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聖女を辞めましたが、私は静かに暮らすだけです 〜本物の乙女が現れたので聖印をお返ししたら、辺境でなぜか過剰に大切にされています〜  作者: リリア・ノワール


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第24話 名を呼ぶ、その先

セシリアが王都へ帰る日が来た。


「ヨナス様と一緒に帰ります。そして、神殿の皆に伝えます。肩の力を抜いていいのだと。ひとりで背負わなくていいのだと」


セシリアの顔は、来たときよりずっと晴れやかだった。


「エルナ様。あなたは私の恩人です。いつか、きっと、このご恩をお返しします」


「お返しなど、いりません」


私は微笑んだ。


「ただ、あなたが笑っていてくれたら、それで十分です」


セシリアは涙ぐみながら、何度も振り返りながら、王都へと帰っていった。


その小さな背中を見送りながら、私は思った。


私が聖女をやめた。そのことが、巡り巡って、ひとりの少女を救った。


それは、座を取り戻すことより、ずっと意味のあることだと。



その日の夕暮れ、ユリウスが教会に来た。


今日は口実を持っていなかった。


「……少し、歩かないか」


彼はぼそりと言った。


私は頷いた。


ふたりで雪道を歩く。向かった先は、彼の屋敷の庭だった。


あの、枯れかけた木のある場所。


「見ろ」


ユリウスが指さした。


雪をかぶった枝の先に、小さな芽がひとつ、固くふくらんでいた。


「春に芽吹くだろう。枯れたと思っていた木が」


私は、その小さな芽を見つめた。


「……ええ、きっと」


しばらく、ふたりとも黙って、その芽を見ていた。


やがて、ユリウスがぽつりと言った。


「エルナ」


「はい」


「俺はお前に、ここにいてほしい。それは前にも言った」


「ええ」


「だが」


ユリウスはそこで言葉を切った。


そして、雪の積もった地面を、じっと見つめた。


彼の中で、また言葉がぐるぐると回っているのが分かった。


私は急かさずに待った。


やがて、彼は意を決したように顔を上げた。


「あの言葉は、正しくなかった」


「え?」


「『町が明るい』、と俺は言った。だが、それは本当ではなかった」


ユリウスの声が、わずかに震えていた。


「明るくなったのは、町ではない。俺だ」


私は息をのんだ。


「お前が来てから、俺の毎日が明るくなった。口実を作って、会いに行く。そのくだらない口実を考えている時間さえ、楽しかった」


ユリウスはまっすぐに私を見た。


その目に、いつもの所在なさはなかった。ただ、ひとりの男の、まっすぐな想いがあった。


「俺は、お前がいないと困る。『領主』としてではなく、ユリウスとして、お前にそばにいてほしい」


それは、ほとんど告白だった。最後の一言だけをのぞいて。


けれど、彼が何を言いたいのか、私にははっきりと分かった。



私は胸に手を当てた。


ことり、ことり、と、あの音が止まらなかった。


ずっと、私は自分の感情に距離を取って生きてきた。


何も望まない。何も求めない。それが楽だと思っていた。


けれど、今、この人のまっすぐな言葉を聞いて、私は初めて望んでいた。


この人のそばにいたい、と。


「ユリウス様」


私は懐から、そっと古い本を取り出した。


そして、ページのあいだから、色あせた白百合の押し花を見せた。


「これは、神殿を出るとき、ただひとつ、役割ではなく自分の意思で持ち出したものです」


ユリウスは、その押し花を見た。


「ずっと、これだけが『私のもの』でした。過去の中で、たったひとつの、自分で選んだもの」


私は、その押し花を見つめた。


「でも、最近思うのです。私の『自分で選んだもの』は、もう、これだけではないのだと」


私は顔を上げて、ユリウスを見た。


「この町。この人々。そして……」


そこで、私は少しだけ言いよどんだ。


頬が熱くなった。


「あなたと過ごす時間も」


ユリウスの目が大きく見開かれた。


私はこれ以上は言えなかった。けれど、きっと伝わった。


ユリウスの口元がゆっくりとほどけて、いつになくやわらかく笑った。


雪の積もった庭で、ふたりはしばらく、そうして立っていた。


言葉はそれ以上、いらなかった。



けれど、その温かい時間は長くは続かなかった。


屋敷の門のほうから、衛兵が駆けてきた。


「辺境伯さま! 王都より正式な使者が参りました! エルナ様への召喚状を携えて!」


ユリウスの表情がすっと引き締まった。


私も雪の中で、静かに息を吸った。


来るべきものが来た。それだけだった。

本話をお読みいただき、ありがとうございました。


「ユリウスとして、そばにいてほしい」。

ほとんど告白に近い、ユリウスの言葉。


そして、エルナも、初めて「望む」ことを知ります。

白百合の押し花とともに、想いが、近づきました。


けれど、そこへ王都からの召喚状が。

第五章「冬の客」は、ここまで。


次話からは、第六章「静かな答え」。

第一部の、クライマックスへ向かいます。


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