第15話 神殿の、ふたたびの使者
使者は、朝早く、町に着いた。
今度は、ひとりではなかった。
神官ヨナスと。
それから。
もう、ひとり。
神殿の、高位の神官だった。
豪奢な衣をまとい。
その目に、焦りをにじませた、男。
教会の、質素な扉の前で。
彼らは、立っていた。
◇
「エルネスティーネ様」
高位の神官が、名乗りもせず、そう切り出した。
「単刀直入に、申し上げます。
王都に、お戻りください」
私は。
箒を、そっと壁に立てかけた。
「お断りいたします」
迷いは、なかった。
神官の顔が、ゆがんだ。
「お待ちを。事は、急を要するのです。
セシリア様のお力は、もはや、人々の前で保てぬほどに、弱っておられる。
このままでは、神殿の威信は、地に落ちます。
あなた様の加護が、要るのです」
威信。
その言葉に。
私は。
ああ、と思った。
この人が案じているのは。
セシリア、その人では、ない。
神殿の、立場だ。
「……あなた様は」
私は、静かに尋ねた。
「セシリア様を案じて、来られたのですか。
それとも、神殿の威信を案じて、来られたのですか」
神官は。
言葉に、詰まった。
その、わずかな沈黙が。
すべての答えだった。
「神殿長は」
私は、続けた。
「私に、辺境で静かに暮らすよう、お手紙をくださいました。
なのに、今度は、戻れ、と。
神殿のお考えは。
ずいぶん、お忙しい」
神官の頬が。
赤く、なった。
神殿長アロイスが。
私を遠ざけたい、こと。
けれど、セシリアのほころびが、大きくなりすぎて。
別の派閥が、私を呼び戻そうとしていること。
そういう、神殿の内側のねじれが。
この、ひとつの要請に。
すべて、透けて見えた。
◇
「お引き取りください」
低い声が。
割って入った。
ユリウスだった。
噂を聞きつけて。
駆けつけたのだろう。
その背後には。
町の人たちが。
いつのまにか。
集まっていた。
八百屋の女将。パン屋の主人。そして、子どものニコまで。
皆が。
私をかばうように。
教会の前に。
静かに。
立っていた。
「ここは、私の治める、土地だ」
ユリウスの声は。
辺境伯としての威厳に、満ちていた。
「この者は、すでに、聖印を返した、御身。
今は、リントの町の人間だ。
その意思に反して、連れ去ることは。
たとえ、神殿であろうと。
私が、許さぬ」
高位の神官は。
たじろいだ。
辺境伯を。
正面から、敵に回すのは。
神殿と、いえども。
容易では、なかった。
「……ですが」
「エルナさんは」
女将が、声を張り上げた。
「うちの、町の、大事な人だ!
あんたらの都合で、連れていかれて、たまるか!」
「そうだ!」
「帰れ、帰れ!」
町の人たちの声が。
ひとつに、なって。
教会の前を。
包んだ。
それは。
怒りでは、なかった。
ただ。
大切な人を。
守ろうとする。
まっすぐな、声だった。
◇
私は。
その光景を。
呆然と。
見ていた。
胸が。
熱く、なった。
ずっと。
私は。
ひとりで。
身を引いて。
ひとりで。
生きてきた。
誰にも。
守られず。
誰にも。
すがらず。
それが。
私の。
生き方だと。
思っていた。
それなのに。
今。
これだけの人が。
私のために。
声をあげて、くれている。
「皆さん」
私は。
一歩。
前に。
出た。
「ありがとう。
でも、もう、大丈夫です」
そして。
高位の神官に。
向き直った。
「私は。
聖女には、戻りません。
それは。
何があっても。
変わりません」
私の声は。
静かで。
けれど。
揺るぎなかった。
「ですが」
私は。
続けた。
「セシリア様のことは。
放ってはおけません」
神官が。
顔を上げた。
「あの方は。
ひとりで。
苦しんでおられる。
加護が弱いのでは、ありません。
ひとりで。
すべてを。
背負おうと。
しているのです。
どうか。
あの方を。
支えてあげてください。
休ませてあげてください。
力は。
すり減らすものでは、なく。
ゆっくりと。
めぐらせるものだと。
そう。
お伝えください」
それは。
聖女に戻る、ことでは、なかった。
座を。
奪い返す、ことでも、なかった。
ただ。
苦しむ、ひとりの少女を。
案じる。
それだけの、言葉。
けれど。
その言葉に。
ヨナスが。
そっと。
頭を下げた。
「……必ず。
お伝えします」
彼の目には。
最初に、会ったときの。
事務的な、色は。
もう。
なかった。
ただ。
何か。
大切なものを。
見つけた者の。
静かな、光が。
あった。
◇
使者たちが。
去っていく。
その背を。
町の人たちと。
見送りながら。
ユリウスが。
ぽつりと。
言った。
「……これで、終わりでは、ないだろうな」
「ええ」
私は。
頷いた。
神殿は。
きっと。
また。
何か。
言ってくる。
私の過去を探る、影も。
まだ。
消えては、いない。
波紋は。
これからも。
続くのだろう。
けれど。
私は。
もう。
ひとりでは、ない。
「ユリウス様」
「なんだ」
「私、ここに、いられて。
よかった」
その言葉は。
ずっと。
問いだった。
「ここに、いても、いいのですか」と。
それが。
今。
初めて。
問いでは、なく。
答えに。
なった。
私は。
ここに。
いたい。
ユリウスは。
私を。
見た。
そして。
今度は。
逃げずに。
まっすぐに。
笑った。
「ああ」
短い。
けれど。
何よりも。
温かい。
返事だった。
辺境の。
高い空に。
秋の。
澄んだ風が。
吹いていた。
白百合の。
季節は。
とうに。
過ぎたけれど。
私の、胸の奥には。
今。
確かに。
何か、温かいものが。
静かに。
咲いていた。
第三章「静かな波紋」まで、
お読みいただき、
ありがとうございました。
神殿の、ふたたびの使者。
それでも戻らないエルナと、
彼女を守る、町とユリウス。
「ここにいてもいいか」という問いが、
少しずつ、
「ここにいたい」という答えに、
近づいていきます。
次話からは、第四章「冬支度」。
辺境に、長い冬が訪れ、
そして、王都から、
思いがけない客が、近づいてきます。
少しでも、あなたの心が、
ほどけて、休まる時間に、
なっていましたら、嬉しいです。
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