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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第4話 何も望まないという贅沢

辺境での暮らしは、

驚くほど、単純だった。


朝、教会を掃き、

花を替え、

町の人の話を聞き、

祈り、

日が暮れたら、眠る。


それだけの一日。


王都にいた頃の私なら、

きっと、物足りなく感じただろう。


聖女の務めは、

分刻みで詰まっていた。


儀式、謁見、視察、慈善。


一日の終わりには、

何をしたのか思い出せないほど、

疲れていた。


けれど、ここでは違う。


何もない一日の終わりに、

私は、確かに「生きていた」と感じる。


不思議なことだった。



マレンは、

薬草の煎じ方を、少しずつ教えてくれた。


「これはね、咳に効くの。

こっちは、傷の腫れに」


枯れた指が、

乾いた草を、丁寧により分ける。


私は、その手元を、

じっと見つめていた。


「覚えられそう?」


「はい。……でも」


「でも?」


「私に、できるでしょうか。

加護も、もう、ありませんし」


そう言うと、

マレンは、手を止めて、

おかしそうに笑った。


「加護がなくちゃ、

人の役に立てないと思っているの?」


「……いえ、そういうわけでは」


「あのね、エルナ」


マレンは、

私の手に、乾いた草を一束、握らせた。


「薬草は、誰が煎じても効くんですよ。

聖女でも、ただのシスターでも。

大事なのは、

その人のことを、ちゃんと思って煎じるかどうか。

それだけ」


その言葉が、

妙に、胸に残った。


私は、ずっと、

「聖女である自分」にしか、

価値がないと思ってきた。


加護があるから、

人は私を頼り、

私は、人の役に立てる。


聖印を返したとき、

私は、その価値も一緒に、

返したのだと思っていた。


けれど、もしかしたら――


握らされた薬草の、

かさり、という乾いた感触を、

私は、しばらく確かめていた。



午後、

教会の扉が、控えめに叩かれた。


開けると、

ユリウスが立っていた。


今日は、手に、

布で包んだ何かを持っている。


「……これを」


差し出されたのは、

焼きたてのパンだった。


まだ、ほんのり温かい。


「町のパン屋が、焼きすぎたと言うので」


「焼きすぎ……ですか」


「ああ。余ったものだ。

捨てるのも、もったいない」


私は、その「口実」が、

あまりに見え透いていることに、

気づいてしまった。


パン屋が、領主にわざわざ余り物を渡し、

領主が、それをわざわざ教会まで運ぶ。


そんな偶然が、

そうそう、あるだろうか。


けれど、私は、

何も言わなかった。


「ありがとうございます。

いただきます」


そう答えると、

ユリウスは、ほっとしたように、

小さく頷いた。


「……無理は、していないか」


「無理?」


「慣れない土地だ。

気を張っているのではないかと」


その問いに、

私は、少しだけ、間を置いた。


「いいえ」


正直な答えだった。


「私は、ここに来て、

初めて、気を張らずにいられます」


ユリウスは、

意外そうに、私を見た。


「ここは、

何もない土地だが」


「ええ」


私は、微笑んだ。


「何もないことが、

私には、ちょうどいいのです」


ユリウスは、

しばらく、何か言いたそうにしていた。


けれど、結局、

「……そうか」

とだけ言って、

背を向けた。


「それなら、いい」


去り際の、その背中が、

ほんの少しだけ、

柔らかく見えたのは、

気のせいだろうか。



その夜、

私は、ユリウスのパンを、

スープに浸して食べた。


素朴な、けれど、

じんわりと旨い味だった。


窓の外では、

辺境の夜が、

ゆっくりと更けていく。


王都にいた頃、

私は、夜が来るのが、

少しだけ、怖かった。


明日の務めを思うと、

眠りが、浅くなった。


けれど、今は、

明日が来るのが、

ほんの少し、楽しみだった。


何もない明日。

誰にも望まれない、

ただの一日。


その「何もなさ」が、

私には、

何よりの贅沢だった。


――このまま、静かに過ごせばいい。


そう思った、そのときだった。


ふと、

神殿の、白百合のことを思い出した。


本のあいだに挟んだ、

あの一輪は、

今ごろ、どうなっているだろう。


私は、

本を取り出し、

ページを、そっと開いた。


白百合は、

少し色を失いながらも、

まだ、その形を保っていた。


過去の、

ただひとつの、

自分で選んだもの。


私は、それを、

しばらく見つめてから、

静かに、本を閉じた。


本話もお読みいただき、ありがとうございました。


見え透いた口実で、

パンを届けにくるユリウス。


彼の不器用さが、

少しでも微笑ましく思えましたら、

嬉しいです。


次話「王都からの、短い手紙」では、

エルナのもとに、

思いがけない便りが届きます。


ブックマークや評価も、

どうぞ、よろしくお願いいたします。


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