第28話 それでも、戻らない
教会の中の空気は、すっかり変わっていた。
王都の使者は、うろたえながら、巻物を握りしめていた。
「召喚の大義は崩れました」
ヨナスが静かに告げた。
「セシリア様の加護は健在。
大聖儀にエルネスティーネ様の協力は不要。
これをなお押し通すのは、王命の私物化です。
そう評議会に報告いたします」
ヨナスは神官だった。
その証言には重みがあった。
使者はレオンハルトを見た。
助けを求めるように。
けれど、レオンハルトはもう笑っていなかった。
◇
「……みごとなものだ」
レオンハルトがぽつりと言った。
「力でもなく、声高な訴えでもなく、ただ真実を並べて、私の足場を崩した。
エルネスティーネ殿。
いや、エルナ殿。
あなたは恐ろしいお方だ」
「いいえ」
私は首を振った。
「私は何も崩していません。
ただ、本当のことを申し上げただけです」
「それが恐ろしいのだ」
レオンハルトは苦々しく笑った。
「企みは嘘でできている。
だから、真実の前ではもろい」
彼は外套を翻した。
「今日は引き上げましょう。
この召喚は撤回せざるを得ますまい」
そして、去り際に、彼は足を止め、私を振り返った。
その目に、まだ諦めの色はなかった。
「ですが、エルナ殿。
ひとつお忘れなきよう。
あなたの血の秘密は、まだ半分しか明らかになっていない。
なぜあなたの家系が『持て余された』のか。
その本当の理由を、あなたはまだ知らない。
それを知る日が来れば、あなたはきっとご自分の意思だけではいられなくなる」
その言葉は不吉な余韻を残した。
「……またお会いしましょう」
レオンハルトはそう言い残して、雪道の向こうへ消えていった。
◇
使者も巻物を抱えて、そそくさと去った。
教会には、私を支えてくれた人たちだけが残った。
ユリウス。
マレン。
セシリア。
ヨナス。
そして、外には町の人たち。
「……終わった、のか」
ユリウスが呟いた。
「ひとまずは」
私は頷いた。
レオンハルトの残した言葉が、胸に引っかかっていた。
血の秘密の、もう半分。
家系が「持て余された」、本当の理由。
それが何なのか、私にはまだ分からない。
きっと、これは終わりではない。
レオンハルトも、アロイスも、諦めてはいない。
けれど、今はそれでもいい。
「皆さん」
私は集まってくれた人々を見回した。
「ありがとうございます。
私は戻りません。
何度呼ばれても、ここにいたいのです。
皆さんと、この町と、ともに」
セシリアが涙ぐんで笑った。
「エルナ様。
私、あなたに会えて、本当によかった。
私は王都で頑張ります。
肩の力を抜いて、あなたが教えてくれたように」
「ええ」
私は微笑んだ。
「あなたなら大丈夫です」
セシリアとヨナスは、今度こそ王都へと帰っていった。
その背中は、来たときよりずっと頼もしく見えた。
◇
夕暮れの教会で、ユリウスが私の隣に立った。
「お前は本当に戻らないのだな」
「ええ」
私は頷いた。
「私の居場所は、もうここ、ですから」
ユリウスはしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……よかった」
その一言にどれだけの想いが込められているか、私には分かった。
窓の外では雪がやみ、西の空が淡い橙色に染まっていた。
長い冬の向こうに、少しずつ春の気配が近づいている。
そんな夕暮れだった。
――ただ、ひとつだけ。
胸の隅に、まだ、あの言葉が残っていた。
『あなたの血の秘密は、まだ半分しか明らかになっていない』
半分。
その残りが何なのかを、私はまだ知らない。
知らないまま、私はこの町で、春を迎えようとしていた。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
次話は「白百合を、手放す」です。




