第5話:帝都の門と、不備だらけの帳簿。――わたくしを「難民」扱いなさるなら、相応の損害賠償を。
「……ん、……。……数字が、止まったか」
低く掠れた声とともに、カエルス陛下がゆっくりと瞼を持ち上げた。
帝国へ向かう移動宮殿の室内。窓の外には、すでに漆黒の城壁と魔導灯が織りなす帝都ノワールの威容が迫っている。
「おはようございます、陛下。わたくしの『子守唄』はお気に召しましたかしら?」
わたくしが扇を畳んで微笑むと、カエルス陛下は忌々しげに眉を寄せた。
「……最悪だ。貴公の報告があまりに無機質で退屈だったせいで、意識を失っていたらしい。……だが」
彼は一度言葉を切り、自身の両手を見つめた。
「……三年来の頭痛が消えている。貴公、声に毒でも混ぜているのか?」
「あら、心外ですわ。わたくしの声に含まれているのは、純度百パーセントの『事実』だけですもの。感情という不純物を取り除いた情報は、脳にとって最も負担の少ない良薬なのですわよ」
カエルス陛下は鼻で笑い、乱れた前髪を無造作にかき上げた。
死神と恐れられる彼が、寝起きの無防備な姿を晒している。それだけで帝国の騎士が見れば卒倒するような光景でしょうが、わたくしにとっては「重度の睡眠不足を抱えた多忙な経営者」にしか見えませんわ。
馬車が帝都の正門を通過し、壮麗な黒鉄の宮殿の車寄せに止まる。
扉が開くと同時に、出迎えたのは武装した騎士たち……ではなく、不機嫌そうな顔をした初老の官僚たちだった。
「陛下、お帰りなさいませ。……して、そちらの『客』は?」
先頭に立つのは、帝国の財務次官、バルト。
彼はわたくしを一瞥し、鼻を鳴らした。その瞳には「没落した王国の令嬢が、色香で皇帝に取り入った」という下卑た確信が透けて見えますわね。
「王国からの亡命者、ヴィクトリア・フォン・アストレアだ。私の賓客として迎え入れる」
「亡命者、ですか。……陛下、帝国は慈善施設ではありません。身一つの小娘を養うための予算など、一ゴルドも残ってはおりませんぞ。特に王国との国境警備費が増大している折、このような――」
バルトが慇懃無礼に言葉を重ねる。
周囲の役人たちも、同調するように冷ややかな視線を向けてくる。
わたくしは馬車を降り、優雅に土を踏み締めた。
そして、手元の『錆びた鉄のペン』で、バルトが抱えている分厚い報告書を指した。
「予算がない、とおっしゃいましたかしら? ……奇妙ですわね。あなたのその報告書、三枚目の『魔導触媒の輸送費』の項目。……前年比で四パーセントの不自然な増額が見受けられますけれど」
「な……!? 何を、勝手なことを!」
「計算すればすぐ分かりますわ。昨年の魔石相場の変動幅に対し、この輸送コストの増大は『意図的な中抜き』でなければ説明がつきません。……ざっと見積もって、二千万ゴルドほど。これだけあれば、わたくしを百回は養えるのではありませんかしら?」
バルトの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
彼は大慌てで書類を隠そうとしたが、わたくしの視線からは逃げられませんわ。
「あ、貴様……たかだか一瞥しただけで……そんなはずが……!」
「わたくしの目は、不備のある数字を『汚れ』として認識しますの。掃除が必要なのは、わたくしの待遇ではなく、あなたのその汚れた帳簿の方ですわね」
カエルス陛下が、背後でククッ、と喉を鳴らした。
「バルト、聞こえたか。この女は、貴様らが半年かけて隠蔽した数字を、馬車を降りる数秒で見抜いた。……監査が必要なのは、どちらかな?」
「ひ、陛下……! これは、その……!」
「今すぐその報告書を書き直せ。一ゴルドでも誤差があれば、貴様の首をそのペンの代わりに地面へ突き刺してやる。――行くぞ、ヴィクトリア」
陛下の外套が翻り、わたくしたちは石畳の回廊を進む。
背後でバルトが膝をつく音が聞こえましたが、精算を告げる価値もございません。
回廊を歩きながら、陛下は小声で呟いた。
「……あいつは帝国の保守派、ゲルハルト大公の息がかかった男だ。貴公、初日にして帝国の半分を敵に回したぞ」
「あら、ちょうどよろしいですわ。わたくし、新しい土地に来ると、まずは不要な雑草を抜きたくなる性分なのです。……それより陛下。わたくしの働きに対し、相応の報酬をご用意いただけますかしら?」
「報酬だと? まだ宮殿に入ってもいないぞ」
「わたくしの報酬は金貨ではありません。……明日の夜会、そのゲルハルト大公とやらを、一番特等席で『精算』させていただけます?」
カエルス陛下の瞳に、獰猛な光が宿る。
彼はわたくしの腰を引き寄せ、不敵に笑った。
「よかろう。貴公の『監査』に、帝都の者どもを招待してやるとしよう」
王国の滅亡は、前奏曲に過ぎない。
帝国の腐敗した利権という名の巨大な山を、わたくしが根こそぎ「差し押さえ」て差し上げますわ。
「わたくしの目は、不備のある数字を『汚れ』として認識しますの」
……ふふ、帝国のエリート官僚様も、ヴィクトリア様の前では「計算ミスをした生徒」に過ぎませんわね。
陛下との距離も少しずつ縮まり、いよいよ帝国編の「本番」が始まります。
次話、帝国最大派閥との直接対決!
「亡命令嬢」だと侮る大公に対し、ヴィクトリア様が突きつける「最大級の爆弾」とは?
「ヴィクトリア様の即落ち、最高!」
「帝国の役人もボコボコにしてほしい!」
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投資していただいた分の「絶望」は、次話の夜会にて、利息を付けてお見せいたしますわ。




