第46話 ただいまの、代わりに
馬車が最後の丘を越えると、リントの町が見えた。
初夏の緑に包まれた、小さな町。
川が光り、畑が広がり、教会の古い屋根が、木々のあいだから顔を出している。
「……帰ってきましたね」
「ああ」
隣で、ユリウスが頷いた。
そのときだった。
丘の下から、鐘の音が聞こえた。
教会の鐘だった。
刻限でもないのに、二つ、三つ、明るく鳴っている。
「見張りの子どもだな」
ユリウスが、口の端を上げた。
「馬車が丘を越えたら、鳴らす約束だったんだろう」
◇
町の入り口には、人だかりができていた。
「エルナねえちゃん!」
真っ先に飛び出してきたのは、ニコだった。
勢いのまま、私の腰に、どん、とぶつかってくる。
「おかえり! おかえりなさい!」
「ニコ……ふふ、ただいま」
「約束どおり、帰ってきた!」
「ええ。約束どおり」
その後ろから、リーゼルが、女将が、パン屋の主人が、町の人たちが、次々に集まってきた。
「おかえりなさい、エルナさん!」
「王都はどうだった? 疲れたろう」
「今夜は広場で宴だよ! もう支度してあるんだ!」
口々の「おかえり」に囲まれて、私は、うまく言葉が出てこなかった。
一年前、私はこの町に、よそ者として着いた。
今日は、帰ってきた。
出迎えの真ん中で、マレンが、静かに微笑んでいた。
「おかえりなさい、エルナ」
「……はい」
私は、深く、頷いた。
「ただいま、帰りました」
言葉にした途端、目の奥が、じん、と熱くなった。
ただいま。
なんて、あたたかい言葉だろう。
◇
その夜の広場は、賑やかだった。
宴といっても、豪勢なものではない。
持ち寄りのスープと、リーゼルの焼いたパンと、初夏の果物。
それで、十分すぎた。
「で、王都の麦はどうでした!?」
「粒が細くて、けれど粉の挽きが細かくて……」
「ふんふん、それで?」
リーゼルは、麦の話を、宝物の話のように聞いた。
ニコは木彫りの燕を握りしめて離さず、マレンは王都の茶葉の包みを、大事そうに撫でた。
「大聖儀の話を、聞かせておくれよ」
女将に促されて、私は話した。
ひとりで祈りの座に着いた、若い乙女の話。
涸れかけた噴水が、水を噴き上げた朝の話。
町の人たちは、自分のことのように、誇らしげに頷いた。
「そりゃあ、あの子だ。冬にうちの町へ来た、あの子だろう」
「立派になったもんだねえ」
セシリア様は、この町でも、ちゃんと「あの子」だった。
役割ではなく、雪の日に泣きながら訪ねてきた、ひとりの女の子として、覚えられていた。
それが、たまらなく、嬉しかった。
◇
宴が終わる頃、私は少しだけ、広場を抜けた。
月明かりの下、屋敷の庭に寄って、あの木を見上げる。
芽吹きの季節を過ぎた木は、緑の葉を、豊かに茂らせていた。
根元では、白百合の芽が、ひと回り、背を伸ばしていた。
「ただいま」
私は、木と、芽に、そっと言った。
「……行ってきました。ずいぶん、遠くまで」
王都のことを、母のことを、二十年の答えのことを。
いつか、この根元で、ゆっくり話そう。
◇
数日後。
日常が戻り始めた教会に、王都からの早馬が、一通の文を届けた。
差出人は、ヨナス様。
急ぎの文字で、短く、こう記されていた。
「王都評議会、神殿に対し、聖女交代の経緯について、正式の諮問を開始。
私は、記録係として、これに臨みます。
——真実を、真実のとおりに」
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
刻限でもない鐘と、町総出の出迎え。
よそ者として着いた町に、
エルナは今日、「ただいま」を言って帰ってきました。
そして王都では、静かに、大きなものが動き始めます。
評議会の、正式の諮問。
次話「評議会の、問い」では、
遠い王都の是正が、便りとなって届きます。
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