第10話 ここにいても、いいのですか
秋が、深まり、
リントの町は、
収穫の祭りを、迎えた。
豊作の年だった。
広場には、
山のように積まれた作物と、
あたたかな、
焚き火の明かり。
町じゅうの人が、
集まっていた。
私は、
教会の隅から、
その賑わいを、
そっと、眺めていた。
祭りは、
町の人のもの。
よそ者の私は、
ただ、
遠くから、
見ていればいい。
そう、思っていた。
◇
けれど。
「エルナさん!
こんなところにいたのかい」
八百屋の女将が、
私を、見つけて、
手招きした。
「ほら、来な。
あんたの席も、
ちゃんと、あるんだから」
「私の……席?」
「当たり前だろう」
引っ張られるように、
広場の中央へ、
連れていかれる。
そこには、
本当に、
私のための席が、
用意されていた。
焚き火の、
いちばん、
あたたかい場所に。
「エルナねえちゃん!」
あの、
転んだ男の子――
ニコが、
駆け寄ってきた。
「ねえ、
歌、うたって!
エルナねえちゃんの、
お祈りの歌!」
「歌……?」
「マレンばあちゃんが言ってた。
エルナねえちゃんは、
きれいな声で、
祈れるって」
私は、
戸惑った。
聖女として、
私は、
無数の儀式で、
祈りを、捧げてきた。
けれど、
それは、
役割だった。
決められた言葉を、
決められた節で。
ここで、
求められているのは、
そういうものでは、
なかった。
ただ、
皆のために。
豊かな実りを、
分かち合えた、
この夜のために。
私は、
ゆっくりと、
立ち上がった。
そして、
焚き火の前で、
目を、閉じた。
口をついて出たのは、
神殿の、
荘厳な聖歌では、
なかった。
もっと、
素朴で、
あたたかい、
旋律だった。
実りに、
感謝を。
人の、
無事に、
感謝を。
ただ、
そう、
願う、
ささやかな、
祈りの歌。
歌い終えたとき、
広場は、
静まり返っていた。
そして、
次の瞬間、
わっと、
拍手が、
湧いた。
「いい歌だ!」
「もう一回!」
「エルナさん、
ここにいてくれよ、
ずっと!」
ずっと、
ここに。
その声が、
あちこちから、
飛んできた。
私は、
焚き火の明かりの中で、
町の人たちの、
笑顔を、
見渡した。
その、
どの顔も。
「聖女様」を、
見る顔では、
なかった。
「エルナ」を、
見る顔だった。
胸の奥が、
熱く、
なった。
◇
祭りの、
終わりかけた頃。
マレンが、
そっと、
私を、
教会の中へ、
呼んだ。
「見せたいものが、あるの」
彼女が、
祭壇の奥から、
取り出したのは、
古い、
革表紙の、
記録帳だった。
埃を払い、
ページを、めくる。
その、
色あせた文字を、
私は、
覗き込んだ。
「これはね、
この教会に、
代々、
伝わっている記録なの」
マレンの、
皺だらけの指が、
あるページを、
さした。
そこには、
こう、
記されていた。
『役割を捨てし者、
この地に至りて、
土は実り、
水は涸れず、
病は癒えたり。
その者、
力を、
誇らず。
ただ、
在ることをもって、
この地を、
祝福せり。
――真の加護は、
冠にあらず。
印にあらず。
人の、
在りように、
宿るものなり』
私は、
その文字を、
何度も、
読み返した。
真の加護は、
冠にあらず。
印にあらず。
人の、
在りように、
宿る。
それは、
今、
私の身に、
起きていることを。
そして、
もしかしたら、
神殿で、
セシリアに、
起きていないことを。
静かに、
言い当てているように、
思えた。
「マレン」
私は、
顔を、上げた。
「これは……
どういう、
ことなのでしょう」
マレンは、
記録帳を、
そっと、
閉じた。
そして、
私を、
まっすぐに、
見た。
「あなたが、
どう思うか。
それが、
すべてですよ、
エルナ」
その目は、
やはり、
澄んでいた。
そして、
すべてを、
分かっているような、
目だった。
私は、
窓の外を、
見た。
焚き火の明かりが、
町を、
あたたかく、
照らしている。
そのどこかに、
きっと、
ユリウスも、
いるのだろう。
ここにいても、
いいのですか。
ずっと、
問い続けてきた、
その問いに。
今夜、
町は、
答えてくれた。
いてくれ、と。
そして、
古い記録は、
もうひとつの、
問いを、
私に、
差し出していた。
――本物の加護は、
どこに、
あるのか。
その問いの、
答えを。
私は、
うすうす、
感じ始めていた。
けれど、
たとえ、
それが、
私であったとしても。
私は、
もう、
聖女の座を、
取り戻すつもりは、
なかった。
ただ、
この町で。
「エルナ」として、
静かに、
生きていきたい。
その思いだけが、
焚き火のように、
私の胸で、
静かに、
燃えていた。
第一部の、
ひとつの大きな節目まで、
お読みいただき、
ありがとうございました。
町に受け入れられたエルナ。
そして、古い記録が照らす、加護の謎。
「本物の加護はどこにあるのか」。
その問いと、
「それでも取り戻さない」というエルナの選択が、
これからの物語を、静かに動かしていきます。
ここまで読んでくださった皆様に、
心から、感謝いたします。
次話からは、
第三章「静かな波紋」に入ります。
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どうぞ、よろしくお願いいたします。




