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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第34話 セシリア様の、お手紙

春が深まり、畑の豆が、支柱に蔓を伸ばし始めた頃。


王都から、二通目の手紙が届いた。


差出人は、セシリア・モート。


私は昼の勤めを終えてから、教会の窓辺で、静かに封を開けた。



手紙は、前のものより、少しだけ長かった。


冒頭は、いつもの丁寧な季節の挨拶。


王都の花の季節が終わったこと。

神殿の庭に、燕が巣をかけたこと。


それから、聖務のこと。


「祈りの座に着くことが、こわくなくなりました。

去年の私に教えてあげたいくらいです」


私は微笑んだ。


冬の日に、この教会で泣いていた彼女を思い出す。


自分の加護に確信が持てず、ひとりで背負う恐怖に、押しつぶされそうになっていた少女。


その人が今、こわくない、と書いてくる。


それだけで、この手紙は宝物だった。


けれど。


手紙は、そのあと、すこしだけ文字の間隔が変わった。


丁寧さは、そのまま。

ただ、一文字ずつを、慎重に置くような書き方に。


「大聖儀の日取りが、正式に定まりました。

初夏、王都の大神殿にて執り行われます。


私は、ひとりで務めます。

いつかそう申し上げたことを、覚えていてくださいますか。


あの言葉に、恥じないように。

毎日、務めを重ねています」


覚えている。


忘れるはずがない。


去年の冬、王都の使者の前で、彼女ははっきりと言ったのだ。


大聖儀は私ひとりで務められます、と。


私を守るために。

そして、彼女自身が、自分の足で立つために。


「ただ、神殿の中には、いろいろな声があります。


万一に備えるべきだ、という声。

念には念を、という声。


アロイス様が、たびたび、そうした声を、束ねておられます」


私の指が、その一行の上で、止まった。


アロイス・ヴェント。


神殿長。


聖女の交代を政治で決め、真実が露見しかけたときも、最後まで沈黙を守った人。


去年の冬、彼の描いた絵は崩れた。


けれど、彼はまだ、神殿長の座にいる。


「どうか、ご心配なさらないでください。

私は、大丈夫です。


エルナ様は、どうか、お変わりなく。

リントの春は、美しいでしょうね」


手紙は、そこで終わっていた。



私は手紙を膝に置いて、長いあいだ、窓の外を見ていた。


来てください、とは、どこにも書いていなかった。


助けてください、とも。


けれど、行間が語っていた。


ひとりで立つと宣言した人が、その宣言の重さを、ひとりで支えている。


万一に備えよ、という声は、親切の顔をしてやってくる。


その声のひとつひとつが、「あなたひとりでは足りないかもしれない」という囁きであることを、彼女は毎日、丁寧な礼と共に受け流しているのだろう。


——ああ。


私は目を閉じた。


その景色を、私は知っている。


聖女だった頃の私が、毎日立っていた場所と、よく似ている。


「エルナ」


いつの間にか、マレンがそばに来ていた。


「王都の、お嬢さんから?」


「ええ」


私は手紙をたたんだ。


「お元気そうです。……とても、がんばっておいでです」


「そう」


マレンは、それ以上、何も訊かなかった。


ただ、私の隣に腰を下ろして、一緒に窓の外を見た。


春の畑で、ニコとリーゼルが、何やら大声で笑い合っていた。


「がんばっている人にしてあげられることは、そう多くありませんよ」


やがて、マレンが言った。


「代わってあげることは、できない。がんばりを、取り上げてもいけない」


「……ええ」


「できるのは、せいぜい」


マレンは目を細めた。


「ちゃんと見ていること、くらいです」



夕方、鹿肉の次の口実を持って現れたユリウスに、私は手紙のことを話した。


彼は黙って、最後まで聞いた。


「……で」


聞き終えてから、彼は言った。


「行きたいのか」


まっすぐな問いだった。


この人は、いつも、遠回りをしない。


「わかりません」


私も、まっすぐに答えた。


「聖女として呼ばれるなら、参りません。それは、もう私の役割ではないからです」


「ああ」


「けれど……」


私は言葉を探した。


「ひとりで立とうとしている友人が、いるのです。手を貸してしまえば、あの方の立ち方を、壊してしまう。でも」


「見ていることは、できる」


ユリウスが言った。


私は顔を上げた。


「……はい」


「なら、迷う話ではないだろう」


彼は、こともなげに言った。


「呼ばれ方が決まってから、悩め。まだ、誰にも呼ばれていない」


「……ふふ」


思わず、笑いがこぼれた。


「そうですね。ええ。……そのとおりです」


まだ、誰にも呼ばれていない。


先回りして悩むのは、私の悪い癖だ。


春の夕暮れは、静かに、穏やかに、暮れていった。



その数日後だった。


市場に立つ行商人が、街道の報せを運んできた。


神殿の若い神官がひとり、供も連れず、辺境への道を、こちらへ向かっているという。


その名を聞いて、私は目を見開いた。


ヨナス様。


神殿の良心が、この町へ、やってくる。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


「私は、ひとりで務めます」


そう宣言した人の手紙には、

「来てください」とは、ひとことも書いてありませんでした。


けれど、行間は語ります。


親切の顔をしてやってくる「万一に備えよ」の声を、

彼女が毎日、ひとりで受け流していることを。


がんばっている人にしてあげられるのは、

せいぜい、ちゃんと見ていること——。


次話「ヨナスの、訪問」では、

神殿の良心が、正直な報せを携えて、辺境へやってきます。


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