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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第39話 ふたりの聖女、ふたたび

大聖儀の、前夜だった。


街は宵まで賑わい、大神殿の白い塔には、清めの灯がともっていた。


私は宿の部屋で、窓の外のその灯を、静かに眺めていた。


明日、あの塔の下で、セシリア様が、ひとりで祈りの座に着く。


「どうか」


私は、小さく呟いた。


祈りの言葉は、それ以上、続けなかった。


あの方に必要なのは、私の祈りではなく、あの方自身の祈りなのだから。



そのとき、扉が、控えめに叩かれた。


「エルナ様。お客様です」


帳場の主人の声に、私は首を傾げた。


こんな時刻に?


階下へ降りると、土間の隅に、フードを目深にかぶった、小柄な人影がふたつ、立っていた。


ひとつの影が、フードの下から、そっと顔を上げた。


その顔を見た瞬間、私は言葉を失った。


「……お久しゅうございます、エルナ様」


セシリア・モート様が、そこに立っていた。


明日、大聖儀を務める、当代の神託の乙女が。


前夜の、こんな時刻に。


「セシリア様……!? どうして、こちらに」


「ヨナス様に、無理を申しました」


彼女の後ろで、もうひとつの影——ヨナス様が、恐縮しきった様子で頭を下げた。


「明朝までには、必ずお戻りいただきます。……ですが、その、セシリア様が、どうしてもと」


「だって」


セシリア様は、フードを少し上げて、いたずらが見つかった子どものように笑った。


「エルナ様が王都にいらしていると、聞いてしまったのですもの」



部屋にお通しして、茶を淹れた。


辺境から持ってきた、マレンの茶葉だった。


「……ああ」


ひとくち飲んで、セシリア様は、ほう、と息をついた。


「リントの、味がします」


「ふふ。マレンが持たせてくれました」


「なつかしい……あの冬に、いただいた味です」


去年の冬、この方は、神殿を抜け出して、雪の辺境まで私に会いに来た。


自分の加護に怯えて、泣きながら。


いま目の前にいる人は、同じ顔で、まるで違う目をしていた。


「明日、ですね」


「はい」


セシリア様は、まっすぐに頷いた。


「こわく、ありませんか」


「こわいです」


彼女は、あっさりと言った。


「昨夜は、あまり眠れませんでした。今夜も、たぶん、眠れません。……でも」


茶器を両手で包んで、彼女は続けた。


「去年のこわさとは、違うのです。去年は、自分が偽物かもしれないことが、こわかった。いまは——大切な務めを、ちゃんと果たしたいから、こわい。この、こわさは」


彼女は、少し考えて、言った。


「たぶん、持っていて、いいこわさです」


「……ええ」


私は、深く頷いた。


「それは、誇りと同じ形をした、こわさです」



「エルナ様。ひとつ、伺ってもよろしいですか」


「なんなりと」


「賓客のお席、お断りになったと聞きました。……それなのに、王都まで、来てくださった」


セシリア様は、私をじっと見つめた。


「どうして、と伺うのは、野暮でしょうか」


「野暮では、ありませんけれど」


私は微笑んだ。


「答えは、簡単です。友人の晴れの日を、見たかったからです」


「……っ」


「席がなくとも、見ることはできます。明日、私は群衆のいちばん後ろから、あなたを見ています。誰よりも——近くで」


いちばん後ろから、誰よりも近くで。


矛盾した言葉を、けれどセシリア様は、正しく受け取ってくれた。


彼女の目に、みるみる涙が盛り上がった。


「私……私、明日、がんばれます」


「ええ」


「ひとりで、務めます。でも、ひとりぼっちでは、ないのですね」


「はい」


私は、彼女の手を、そっと包んだ。


「ひとりで立つことと、ひとりぼっちは、違います。あなたがそれを教えてくれたのですよ。あの冬の日に、雪の中を、私に会いに来てくれたときに」



帰り際、戸口でセシリア様は振り返った。


「エルナ様。あの……儀式が、終わったら」


「はい」


「また、お手紙を書いても、いいですか。それから、いつか、また、リントへ」


「もちろんです」


私は頷いた。


「町の皆が、待っています。蜂蜜パンの上手な、新しい友人も増えました」


「ふふ……楽しみです」


フードを直して、彼女はヨナス様と、夜の街へ出ていった。


その小さな背中は、もう、震えてはいなかった。


「……大丈夫だな」


いつの間にか階下に降りてきていたユリウスが、ぽつりと言った。


「ええ」


私は頷いた。


「大丈夫です。あの方は、明日、ひとりで立てます」


夜空の下、大神殿の清めの灯が、静かに揺れていた。


明日、あの場所で。


ふたりの聖女の、長かった物語に、ひとつの答えが出る。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


大聖儀の前夜、訪ねてきたのは、当代の乙女ご本人でした。


去年の冬、雪の辺境に泣きながら来た人が、

いまは「持っていていいこわさ」を抱えて、立っています。


ひとりで立つことと、ひとりぼっちは、違う。


いちばん後ろから、誰よりも近くで。


次話「大聖儀」——

いよいよ、その日が来ます。


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