第13話 ユリウスの、昔のこと
その日、私はユリウスに頼まれて、彼の屋敷の庭に来ていた。
「庭の古い木が、弱っている」と。
「薬草に詳しいお前なら、何か分かるかも、しれない」と。
それも、たぶん、「口実」のひとつ、だったのだろう。
けれど、私は気づかぬふりをして、出かけた。
彼の口実に付き合うのが、いつのまにか、私のささやかな楽しみになっていた。
◇
領主の屋敷は、辺境にしては立派だった。
けれど、どこか、がらんとしていた。
人の気配が、少ない。
「家族は……?」
私が、ふと尋ねると。
ユリウスは、枯れかけた木の幹に触れながら、答えた。
「いない」
短い、答えだった。
「父も、母も、もう、ずっと前に」
私は、言葉を探した。
「……ご無礼を、申しました」
「いや」
ユリウスは、首を振った。
そして、珍しく、自分から語り始めた。
「父が死んだのは、俺が十五のときだ」
枯れた木を見上げる、その横顔は。
遠い、昔を見ているようだった。
「ある日、突然だった。
冬の、寒い朝に。
その日から、俺は領主になった」
「十五で……」
「ああ」
ユリウスは、小さく笑った。
けれど、それは、楽しい笑みではなかった。
「まだ、何も分からない、子どもだった。
それなのに、皆が俺を『領主様』と呼んだ。
俺の言葉を待ち、俺の判断に従った。
俺、自身を見てくれる者は、誰も、いなかった」
その言葉に。
私は、胸を突かれた。
俺、自身を。
それは。
私が、ずっと感じてきた、渇きと。
まったく、同じものだった。
「皆が見ていたのは、『領主』だ。
ユリウス、という、ひとりの人間では、なかった」
ユリウスは、枯れた木の幹を、そっと撫でた。
「だから、俺は言葉を失った。
何を言っても、それは『領主の言葉』になってしまう。
本当の、俺の気持ちなんて。
誰も、聞いてはくれない。
そう、思っていた」
私は。
ようやく、分かった。
ユリウスが、なぜ言葉を持たないのか。
なぜ、好意さえ口実の裏に隠してしまうのか。
彼は、ずっと。
「役割」の言葉しか許されずに、生きてきたのだ。
◇
「でも」
ユリウスは、顔を上げた。
そして、私を見た。
「お前を見たとき。
俺は、驚いた」
「私を……?」
「お前は、役割を自分から降りて、ここに来た。
聖女、という、重いものを。
あんなに、静かに手放して」
ユリウスの、目に。
何か、眩しいものを見るような色が、あった。
「俺には、できなかった。
降りるなんて、考えたことも、なかった。
ずっと、背負ったまま生きるものだと、思っていた。
それなのに、お前は」
彼は、言葉を切って。
それから、ぽつりと言った。
「お前は、自由に見えた。
役割を、降りても。
ちゃんと、お前のままで、いられていた」
私は、首を振った。
「自由だなんて。
私は、ただ、逃げただけ、かも、しれません」
「いや」
ユリウスは、はっきりと言った。
「逃げたのでは、ない。
選んだのだ。
お前は、『お前』でいることを選んだ。
俺には、それができなかった」
枯れた木の枝が。
風に、かさり、と鳴った。
私たちは、しばらく、黙って、その木を見上げていた。
「ユリウス様」
私は、やがて、口を開いた。
「あなたも。
少しずつ、降ろして、いいのですよ。
背負っているもの。
全部、いっぺんに、でなくても。
ひとつ、ずつ」
ユリウスは。
私を、見た。
その目が、わずかに揺れた。
「……お前が、そばに、いてくれるなら」
彼は、そう言いかけて。
「いや」
また、途中でのみこんだ。
けれど、今度は。
その続きが、何なのか。
私には、分かった気がした。
そして、私の、胸の奥でも。
同じ、言葉が。
静かに、芽吹いていた。
枯れたと思っていた、木の根元に。
ひとつだけ。
小さな新芽が出ているのを、私は見つけた。
「……ユリウス様。この木は、まだ、枯れていません」
私が、そう告げると。
ユリウスは、かがんで、その小さな新芽を、じっと見つめた。
そして、ほんの少し。
本当に、ほんの少しだけ。
笑った。
本話をお読みいただき、ありがとうございました。
十五で領主になり、
「自分」を見てもらえなかったユリウス。
役割を降りたエルナの静けさに、
彼が惹かれた理由が、
明かされました。
ふたりは、似た者同士だったのですね。
次話「静かな波紋」では、
王都の動きが、
辺境に、
近づいてきます。
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どうぞ、よろしくお願いいたします。




