第38話 血の秘密の、もう半分
庭園の茶会は、貴族街の外れの、静かな庭で開かれていた。
主催者は、レオンハルト・カイ、ただひとり。
客も、私たちだけだった。
「ようこそ、エルナ様。それに——フォン・リント卿も、ご一緒とは」
レオンハルトは、あの冬と寸分違わぬ、優美な立ち姿でそこにいた。
仕立ての良い衣。
柔らかな声。
完璧な角度の、礼。
「お招き、痛み入ります」
私は静かに礼を返した。
ユリウスは、黙って浅く頷いただけだった。
◇
卓には、春の菓子と、良い香りの茶が並んでいた。
「まずは、おめでとうを申し上げねば」
レオンハルトは、茶を勧めながら言った。
「辺境は、ますます豊かだそうで。あなたの町の評判は、この王都まで届いておりますよ。……ええ、それはもう、いろいろな形で」
「町の皆が、よく働きますから」
「ふふ。相変わらずでいらっしゃる」
彼は目を細めた。
「ときに、エルナ様。大聖儀の賓客席を、お断りになったそうですね」
「ええ」
「実に、あなたらしい。……そして、賢明です。あの席は、あなたを飾りたい人の席だ」
彼は、こともなげに、アロイスの絵をひとことで言い当てた。
この人は、聡い。
聡くて、丁寧で、そして、人を血筋で測る。
「ですが、今日お呼びしたのは、儀の話ではありません」
レオンハルトは、茶器を、静かに置いた。
「約束を、覚えておいででしょうか。いつかの冬の日の」
「……ええ」
忘れるはずがなかった。
去年の冬、退き際に彼が残した言葉。
血の秘密の、もう半分。
「あなたはあの日、私の話を、お聞きにならなかった。それでよかったのです。あのときの私は、あれを取引の札にしようとしていた」
「今日は、違うのですか」
「さて」
彼は、優美に微笑んだ。
「今日は、贈り物にしようかと」
◇
「エルナ様。あなたは、ご自分の家系のことを、どこまでご存じですか」
「加護を宿しやすい、古い家系であること」
私は答えた。
「家がそれを持て余して、幼い私を神殿に預けたこと。……あなたが教えてくださったのは、そこまでです」
「ええ、そこまでです」
レオンハルトは頷いた。
「では——『持て余した』という言葉を、あなたはどういう意味で、受け取っておられます?」
「……厄介だった、と」
「そう。誰もが、そう受け取る」
彼は、庭の百合の蕾に、ふと目をやった。
「ですが、もし。その言葉の下に、まったく別のものが埋まっているとしたら?」
胸の奥で、何かが、小さく軋んだ。
「あなたのお家が、なぜあなたを手放したのか。その本当の理由を、私は知っています。カイ家は、あなたの家と、古い縁がありますから」
「…………」
「お知りになりたくは、ありませんか」
庭は、静かだった。
春の風だけが、卓の上の茶の湯気を、ゆらりと揺らした。
知りたい。
知りたいに、決まっている。
なぜ、家は私を手放したのか。
なぜ、誰も私に会いに来なかったのか。
その問いは、幼い日からずっと、胸のいちばん深いところに、埋まったままなのだから。
けれど。
私は、ゆっくりと、息を整えた。
「レオンハルト様」
「はい」
「ひとつ、伺います。その話を、あなたはどこで、知られましたか」
「……ほう」
「あなたの口から語られるそれは、あなたの目で見た真実です。カイ家の窓から見た、私の家の景色です」
私は、まっすぐに彼を見た。
「知りたい、と思います。心から。……けれど、あなたからでは、ないのです」
「では、誰から?」
「あの紋章の家に、まだ、私を覚えている人がいるのなら」
私は、静かに言った。
「その人の口から、聞きます。聞けないのなら——それも、答えですから」
◇
長い沈黙があった。
レオンハルトは、私をじっと見つめていた。
値踏みでも、驚きでもない、初めて見る目の色だった。
「……取引にもならず、贈り物にもならず、ですか」
やがて、彼は小さく笑った。
「あなたという人は、本当に、受け取らない」
「性分ですので」
「ふふ。……ひとつだけ、では、値のつかない話を」
彼は立ち上がり、庭の百合の蕾のそばで、振り返った。
「あなたの母君は——今も、この王都に、おられますよ」
心臓が、跳ねた。
「大聖儀を、ご覧になりに?」
「さあ。それは、私の知るところではありません」
レオンハルトは、優美に一礼した。
「良い滞在を、エルナ様。……近いうちに、また」
◇
帰り道、私は長いあいだ、黙って歩いた。
ユリウスも、黙って、隣を歩いてくれた。
大通りの角。
昨日、あの馬車が横切っていった場所で、私は足を止めた。
「……ユリウス様」
「ああ」
「私、母に、会いたいのだと思います」
口に出したら、驚くほど、するりと落ちた。
二十年、埋めたままだった問いが、春の夕暮れの中で、初めて、自分の声になった。
「ああ」
ユリウスは、それだけ言って、頷いた。
それで、十分だった。
——母は、いま、この街の、同じ空の下にいる。
その事実が、春の宵の中で、小さな灯りのように、点っていた。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
血の秘密の、もう半分。
いちばん知りたいことを、いちばん知りたくない人が差し出してきました。
エルナの答えは——「あなたからでは、ないのです」。
取引にも、贈り物にもならなかった卓の上に、
それでも、ひとつだけ残されたもの。
母君は、今も王都にいる。
次話「ふたりの聖女、ふたたび」では、
大聖儀の前夜、なつかしい人が、そっと宿を訪ねてきます。
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