↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/60

第50話 敬意を、残して

夏の終わりの、風の澄んだ日だった。


教会の前に、一台の馬車が停まった。


漆黒の車体。

金の飾り。


辺境の町には、あまりに場違いな、王都仕立ての馬車。


降りてきた人は、旅の埃ひとつ感じさせない立ち姿で、優美に一礼した。


「ご機嫌よう、エルナ様」


レオンハルト・カイだった。



「……先触れもなく、非礼をお許しください。なに、長居はいたしません」


彼は、教会には入らず、前庭に立ったまま言った。


その視線が、ふと、庭の畑と、干してある洗濯物と、ニコが置き忘れた木剣を、順に辿った。


「なるほど。……これが、あなたの選んだ場所ですか」


「はい」


私は頷いた。


「ようこそ、リントへ」


「ふ。……敵地でも、ようこそと仰る」


「敵地では、ありませんから」


そのとき、教会の裏手から、足音がした。


ユリウスだった。


畑仕事の途中だったのだろう、袖をまくった普段着のまま、彼は無言で私の隣に立った。


レオンハルトは、その姿に目を細めた。


「これは、フォン・リント卿。……領主自ら、畑を?」


「余っていたからだ」


「何が、です」


「手が」


レオンハルトは、一瞬きょとんとして、それから、ほんとうに小さく、噴き出した。


私が初めて見る、作り物ではない笑いだった。



「本日は、ふたつ、お伝えに参りました」


彼は、姿勢を正した。


「ひとつ。カイ家は、先の縁組みの申し入れを、正式に撤回いたします。以後、あなたに、いかなる申し入れもいたしません。……当主たる私の名において、決めたことです」


「……はい」


「ふたつ。これは、伝えるというより、白状ですが」


彼は、少しのあいだ、言葉を選んだ。


「私は、生まれてこのかた、人を測って生きてまいりました。血筋、家格、才、美質、使い道。……測って、値をつけて、並べる。それが私の役目であり、才であり、誇りでした」


夏の終わりの風が、庭の木々を、さらさらと鳴らした。


「あなたを初めて測ったとき、私の物差しは、こう言いました。最上の血、最上の加護、しかるに立場は空位。これほど値打ちのある駒が、野に落ちている、と」


「ええ。そういう目を、しておいででした」


「でしょうな」


彼は、苦笑した。


「ですが、あなたと出会ってこのかた、私の物差しは、狂いっぱなしです。座を惜しまぬ聖女。血の話を退ける令嬢。値打ちを告げるほど、遠ざかる人。……挙げ句、あの小さな庭で、あなたの母君と、あなたに」


彼は、首を振った。


「私は、白状します。あなたを、測れませんでした。私の物差しには、あなたの目盛りが、ないのです」


「レオンハルト様」


私は、静かに言った。


「それは、あなたの物差しが、壊れているのではありません」


「ほう」


「人は、そもそも、測るものでは、ないというだけです」


彼は、長いあいだ、私を見ていた。


やがて、ゆっくりと、頷いた。


「……その理屈を認めるには、私は少々、この生き方が長すぎました。ですが」


彼は、庭の隅に目をやった。


あの木の根元で、白百合の芽が、風に揺れていた。


「測れないものが、あるということだけは。……覚えて、帰ります」



彼は、馬車に戻りかけて、足を止めた。


そして、ユリウスに向き直った。


「フォン・リント卿」


「なんだ」


「あなたは、良いものを測り当てた」


ユリウスは、少しのあいだ黙って、それから、静かに答えた。


「……測ったわけじゃない」


「ええ」


レオンハルトは、微笑んだ。


「それが、私との、違いです」


彼は、完璧な角度の礼を、最後にもう一度だけして、馬車に乗り込んだ。


車輪の音が、遠ざかっていく。


漆黒の馬車は、夏の終わりの街道を、王都へ向かって、小さくなっていった。


もう、振り返らなかった。


私たちも、追わなかった。


「……行ったな」


「ええ」


「これで、全部か」


「はい」


私は、頷いた。


神殿の垣根も、王都の思惑も、血の値段も。


私をどこかへ引き戻そうとするものは、この世界から、ひとつ残らず、なくなった。


「これで、全部です」


空は高く、風は澄んで、秋の匂いが、もう、混じり始めていた。


隣で、ユリウスが、小さく息を吸った。


何かを、言いかけて。


「……いや」


やめて、それから、思い直したように、言った。


「エルナ。……近いうちに、話がある」


「はい?」


「近いうちに、だ」


そう言って、彼は、耳を赤くしたまま、畑へ戻っていった。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


人を測り続けた人が、

「測れなかった」と白状しに、遠い辺境まで来ました。


あなたは、良いものを測り当てた。

——測ったわけじゃない。

ええ。それが、私との、違いです。


これで、エルナを引き戻そうとするものは、

世界から、ひとつ残らず、なくなりました。


そして——「近いうちに、話がある」。


次話「夏の、リント」から、

物語は、いよいよ、ご褒美の季節に入ります。


ブックマーク・評価、

どうぞ、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。