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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第29話 白百合を、手放す

レオンハルトが去って、しばらく経った。


辺境の冬はまだ続いていたけれど、日差しが少しずつ長くなっていた。


その朝。


私は懐から古い本を取り出した。


ページのあいだに挟んだ白百合の押し花。


それはすっかり色を失って、薄茶色になっていた。



私はその押し花を、そっと手のひらにのせた。


これを持ち出したのは、神殿を出るあの日。


役割ではなく、自分の意思で手にした、たったひとつのもの。


ずっと、これだけが「私のもの」だった。

過去の中で唯一、自分で選んだ証。


けれど、今は違う。


私はこの町を選んだ。

この人々を選んだ。

マレンを、セシリアを、ヨナスを、そして、ユリウスを。


「私のもの」は、もうこの押し花だけではなかった。


両手に抱えきれないほど、たくさんのものを、私は今、持っていた。



私は雪の積もった庭へ出た。


あの枯れかけた木のそばへ。


小さな芽が雪の下で、固く春を待っている。


私はその木の根元の雪を、そっと払った。


そして、土を少し掘り、白百合の押し花をそこに埋めた。


「……ありがとう」


私はそっと呟いた。


長いあいだ私を支えてくれた、過去のかけら。

それをこの土に還す。


役割としての私。

誰にも「私」を見てもらえなかった、あの日々。


それを私は恨んではいなかった。


ただ、静かに別れを告げる。


「さようなら」ではなく、「ありがとう」、と。


あの日々があったから、私は距離を取ることを学んだ。

争わないことを学んだ。


そして、その静けさが巡り巡って、この町で愛される理由になった。


過去は無駄ではなかった。


ただ、もう握りしめておく必要はない。



土をそっとかぶせ、その上に雪を戻す。


春になれば、この木の芽が開く。


そして、その根元から、もしかしたら、いつか白百合が咲くかもしれない。


そう思うと、胸が温かくなった。


「……何をしている」


声に振り向くと、ユリウスが立っていた。


「過去を土に還していました」


私は微笑んだ。


「もう握りしめておく必要がなくなったので」


ユリウスは私の埋めた場所を見て、それから私を見た。


「身軽になったか」


「ええ」


私は頷いた。


「とても」


不思議だった。


ずっと持っていたものを手放したのに、寂しさより身軽さが勝っていた。


それはきっと、手放したその手で、新しいものを握れるからだった。


ユリウスがそっと手を差し出した。


「冷えただろう。

戻ろう」


私はその手を見た。


大きくて、少しごつごつした、働く者の手。


私はゆっくりと、その手に自分の手を重ねた。


温かかった。


雪の中で、ふたりの手がそっと重なっていた。


それは、過去を手放した、その手で握った、新しい何かだった。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


次話「ここが、私の場所」で、

第一部の結びを迎えます。


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