第34話 セシリア様の、お手紙
春が深まり、畑の豆が、支柱に蔓を伸ばし始めた頃。
王都から、二通目の手紙が届いた。
差出人は、セシリア・モート。
私は昼の勤めを終えてから、教会の窓辺で、静かに封を開けた。
◇
手紙は、前のものより、少しだけ長かった。
冒頭は、いつもの丁寧な季節の挨拶。
王都の花の季節が終わったこと。
神殿の庭に、燕が巣をかけたこと。
それから、聖務のこと。
「祈りの座に着くことが、こわくなくなりました。
去年の私に教えてあげたいくらいです」
私は微笑んだ。
冬の日に、この教会で泣いていた彼女を思い出す。
自分の加護に確信が持てず、ひとりで背負う恐怖に、押しつぶされそうになっていた少女。
その人が今、こわくない、と書いてくる。
それだけで、この手紙は宝物だった。
けれど。
手紙は、そのあと、すこしだけ文字の間隔が変わった。
丁寧さは、そのまま。
ただ、一文字ずつを、慎重に置くような書き方に。
「大聖儀の日取りが、正式に定まりました。
初夏、王都の大神殿にて執り行われます。
私は、ひとりで務めます。
いつかそう申し上げたことを、覚えていてくださいますか。
あの言葉に、恥じないように。
毎日、務めを重ねています」
覚えている。
忘れるはずがない。
去年の冬、王都の使者の前で、彼女ははっきりと言ったのだ。
大聖儀は私ひとりで務められます、と。
私を守るために。
そして、彼女自身が、自分の足で立つために。
「ただ、神殿の中には、いろいろな声があります。
万一に備えるべきだ、という声。
念には念を、という声。
アロイス様が、たびたび、そうした声を、束ねておられます」
私の指が、その一行の上で、止まった。
アロイス・ヴェント。
神殿長。
聖女の交代を政治で決め、真実が露見しかけたときも、最後まで沈黙を守った人。
去年の冬、彼の描いた絵は崩れた。
けれど、彼はまだ、神殿長の座にいる。
「どうか、ご心配なさらないでください。
私は、大丈夫です。
エルナ様は、どうか、お変わりなく。
リントの春は、美しいでしょうね」
手紙は、そこで終わっていた。
◇
私は手紙を膝に置いて、長いあいだ、窓の外を見ていた。
来てください、とは、どこにも書いていなかった。
助けてください、とも。
けれど、行間が語っていた。
ひとりで立つと宣言した人が、その宣言の重さを、ひとりで支えている。
万一に備えよ、という声は、親切の顔をしてやってくる。
その声のひとつひとつが、「あなたひとりでは足りないかもしれない」という囁きであることを、彼女は毎日、丁寧な礼と共に受け流しているのだろう。
——ああ。
私は目を閉じた。
その景色を、私は知っている。
聖女だった頃の私が、毎日立っていた場所と、よく似ている。
「エルナ」
いつの間にか、マレンがそばに来ていた。
「王都の、お嬢さんから?」
「ええ」
私は手紙をたたんだ。
「お元気そうです。……とても、がんばっておいでです」
「そう」
マレンは、それ以上、何も訊かなかった。
ただ、私の隣に腰を下ろして、一緒に窓の外を見た。
春の畑で、ニコとリーゼルが、何やら大声で笑い合っていた。
「がんばっている人にしてあげられることは、そう多くありませんよ」
やがて、マレンが言った。
「代わってあげることは、できない。がんばりを、取り上げてもいけない」
「……ええ」
「できるのは、せいぜい」
マレンは目を細めた。
「ちゃんと見ていること、くらいです」
◇
夕方、鹿肉の次の口実を持って現れたユリウスに、私は手紙のことを話した。
彼は黙って、最後まで聞いた。
「……で」
聞き終えてから、彼は言った。
「行きたいのか」
まっすぐな問いだった。
この人は、いつも、遠回りをしない。
「わかりません」
私も、まっすぐに答えた。
「聖女として呼ばれるなら、参りません。それは、もう私の役割ではないからです」
「ああ」
「けれど……」
私は言葉を探した。
「ひとりで立とうとしている友人が、いるのです。手を貸してしまえば、あの方の立ち方を、壊してしまう。でも」
「見ていることは、できる」
ユリウスが言った。
私は顔を上げた。
「……はい」
「なら、迷う話ではないだろう」
彼は、こともなげに言った。
「呼ばれ方が決まってから、悩め。まだ、誰にも呼ばれていない」
「……ふふ」
思わず、笑いがこぼれた。
「そうですね。ええ。……そのとおりです」
まだ、誰にも呼ばれていない。
先回りして悩むのは、私の悪い癖だ。
春の夕暮れは、静かに、穏やかに、暮れていった。
◇
その数日後だった。
市場に立つ行商人が、街道の報せを運んできた。
神殿の若い神官がひとり、供も連れず、辺境への道を、こちらへ向かっているという。
その名を聞いて、私は目を見開いた。
ヨナス様。
神殿の良心が、この町へ、やってくる。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
「私は、ひとりで務めます」
そう宣言した人の手紙には、
「来てください」とは、ひとことも書いてありませんでした。
けれど、行間は語ります。
親切の顔をしてやってくる「万一に備えよ」の声を、
彼女が毎日、ひとりで受け流していることを。
がんばっている人にしてあげられるのは、
せいぜい、ちゃんと見ていること——。
次話「ヨナスの、訪問」では、
神殿の良心が、正直な報せを携えて、辺境へやってきます。
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