第5話 王都からの、短い手紙
その手紙が届いたのは、
辺境に来て、半月ほど経った頃だった。
町に立ち寄った行商人が、
「王都から、預かってきた」と、
一通の封書を、教会に届けてくれた。
差出人の名は、
書かれていなかった。
けれど、封蝋に押された紋を見て、
私は、すぐに分かった。
神殿のものだった。
◇
封を開けると、
便箋は、たった一枚だった。
短い、けれど、
ひどく乱れた筆跡で、
こう書かれていた。
『どうして、何も言い返してくれなかったのですか。
あなたが、本当に身を引くなんて、
思っていませんでした。
私は、本物の聖女なのでしょうか。
――セシリア』
私は、その手紙を、
しばらく、見つめていた。
セシリア・モート。
私に代わって、神託を受けた、
次代の聖女。
会ったことは、ほとんどない。
神殿で、すれ違ったことが、
数えるほど、あるだけだ。
たしか、
私より、いくつか年下の、
線の細い少女だった。
その彼女が、
なぜ、私に。
◇
手紙の文字は、
震えていた。
責めているのでは、なかった。
むしろ、その逆だ。
彼女は、
怯えていた。
聖女の座に、
たったひとりで立たされて。
私は、それが、
痛いほど分かった。
聖女とは、
立っているだけで、
重いものだ。
皆が、加護を期待し、
皆が、完璧を望む。
その重さを、
彼女は今、
ひとりで、背負っている。
かつての、
私のように。
私は、
ペンを取った。
何を書くべきか、
少し、迷った。
慰めの言葉も、
励ましの言葉も、
きっと、軽すぎる。
だから、私は、
ただ、本当のことを書いた。
『言い返さなかったのは、
あなたを責める理由が、
私にはなかったからです。
本物かどうかは、
私には分かりません。
けれど、ひとつだけ。
聖女の座は、
重いものです。
もし、その重さに、
押しつぶされそうなときは、
どうか、誰かに、
頼ってください。
ひとりで、
背負わなくて、いいのです。
――エルナ』
聖印を返した私に、
言えることは、
それくらいしか、なかった。
封をして、
行商人に託す。
手紙が、
小さくなっていくのを、
私は、見送った。
責めるでもなく、
取り戻そうとするでもなく。
ただ、
重さを知る者として、
一言だけ。
それで、よかったのだと思う。
◇
その日の夕方、
私は、井戸のそばで、
ぼんやりと、空を見ていた。
セシリアのことを、
考えていたわけではない。
ただ、
自分が手放したものの大きさを、
今さらながら、
少しだけ、感じていた。
「……何か、あったのか」
声に振り向くと、
ユリウスが立っていた。
今日は、
口実すら、持っていなかった。
ただ、
通りかかった、という顔をして。
「いいえ」
私は、首を振った。
「少し、昔のことを、
思い出していただけです」
ユリウスは、
私の隣に立ち、
同じように、空を見上げた。
しばらく、
ふたりとも、黙っていた。
けれど、
その沈黙は、
居心地の悪いものでは、
なかった。
「……人は」
ユリウスが、
ぽつりと言った。
「過去を、
無理に断ち切らなくていい。
そう、思う」
「え?」
「ただ、
そこに置いておけばいい。
背負わずに」
その言葉に、
私は、ユリウスを見た。
彼は、
こちらを見ていなかった。
ただ、
遠い空の、
夕焼けの色を、
じっと見つめていた。
その横顔に、
私は、ふと、
気づいた。
この人も、
何か、置いてきたものが、
あるのかもしれない、と。
「ありがとうございます」
私が言うと、
ユリウスは、
少しだけ、肩を揺らした。
「……何も、言っていない」
「いいえ」
私は、微笑んだ。
「言ってくださいました」
夕焼けが、
ゆっくりと、
町を、橙色に染めていく。
ユリウスとの距離が、
ほんの一歩、
縮まった気がした。
それは、
言葉ではなく、
同じ空を見上げた、
その時間の分だけ、だった。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
セシリアの、震える手紙。
そして、エルナの、静かな返事。
責めることも、奪い返すこともしない。
エルナという人の芯が、
少しでも伝わりましたら、嬉しいです。
次話「薪と、林檎と、名前のない好意」では、
辺境の人々の優しさが、
じわじわと、エルナを包んでいきます。
ブックマーク・評価も、
どうぞ、よろしくお願いいたします。




