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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第38話 血の秘密の、もう半分

庭園の茶会は、貴族街の外れの、静かな庭で開かれていた。


主催者は、レオンハルト・カイ、ただひとり。


客も、私たちだけだった。


「ようこそ、エルナ様。それに——フォン・リント卿も、ご一緒とは」


レオンハルトは、あの冬と寸分違わぬ、優美な立ち姿でそこにいた。


仕立ての良い衣。

柔らかな声。

完璧な角度の、礼。


「お招き、痛み入ります」


私は静かに礼を返した。


ユリウスは、黙って浅く頷いただけだった。



卓には、春の菓子と、良い香りの茶が並んでいた。


「まずは、おめでとうを申し上げねば」


レオンハルトは、茶を勧めながら言った。


「辺境は、ますます豊かだそうで。あなたの町の評判は、この王都まで届いておりますよ。……ええ、それはもう、いろいろな形で」


「町の皆が、よく働きますから」


「ふふ。相変わらずでいらっしゃる」


彼は目を細めた。


「ときに、エルナ様。大聖儀の賓客席を、お断りになったそうですね」


「ええ」


「実に、あなたらしい。……そして、賢明です。あの席は、あなたを飾りたい人の席だ」


彼は、こともなげに、アロイスの絵をひとことで言い当てた。


この人は、聡い。


聡くて、丁寧で、そして、人を血筋で測る。


「ですが、今日お呼びしたのは、儀の話ではありません」


レオンハルトは、茶器を、静かに置いた。


「約束を、覚えておいででしょうか。いつかの冬の日の」


「……ええ」


忘れるはずがなかった。


去年の冬、退き際に彼が残した言葉。


血の秘密の、もう半分。


「あなたはあの日、私の話を、お聞きにならなかった。それでよかったのです。あのときの私は、あれを取引の札にしようとしていた」


「今日は、違うのですか」


「さて」


彼は、優美に微笑んだ。


「今日は、贈り物にしようかと」



「エルナ様。あなたは、ご自分の家系のことを、どこまでご存じですか」


「加護を宿しやすい、古い家系であること」


私は答えた。


「家がそれを持て余して、幼い私を神殿に預けたこと。……あなたが教えてくださったのは、そこまでです」


「ええ、そこまでです」


レオンハルトは頷いた。


「では——『持て余した』という言葉を、あなたはどういう意味で、受け取っておられます?」


「……厄介だった、と」


「そう。誰もが、そう受け取る」


彼は、庭の百合の蕾に、ふと目をやった。


「ですが、もし。その言葉の下に、まったく別のものが埋まっているとしたら?」


胸の奥で、何かが、小さく軋んだ。


「あなたのお家が、なぜあなたを手放したのか。その本当の理由を、私は知っています。カイ家は、あなたの家と、古い縁がありますから」


「…………」


「お知りになりたくは、ありませんか」


庭は、静かだった。


春の風だけが、卓の上の茶の湯気を、ゆらりと揺らした。


知りたい。


知りたいに、決まっている。


なぜ、家は私を手放したのか。

なぜ、誰も私に会いに来なかったのか。


その問いは、幼い日からずっと、胸のいちばん深いところに、埋まったままなのだから。


けれど。


私は、ゆっくりと、息を整えた。


「レオンハルト様」


「はい」


「ひとつ、伺います。その話を、あなたはどこで、知られましたか」


「……ほう」


「あなたの口から語られるそれは、あなたの目で見た真実です。カイ家の窓から見た、私の家の景色です」


私は、まっすぐに彼を見た。


「知りたい、と思います。心から。……けれど、あなたからでは、ないのです」


「では、誰から?」


「あの紋章の家に、まだ、私を覚えている人がいるのなら」


私は、静かに言った。


「その人の口から、聞きます。聞けないのなら——それも、答えですから」



長い沈黙があった。


レオンハルトは、私をじっと見つめていた。


値踏みでも、驚きでもない、初めて見る目の色だった。


「……取引にもならず、贈り物にもならず、ですか」


やがて、彼は小さく笑った。


「あなたという人は、本当に、受け取らない」


「性分ですので」


「ふふ。……ひとつだけ、では、値のつかない話を」


彼は立ち上がり、庭の百合の蕾のそばで、振り返った。


「あなたの母君は——今も、この王都に、おられますよ」


心臓が、跳ねた。


「大聖儀を、ご覧になりに?」


「さあ。それは、私の知るところではありません」


レオンハルトは、優美に一礼した。


「良い滞在を、エルナ様。……近いうちに、また」



帰り道、私は長いあいだ、黙って歩いた。


ユリウスも、黙って、隣を歩いてくれた。


大通りの角。


昨日、あの馬車が横切っていった場所で、私は足を止めた。


「……ユリウス様」


「ああ」


「私、母に、会いたいのだと思います」


口に出したら、驚くほど、するりと落ちた。


二十年、埋めたままだった問いが、春の夕暮れの中で、初めて、自分の声になった。


「ああ」


ユリウスは、それだけ言って、頷いた。


それで、十分だった。


——母は、いま、この街の、同じ空の下にいる。


その事実が、春の宵の中で、小さな灯りのように、点っていた。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


血の秘密の、もう半分。


いちばん知りたいことを、いちばん知りたくない人が差し出してきました。


エルナの答えは——「あなたからでは、ないのです」。


取引にも、贈り物にもならなかった卓の上に、

それでも、ひとつだけ残されたもの。


母君は、今も王都にいる。


次話「ふたりの聖女、ふたたび」では、

大聖儀の前夜、なつかしい人が、そっと宿を訪ねてきます。


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