後の朝。


教会の戸口に、ニコが駆け込んできた。


「エルナねえちゃん! あのね、領主様が!」


「ユリウス様が、どうかしましたか」


「あのね、夕方、丘の上の、大きな木のところに、来てほしいって!」


ニコは、言伝の大役に、頬を紅潮させていた。


「それでね、えっとね……『手ぶらで来る』って!」


「……手ぶらで?」


「うん! 『今日は、口実がない』って、言ってた!」

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


大きな話がぜんぶ終わった町で、

小さな企みが、すくすく育っています。


女将とリーゼルの含み笑い。

マレンへの「懺悔」。

そして、ぱたりと止まった、口実の品々。


——『今日は、口実がない』。


次話「役割でなく、俺として」。

夕方の丘で、生まれてから今日までぶんの言葉が、語られます。


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