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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第30話 ここが、私の場所

雪が溶け始めた。


辺境の土から小さな緑が顔を出し、風にほんの少し春の匂いが混じるようになった。


長い冬が終わろうとしていた。



ある、よく晴れた朝。


町の広場に人々が集まっていた。


冬を越えた祝いのためだった。


無事に冬を越えられたことへの感謝。

そして、新しい季節への期待。


私もその輪の中にいた。


もう、隅から眺めるよそ者ではなかった。


広場の真ん中で、皆と笑い、スープを分け合う、ひとりとして。


「なあ、エルナさん」


女将がスープをよそいながら言った。


「あんた、王都の連中にまた呼ばれても行かないんだろ?」


「ええ」


私は頷いた。


「行きません」


「そうかい」


女将は満足そうに笑った。


「なら、あたしらが何度でも追い返してやるよ。

なあ、みんな!」


「おう!」


広場のあちこちから声が上がった。


「エルナさんは、うちの町の宝だ!」


「誰にも渡さねえ!」


それは豪快で温かい宣言だった。


私は胸が熱くなった。


ずっと、私は「役割」だった。


家にとって、神殿にとって、カイ家にとって、道具でしかなかった。


それなのに、ここでは私は「宝」だと言われる。


加護があるから、ではない。

何かの役に立つから、でもない。


ただ「エルナ」がいてくれる。

それだけで宝だ、と。



そのとき、マレンがそっと私のそばに来た。


「エルナ。

この町は決めましたよ」


「決めた……?」


「ええ」


マレンは穏やかに笑った。


「あなたを守る、と。

王都が何を言ってこようと、あなたがこの町にいたいと願うかぎり、私たちはあなたを守る。

それがこの町の総意です」


私は言葉を失った。


「あなたはこの土地に加護をもたらしてくれた。

でもね、エルナ。

私たちがあなたを守るのは、加護のお返しではないのですよ」


マレンの目が優しく細められた。


「ただ、あなたが好きだから。

それだけです」


ただ、好きだから。


その一言が、私の胸のいちばん深いところに届いた。


涙がこぼれそうになった。


けれど、それは悲しみではなく、満たされたことの涙だった。



祝いの賑わいから少し離れて、私はユリウスと並んで立っていた。


「……賑やかだな」


ユリウスが広場を見て呟いた。


「ええ」


私は頷いた。


「あたたかい町です」


しばらく、ふたりとも黙って、その光景を眺めていた。


やがて、ユリウスが口を開いた。


「エルナ」


「はい」


「春が来る」


「ええ」


「春になったら」


ユリウスは、そこで一度、言葉を切った。


そして、少し照れたように、けれど、まっすぐに言った。


「あの庭の木が芽吹くのを、一緒に見ないか。

これからもずっと、毎年」


それは不器用な人の、精一杯の言葉だった。


「これからもずっと、毎年」。


その言葉の意味を、私はちゃんと受け取った。


それは、来年も再来年も、その先もずっと、そばにいてほしい、という約束の申し出。


「……はい」


私は微笑んだ。


「喜んで」


ユリウスの口元がゆっくりとほどけた。


冬のあいだずっと固かった枝の先の芽が、今、ほころびかけているように。



風が吹いた。


春の匂いのする風だった。


私は広場の賑わいを、マレンを、そして、隣のユリウスを見渡した。


ここに来たあの日、私はただ静かに暮らしたかった。


何も望まず、何も取り戻さず、ただ距離を取って生きていく。

それでいいと思っていた。


それなのに、身を引いたその先で、私はこんなにもたくさんのものに出会った。


名前で呼ばれるよろこび。

頼られるあたたかさ。

そして、「ここにいていい」と思える場所。


役割ではなく、「エルナ」として。


私は胸に手を当てた。


ことり、と、あの音がした。


それはもう、迷いの音ではなかった。


確かにここが好きだという、しあわせの音だった。


王都の影はまだ消えていない。

血の秘密のもう半分も、明らかにはなっていない。


きっと、これからも静かな波紋は続くのだろう。


けれど、私はもうひとりではない。


そして、何より、私は知っていた。


ここが私の場所、だと。


「ここにいて、よかった」


私はそっと呟いた。


春の風が、その言葉をやさしくさらっていった。


――第一部 了。

第一部「身を引いた先で」、

全三十話を、

お読みいただき、

本当に、ありがとうございました。


聖印を返し、辺境へ身を引いたエルナ。

彼女が見つけたのは、取り戻した立場ではなく、

「ここにいていい」と思える、場所でした。


名前で呼ばれるよろこび。

過剰なほどの優しさ。

そして、ユリウスとの、じわじわと深まる絆。


何も望まず、何も取り戻さなかった人が、

気づけば、たくさんのものに、囲まれている。


少しでも、あなたの心が、

あたたかく、ほどけて、

休まる時間に、なっていましたら。

これ以上の、よろこびは、ありません。


物語は、第二部へと続きます。

レオンハルトの語った、血の秘密のもう半分。

神殿長アロイスの、これから。

王都で歩み出した、セシリア。

そして、ユリウスとの、約束の行く末。


また、次の季節で、お会いしましょう。


ブックマーク・評価を、

心から、お願いいたします。

ここまでの、お付き合いに、感謝を込めて。


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