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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第36話 役割では、参りません

招請状は、三日のあいだ、窓辺の抽斗の上に置かれていた。


私は毎朝、それを見て、勤めに出た。


毎晩、それを見て、眠りについた。


急かす者は、誰もいなかった。


マレンは何も訊かず、ユリウスはいつも通りに口実を運び、リーゼルは毎日パンを焼いてきた。


この町は、私が考え終わるのを、静かに待っていてくれた。



四日目の朝、私は答えを出した。


墨を磨り、丁寧に、返事をしたためた。


「このたびのお招き、身に余る栄誉なれど、謹んで辞退申し上げます。


私はすでに聖印を返上した身。

元聖女として、儀の座に連なる資格を持ちません」


そこで筆を止め、私は窓の外の春を、少しだけ眺めた。


それから、最後の一文を書き足した。


「なお、これは私事にございますが。


友人の晴れの日を一目見るために、王都を訪れる自由は、どうか、ただの旅人のものと、お考えいただけますように」



昼下がり、教会に来たマレンに、私は返事の文面を見せた。


マレンは、ゆっくりと二度読んで、それは楽しそうに笑った。


「まあ、まあ」


「……おかしいでしょうか」


「いいえ」


彼女は首を振った。


「賓客の席は、お断りする。けれど、友人を見に行くことは、誰にも断らせない。——エルナ、あなた、良い断り方を覚えましたねえ」


「この町で、教わりましたから」


私は微笑んだ。


役割としては、参りません。


けれど、私として、参ります。


聖女ではなく、元聖女でもなく、ただ、セシリア・モート様の友人として。


群衆のひとりとして、あの方の晴れの日を、見届けに。


それが、私の答えだった。


賓客の席に着けば、誰かの絵の中に置かれる。


行かなければ、あの方の「見ていてくれたら」は、届かないままになる。


だから、どちらでもない席を、自分で作る。


祈りの届く場所は、祭壇のそばだけではないと、私はこの町で知ったのだから。



夕方、ユリウスが来た。


口実は、旅装用の外套だった。


「……仕立てさせたら、余った」


「外套が、余るのですか」


「余った」


彼は押しつけるように、上質な外套を私に持たせた。


淡い灰色の、旅塵の目立たない、フードの深い外套。


……返事の文面を、まだ彼には見せていないのに。


「あの、ユリウス様。私が王都へ行くと、どうして」


「顔に書いてある」


彼は、こともなげに言った。


「三日、悩んで。今朝は、悩んでいなかった。……なら、決めたんだろう。お前の決めることは、だいたい分かる」


私は言葉に詰まった。


頬が、少し熱くなった。


「……はい。参ります。友人として、見届けに」


「ああ」


「ひとりで、大丈夫です。道中も、慣れておりますし」


「俺も行く」


ユリウスは、間を置かずに言った。


「え」


「王都に、所用がある」


「……所用、ですか」


「ある」


彼は、明後日の方角を見ながら言った。


「辺境伯にも、いろいろ、ある」


薪が余った。

林檎が採れすぎた。

外套が余った。


そして——王都に、所用がある。


この人の口実は、とうとう、王都まで届くようになった。


「ふふ」


こらえきれずに、笑いがこぼれた。


「なんだ」


「いいえ」


私は首を振った。


「では、道中、よろしくお願いいたします」



出立は、五日後と決まった。


リーゼルは「お土産は王都の麦の話でいいです!」と言い、ニコは「ぜったい帰ってきてね」と何度も念を押した。


「帰ってきますよ」


私はニコの頭を撫でた。


「ここが、私の家ですから」


荷造りの終わった夜、私はふと、窓辺の抽斗から、あの返事の写しを取り出して読み返した。


役割では、参りません。


一年前の私は、こんな返事を書ける人間ではなかった。


命じられれば、応じるか、応じないか。

その二つしか、持っていなかった。


「……ありがとうございます」


誰にともなく、私は小さく呟いた。


この答えは、私ひとりで見つけたものではないのだから。



そして、出立の朝。


町はずれまで見送りに来たマレンが、別れ際、ふと真顔になって言った。


「エルナ。ひとつだけ」


「はい」


「王都には——あの方も、いらっしゃいますよ」


言われるまでもなく、分かっていた。


優美な笑みと、血筋の話をする人。


レオンハルト・カイ。


「ええ」


私は頷いた。


「存じています」


春の街道が、王都へ向かって、まっすぐに伸びていた。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


賓客としては、お断りする。

けれど、友人を見に行く自由は、誰にも断らせない。


行くか、行かないかの二択を、

エルナは、自分の手で作り変えました。


そして領主様の口実は、

とうとう「王都に所用がある」まで育ちました。


次話「一年ぶりの、王都」では、

懐かしくも、もう遠くなった街へ。


噂と、気配が、待っています。


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