第17話:「吸血鬼」の逆襲と、エラーを吐く心。――陛下、無償の宝石などはこの世に存在しませんのよ。
「……ヴィクトリア? もしもし、執行官殿。……寝たまま目を開けているのか?」
カエルス陛下の、愉しげに揺れる声が鼓膜を叩きました。
わたくしの視界の先には、陛下の掌に乗せられた、小指の先ほどの青い宝石。
魔力的な揺らぎは微小。資産価値としての時価は、金貨三百枚程度。
……ですが。
「……あ、陛下。……ええと」
わたくしの脳内演算回路は、先ほどから『対価未設定(NO PRICE)』というエラーメッセージを延々と点滅させております。
わたくしの人生において、あらゆる事象は等価交換によって成立してきました。お茶を淹れれば対価として安らぎを、国を救えば対価として利権を。
なのに、このお方は。
「……対価は、……陛下。この宝石の受領に伴う、わたくしの法的義務は何になりますかしら? 婚姻の予約? あるいは、特定の利権の譲渡? ……それとも、わたくしの私有財産の差し押さえ……?」
「く、……くははは! 貴公は、……貴公というやつは!」
カエルス陛下が、堪えきれないといった様子で肩を震わせ、ついには大声で笑い出しました。
わたくしがこれほど真剣に損得勘定をしているというのに、何を笑うことがございますの!
「いいか、ヴィクトリア。これはただの『プレゼント』だ。貴公が私の隣で茶を淹れ、私の不眠を救った。その『結果』ではなく、貴公という存在がここにいることへの……いわば、維持費のようなものだと思っておけ」
「維持費……? わたくしの、ランニングコスト、ですかしら?」
「そうだ。……それならば、貴公の帳簿にも書き込めるだろう?」
陛下はそう言うと、わたくしの手に強引にその宝石を握り込ませました。
冷たいはずの石が、陛下の体温で微かに温かい。
……維持費。
なるほど、固定資産の維持に必要な経費としての計上。……それならば、わたくし、納得がいきますわ。
「……承知いたしました。では、本件は『ヴィクトリア維持管理費』として、特別会計に計上させていただきますわ。……鑑定によれば、この青い石はノワール帝国北部の極寒地でしか採れない『星涙石』。……陛下、これを得るために、ご自身で採掘に行かれたのではないでしょうね?」
陛下の視線が、一瞬だけ泳ぎました。
……やはり。大陸最強の皇帝が、一介の令嬢のために山を登るなど。
その『人件費』を換算すれば、この石の価値は時価の百倍以上に跳ね上がりますわ。
「……後で、たっぷりと利息を請求させていただきますから。……覚悟しておいてくださいませ」
わたくしが頬を微かに染めて(これは外気のせいですわ、ええ)宝石を懐にしまうと、背後から不機嫌な「音」が聞こえてきました。
「……お話し中のところ失礼いたしますわ、お嬢様。陛下」
クロエが、捕縛されたマルクス特使を引きずりながら現れました。
マルクスは猿轡を噛まされ、芋虫のように床でのたうち回っております。
「マルクス氏が、拘束中にもかかわらず、隠し持っていた魔導通信機で外部に信号を送ろうとしておりました。……内容の暗号化は解除済みです。……『プランBを始動せよ』。……相手は、大陸商業連盟の総本山ですわ」
わたくしの心が、一瞬で『執行官』へと切り替わりました。
甘い空気は、氷のような冷徹さへと塗り替えられます。
「……プランB、ですかしら。……商業連盟が王国に対して行っていた、最後にして最悪の『嫌がらせ』……。陛下、心当たりがございますわね?」
「……魔導回路の、一斉停止か」
カエルス陛下の瞳に、冷たい光が戻りました。
大陸商業連盟が流通させている魔導具には、すべて隠された『契約の枷』が埋め込まれています。
彼らの機嫌を損ねれば、たとえ購入済みの品であっても、遠隔で機能を停止させることができる。
それは、文明そのものを人質に取った、卑劣な独占商売。
その時。
帝都の遠くで、ゴウン、と不気味な地鳴りのような音が響きました。
バルコニーから見える街の灯りが、一斉に、瞬くように消え、また灯り――。
「報告を!」
カエルス陛下が叫ぶと、伝令の兵が血相を変えて飛び込んできました。
「報告いたします! 帝都全域の魔導コンロ、および魔導揚水ポンプが機能不全に陥っております! さらに、中央銀行の魔導金庫がロックされ、現金の引き出しが不能に! 市民の間にパニックが広がっております!」
「……来ましたわね」
わたくしは、扇をカチリと閉じました。
商業連盟の女帝セレスティア。姿も見せぬまま、彼女はわたくしたちに『死』を宣告してきたのです。
エネルギーと通貨の凍結。
これはもはや、戦争ですわ。
「マルクス様。……お聞きになって?」
わたくしは床に転がる男を見下ろし、憐れむように微笑みました。
「セレスティア様は、大きな計算違い(エラー)をなさっていますわ。……帝国を凍りつかせれば、わたくしが屈すると思っていらっしゃる? ……いいえ。――これでようやく、連盟の保有する『すべての独占特許』を、無効化する法的根拠が整いましたのよ」
わたくしは懐から『錆びた鉄のペン』を取り出し、闇に沈み始めた帝都の空へと掲げました。
「陛下。……今夜は、少し忙しくなりそうですわ。……なに、心配はいりません。……わたくしが今から、商業連盟そのものを『債務不履行』で差し押さえて(・・・・・・・)差し上げますわ」
カエルス陛下が、不敵に笑い、わたくしの肩に手を置きました。
「……ああ。……貴公となら、地獄の帳簿すら書き換えられそうだな。……行こうか、執行官殿」
帝都を襲う暗闇の中。
わたくしのペンだけが、冷たく、美しく、反撃の数式を刻み始めました。
「連盟そのものを差し押さえて差し上げますわ」
商業連盟の女帝セレスティアが仕掛けた「帝都フリーズ計画」。
市民を人質に取る卑劣な攻撃に対し、ヴィクトリア様が繰り出すのは「独占特許の無効化」という、経済的な死刑宣告ですわ。
次話、ついにヴィクトリア様が商業連盟の「基幹サーバー」へとハッキングを開始!?
数字の暴力が、大陸全土の経済をひっくり返します。
「宝石を維持費として計上するヴィクトリア様、最高に好き」
「セレスティアをボコボコにしてほしい!」
と少しでも感じていただけたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をお願いいたしますわ。
利息以上の「知的蹂躙」を、次話の夜の監査でお約束いたします。
それでは、世界を買い叩くお時間ですわ。




