第4話 希望という名の圧力
王国最高会議は、王城中枢の円形議場で行われる。
王族、宰相、財務卿、軍務卿、聖堂代表、そして勇者。
そして――監査官。
アシュレイは中央に立っていた。
視線が刺さる。
議場全体が、淡い赤に染まっているのが見える。
だが、その中心――聖剣の置かれた台座から放たれる赤は、もはや霧ではない。
脈動している。
まるで心臓だ。
「では、勇者より戦況報告を」
宰相の声。
レオハルトが一歩前に出る。
「北方第三防衛線を奪還。魔物群を殲滅。被害は軽微」
歓声こそ上がらないが、議場の空気は明るくなる。
王がうなずく。
「よくやった」
勇者は頭を垂れた。
その背後で、赤が揺れる。
「続いて、監査官アシュレイより報告を」
静寂。
アシュレイは深く息を吸った。
「第四次遠征の収支についてご報告いたします」
資料を配布する。
「討伐数は前回比で減少。補給費は一・八倍。聖剣維持費は三年で三倍に増加」
ざわめき。
「戦時ゆえ当然だ」と軍務卿が言う。
「問題はそこではありません」
アシュレイの声は冷静だった。
「聖剣契約条項に基づく“未来価値の差し引き”が、国家財政を不可逆的に圧迫しています」
財務卿ドミニクが口を開く。
「抽象的だ。具体的に述べよ」
「三年以内に国債発行上限へ到達。農地担保の限界超過。兵士年金基金は二年で枯渇」
議場の空気が変わる。
「さらに」
右目が熱を帯びる。
「討伐地域における魔物再発生率が上昇。聖剣使用回数と正の相関が確認されました」
「何を言っている」
聖堂代表が立ち上がる。
「聖剣は神の祝福だ」
「数値が示しています」
「冒涜だ!」
怒号。
だがアシュレイは止まらない。
「聖剣は、使用のたびに王国の未来価値を削っています。このままでは――」
一瞬、言葉を選ぶ。
だが選べなかった。
「この勝利は、将来の子どもたちの命を削っています」
凍りつく空気。
王の表情が硬くなる。
レオハルトがゆっくりと顔を上げる。
「監査官」
低い声。
「言葉を選べ」
「事実です」
「証拠は?」
「相関と財務推計」
「推計で、今救われた命を否定するのか?」
勇者の瞳は怒っていない。
だが、傷ついている。
「否定ではありません。持続可能性の問題です」
「戦場に持続可能性はない!」
軍務卿が机を叩く。
「今守らねば、明日はない!」
議場が騒然とする。
アシュレイは感じていた。
赤が、濃くなっている。
怒りと恐怖が、負債を増幅している。
「私は、聖剣契約の再検証を求めます」
静かに言う。
「契約の凍結、もしくは再交渉を」
その瞬間、聖堂代表が立ち上がった。
「ありえぬ! 聖剣を止めれば、防衛線は崩壊する!」
「短期的には」
「では長期とは何年だ!? 魔王が待ってくれるのか!」
議場の視線が、勇者に向く。
レオハルトは、沈黙していた。
そしてゆっくりと、言った。
「……アシュレイ」
「はい」
「お前は、俺に聖剣を振るうなと言うのか」
真正面からの問い。
「振るうたびに、代償を支払っています」
「なら代償を払わずに勝つ方法を示せ」
沈黙。
アシュレイは唇を噛む。
「現時点では、ありません」
ざわめきが一段強くなる。
「代案もなく、希望を奪うのか」
宰相の冷たい声。
「私は、破滅を回避しようとしているだけです」
「破滅を回避するために、今を捨てろと?」
違う。
そうではない。
だが、言葉が足りない。
彼は数字を語れる。
だが、人の感情を動かす言葉を持たない。
王が口を開いた。
「監査官」
「はっ」
「お主の忠誠は疑わぬ」
その声は静かだった。
「だが、今この場で、聖剣を否定することは、国家の根幹を揺るがす」
「……」
「民は勇者を信じている」
王の視線が鋭くなる。
「希望を折る責任を、負えるか」
答えられない。
アシュレイの右目が、激しく脈打つ。
聖剣の赤が、王座へ、議場へ、全員へと広がる。
希望が、負債を生む。
負債が、さらに希望を求めさせる。
循環。
「……私は」
喉が渇く。
「私は、監査官です。見えたものを報告する義務があります」
レオハルトが目を閉じる。
そして。
「それで、民が動揺し、防衛線が崩れれば?」
「……」
「その責任は、取れるのか」
沈黙。
議場中の視線が、彼に突き刺さる。
赤が、重くなる。
その圧力は、まるで物理的だった。
希望という名の圧力。
アシュレイは、ようやく理解する。
自分が今、何を敵に回しているのかを。
それでも。
「隠せば、より大きな破滅が来ます」
震えない声で言った。
「ならば」
勇者が、ゆっくりと振り返る。
「決断は、国王陛下に委ねる」
議場が静まる。
王は長く沈黙し、やがて言った。
「本件は、明日再審議する」
小槌が鳴る。
「本日は解散」
ざわめきが広がる。
だが、アシュレイは動けなかった。
右目が焼ける。
視界の奥で。
赤黒い塊が、明確な形を取り始めている。
翼。
顎。
牙。
竜。
それは、議場の天井を突き破るかのように巨大だった。
誰も気づかない。
だが、彼には見える。
希望が膨張するたびに、あれは育つ。
レオハルトが近づいてきた。
「……やるなら、最後までやれ」
低い声。
「だが覚えておけ」
「何を」
「希望を折る言葉は、剣より重い」
勇者は去っていく。
議場には、まだ赤が漂っている。
アシュレイは、立ち尽くしたまま。
明日。
自分の立場がどうなるか。
理解していた。
それでも。
止めなければならない。
たとえ、自分が切り捨てられるとしても。
天井の向こうで。
負債の竜が、ゆっくりと口を開いた。




