第36話 役割では、参りません
招請状は、三日のあいだ、窓辺の抽斗の上に置かれていた。
私は毎朝、それを見て、勤めに出た。
毎晩、それを見て、眠りについた。
急かす者は、誰もいなかった。
マレンは何も訊かず、ユリウスはいつも通りに口実を運び、リーゼルは毎日パンを焼いてきた。
この町は、私が考え終わるのを、静かに待っていてくれた。
◇
四日目の朝、私は答えを出した。
墨を磨り、丁寧に、返事をしたためた。
「このたびのお招き、身に余る栄誉なれど、謹んで辞退申し上げます。
私はすでに聖印を返上した身。
元聖女として、儀の座に連なる資格を持ちません」
そこで筆を止め、私は窓の外の春を、少しだけ眺めた。
それから、最後の一文を書き足した。
「なお、これは私事にございますが。
友人の晴れの日を一目見るために、王都を訪れる自由は、どうか、ただの旅人のものと、お考えいただけますように」
◇
昼下がり、教会に来たマレンに、私は返事の文面を見せた。
マレンは、ゆっくりと二度読んで、それは楽しそうに笑った。
「まあ、まあ」
「……おかしいでしょうか」
「いいえ」
彼女は首を振った。
「賓客の席は、お断りする。けれど、友人を見に行くことは、誰にも断らせない。——エルナ、あなた、良い断り方を覚えましたねえ」
「この町で、教わりましたから」
私は微笑んだ。
役割としては、参りません。
けれど、私として、参ります。
聖女ではなく、元聖女でもなく、ただ、セシリア・モート様の友人として。
群衆のひとりとして、あの方の晴れの日を、見届けに。
それが、私の答えだった。
賓客の席に着けば、誰かの絵の中に置かれる。
行かなければ、あの方の「見ていてくれたら」は、届かないままになる。
だから、どちらでもない席を、自分で作る。
祈りの届く場所は、祭壇のそばだけではないと、私はこの町で知ったのだから。
◇
夕方、ユリウスが来た。
口実は、旅装用の外套だった。
「……仕立てさせたら、余った」
「外套が、余るのですか」
「余った」
彼は押しつけるように、上質な外套を私に持たせた。
淡い灰色の、旅塵の目立たない、フードの深い外套。
……返事の文面を、まだ彼には見せていないのに。
「あの、ユリウス様。私が王都へ行くと、どうして」
「顔に書いてある」
彼は、こともなげに言った。
「三日、悩んで。今朝は、悩んでいなかった。……なら、決めたんだろう。お前の決めることは、だいたい分かる」
私は言葉に詰まった。
頬が、少し熱くなった。
「……はい。参ります。友人として、見届けに」
「ああ」
「ひとりで、大丈夫です。道中も、慣れておりますし」
「俺も行く」
ユリウスは、間を置かずに言った。
「え」
「王都に、所用がある」
「……所用、ですか」
「ある」
彼は、明後日の方角を見ながら言った。
「辺境伯にも、いろいろ、ある」
薪が余った。
林檎が採れすぎた。
外套が余った。
そして——王都に、所用がある。
この人の口実は、とうとう、王都まで届くようになった。
「ふふ」
こらえきれずに、笑いがこぼれた。
「なんだ」
「いいえ」
私は首を振った。
「では、道中、よろしくお願いいたします」
◇
出立は、五日後と決まった。
リーゼルは「お土産は王都の麦の話でいいです!」と言い、ニコは「ぜったい帰ってきてね」と何度も念を押した。
「帰ってきますよ」
私はニコの頭を撫でた。
「ここが、私の家ですから」
荷造りの終わった夜、私はふと、窓辺の抽斗から、あの返事の写しを取り出して読み返した。
役割では、参りません。
一年前の私は、こんな返事を書ける人間ではなかった。
命じられれば、応じるか、応じないか。
その二つしか、持っていなかった。
「……ありがとうございます」
誰にともなく、私は小さく呟いた。
この答えは、私ひとりで見つけたものではないのだから。
◇
そして、出立の朝。
町はずれまで見送りに来たマレンが、別れ際、ふと真顔になって言った。
「エルナ。ひとつだけ」
「はい」
「王都には——あの方も、いらっしゃいますよ」
言われるまでもなく、分かっていた。
優美な笑みと、血筋の話をする人。
レオンハルト・カイ。
「ええ」
私は頷いた。
「存じています」
春の街道が、王都へ向かって、まっすぐに伸びていた。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
賓客としては、お断りする。
けれど、友人を見に行く自由は、誰にも断らせない。
行くか、行かないかの二択を、
エルナは、自分の手で作り変えました。
そして領主様の口実は、
とうとう「王都に所用がある」まで育ちました。
次話「一年ぶりの、王都」では、
懐かしくも、もう遠くなった街へ。
噂と、気配が、待っています。
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どうぞ、よろしくお願いいたします。




