第14話 静かな波紋
噂が、辺境まで届くのには。
少しの、時間がかかった。
けれど、届いたときには。
それは、ずいぶんと大きくなっていた。
「なあ、エルナさん」
市場で、パン屋の主人が、声をひそめた。
「王都の神殿が、えらいことになってるって、聞いたぜ」
「えらいこと……?」
「新しい聖女さまの、お力が、うまく働かないんだとさ。
大きな儀式で、失敗したって。
それで、神殿は大慌てだって、話だ」
私は。
セシリアの手紙を思い出した。
人々の前で、揺らいだ、加護。
その、ほころびは。
もう、王都の外まで広がっていた。
◇
噂は、それだけではなかった。
行商人が、別の話を運んできた。
「王都で、妙なことを聞いたんだ」
彼は、教会で、茶を飲みながら。
声を落とした。
「あんたのことを探っている、貴族がいるらしい」
「私を……?」
「ああ。
エルナという、元聖女の、生まれや血筋を、やたらと気にしている、お人が」
私は。
少し、眉を寄せた。
生まれ。血筋。
私が、幼くして、家から神殿に出された、あの経緯。
それを、気にする者がいる、という。
私自身、よくは知らない、過去だった。
なぜ、私はあんなにも幼くして、神殿に捧げられたのか。
その問いは。
ずっと、胸の奥に沈んでいた。
「……心当たりは、ないのですが」
私が、言うと。
行商人は、肩をすくめた。
「まあ、気をつけな。
王都の貴族ってのは、たいてい、何か企んでるもんだ」
私は、頷いた。
波紋は。
ふたつ、あった。
ひとつは、セシリアのほころび。
もうひとつは。
私の過去を探る、誰かの影。
そのふたつが。
静かに、辺境へと近づいていた。
◇
その夜。
ユリウスが、教会に来た。
今日は、口実を持っていなかった。
ただ、まっすぐに、本題を切り出した。
「噂は、聞いた」
彼の声は、低かった。
「神殿が、お前を呼び戻そうとするかも、しれない」
「……かも、しれませんね」
私は、静かに答えた。
「けれど、私は戻りません。
何度、言われても」
ユリウスは。
私を、じっと見た。
そして、言った。
「お前が、そう決めているなら。
俺は、それを守る」
その言葉に。
私は、顔を上げた。
「守る……?」
「ああ」
ユリウスは、迷いなく頷いた。
「ここは、俺の治める土地だ。
お前は、この土地の人間だ。
もう、よそ者ではない。
神殿が、何を言ってきても。
お前の意思を、踏みにじることは、させない」
その声には。
いつもの、不器用さは、なかった。
ただ、領主としての。
いや。
ひとりの、男としての。
まっすぐな、決意だけが、あった。
「……ありがとうございます」
私は、言った。
ずっと。
私は、ひとりで身を引いて、ひとりで距離を取って、生きてきた。
誰かに、守られることなど。
望んでも、いなかった。
それなのに。
今、この人は。
「お前を守る」と、言ってくれた。
その言葉が。
凍えていた、心の、いちばん奥まで。
じんわりと。
温かく。
染みていった。
◇
ユリウスが、帰ったあと。
私は、窓辺に立った。
辺境の、夜空は。
王都より、ずっと、星が近かった。
波紋は、近づいている。
けれど。
私は。
もう、ひとりではなかった。
町の人たちが、いる。
マレンが、いる。
そして。
ユリウスが、いる。
「守る」と、言ってくれる人が。
いる。
私は、そっと。
胸に、手を当てた。
ことり、と。
また、あの音がした。
それが、何の音なのか。
私は。
もう、はっきりと。
分かっていた。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
セシリアのほころびと、エルナの過去を探る影。
ふたつの波紋が、辺境に近づきます。
けれど、エルナは、もう、ひとりではありません。
「守る」と言ってくれるユリウスがいます。
次話「神殿の、ふたたびの使者」は、
第三章の、ひとつの山場です。
ここまで、十四話。
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