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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第41話 母の、お茶会

返事は、その日のうちに書いた。


書き出しに、ずいぶん迷った。


お母様、と書くには、遠すぎた。

侯爵夫人様、と書くには、冷たすぎた。


結局、私はどちらも書かず、ただ一行、こう返した。


「お会いします。場所と日時を、お報せください」



指定されたのは、貴族街の外れの、小さな庭だった。


侯爵家の屋敷ではなかった。


古い知人に借りたという、名も知らぬ家の、猫の額ほどの庭。


石の卓がひとつ。

椅子がふたつ。


そして、そこに、母が座っていた。


「……」


「……」


二十年ぶりに見る母は、記憶より、ずっと小さかった。


黒に近い、地味な衣。

結い上げた髪には、白いものが増えていた。


けれど、背筋だけは、記憶のままに、まっすぐだった。


「……来て、くれたのですね」


母が、立ち上がった。


その声を聞いた瞬間、分かった。


ああ。


この声だ。


幼い日、廊下の向こうから聞こえていた声。

神殿へ発つ朝、最後に「お行きなさい」と言った声。


「お久しゅうございます」


私は、丁寧に礼をした。


それ以外の言葉が、ひとつも出てこなかった。



お茶が、注がれた。


母の手つきは、静かで、少しだけ、震えていた。


「……大きく、なりました」


「はい」


「元気で、いましたか」


「はい。……お陰さまで」


会話は、それきり、途切れた。


庭の隅で、小鳥が鳴いた。


私は茶器を見つめていた。


訊きたいことは、山ほどあった。


なぜ、私を手放したのですか。

なぜ、一度も会いに来てくださらなかったのですか。

なぜ、手紙の一通も——。


二十年、胸の底に埋めてきた問いたち。


けれど、いざ目の前に母がいると、そのどれもが、喉の奥で、石のように動かなかった。


「……辺境は」


先に口を開いたのは、母だった。


「良い、ところですか」


「はい」


私は顔を上げた。


「良いところです。冬は長くて、厳しいですけれど。春の芽吹きは、王都のどこよりも、きれいです」


「そう」


母は、目を細めた。


「あなたが、その、辺境で……穏やかに暮らしていると、風の便りに聞いて。それだけを、支えにしておりました」


支えに。


その言葉に、私の胸の奥が、小さく軋んだ。


支えにするほど、私を、気にかけていた?


それなら、なぜ——。


問いが、また喉元まで上がってきて、また、沈んだ。



母は、何度か、口を開きかけた。


「あの……エルネスティーネ。いえ」


言い直した。


「……エルナ、と。今は、そう名乗っているのですね」


「はい」


「良い、名前です」


「町の子が、最初に呼んでくれた名です」


「そう。……そう」


母は頷いて、また、言葉を探した。


「私は、あなたに……いえ」


やめた。


「あの家は、その……いえ、これも、違う」


やめた。


言いかけては、やめる。


そのたびに、母の指が、卓の上で、所在なく動いた。


私は、その指を見ていた。


そして、気づいた。


母もまた、二十年ぶんの言葉の重さに、押しつぶされそうになっているのだと。


どこから話しても、言い訳になる。

どこから話しても、遅すぎる。


それが分かっているから、この人は、何度も、言葉を呑み込んでいる。


「……お母様」


気づけば、私は、そう呼んでいた。


二十年、口にしなかった呼び名だった。


母の肩が、小さく、跳ねた。


「私は、責めるために、来たのではありません」


私は、静かに言った。


「知るために、来ました。……ですから、どうか。順番も、言い訳も、気になさらず。話しやすいところから、お話しください」


母は、長いあいだ、私を見つめていた。


その目に、ゆっくりと、涙の膜が張っていくのが分かった。


けれど母は、泣かなかった。


背筋を、もう一度まっすぐに伸ばして、彼女は言った。


「では……あなたの、おばあさまの話を」


「祖母、の」


「ええ」


母は頷いた。


「私の、母の話です。すべては、そこから始まったのですから」

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


二十年ぶりの母娘は、

お茶が冷めるまで、ほとんど話せませんでした。


言いかけては、やめる。

どこから話しても、遅すぎるから。


それでも、最後にエルナが渡したのは、

責める言葉ではなく、「話しやすいところから」でした。


次話「使い潰された、加護」では、

祖母の物語——「持て余した」の本当の意味の、前半が語られます。


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