第32話 一点集中の代償
王城地下、封印書庫。
石壁に刻まれた古代文字が、淡く光っている。
聖剣契約の原本は、中央の石台に広げられていた。
アシュレイは右目を細める。
古い条文が、まるで傷口のように浮かび上がる。
『対価は世界総体の未来可能性より支払われる』
そこまでは正しかった。
問題は、その後だ。
三代前の王による改訂条文が、赤い補筆で追記されている。
『担保範囲を王国未来歳入に限定する』
その文字だけが、黒ずんで見えた。
「……一点集中」
アシュレイが呟く。
ドミニクが静かに頷く。
「当時は戦時下だった。王都は包囲され、歳入は枯渇していた」
「迅速な資金動員のため、担保を明確化した」
セレストが冷静に補足する。
「分散された未来可能性を、国家という一つの器に押し込めた」
勇者レオハルトは腕を組んだまま、契約書を見つめている。
「それで聖剣は強くなった」
「はい」
アシュレイは答える。
「出力は安定し、戦争には勝った」
「だが」
ページをめくる。
改訂以降の発動記録が、異様に増えている。
「一点に集められた未来は、逃げ場を失った」
右目に、竜の胸部が映る。
赤黒い亀裂。
その中心に、条文が刻まれている。
――王国未来歳入。
「……あれが核か」
レオハルトが低く言う。
「はい」
アシュレイは頷く。
「削られた未来が、国家という器の中で圧縮され、歪み、形を持った」
「それが竜」
ドミニクは拳を握る。
「我々は、効率を優先した」
「恐怖の中での選択です」
セレストは淡々と言う。
「間違いとは言い切れない」
「だが代償は蓄積した」
沈黙。
地上から、低い咆哮が響く。
竜が、城壁の上を旋回している。
時間は残り少ない。
「戻せばいいのか」
勇者が問う。
「原文通りに」
「戻すだけでは足りません」
アシュレイは首を振る。
「当時の世界と今は違う」
「王国だけでは世界を支えられない」
セレストが即座に言葉を重ねる。
「一点集中をやめる」
「担保を再分散する」
ドミニクが問う。
「どこへ」
「王国、連盟、市場、民間信用」
アシュレイは契約書の余白に指を置く。
「未来は一つの器に入れない」
「薄く、広く、持続的に」
勇者は聖剣に触れる。
刃がわずかに赤黒く脈打つ。
「契約は応じるか」
聖女エレノアが静かに目を閉じる。
「合意があれば、応じます」
その瞬間、地上が激しく揺れた。
石粉が天井から落ちる。
咆哮が近い。
竜の影が、地下にも届く。
「……臨界だ」
アシュレイの右目に、未来が映る。
王都中央塔が崩れる光景。
だが同時に、金色の光が走る可能性も。
「書き換えれば消える」
「いや」
セレストが訂正する。
「分散される」
勇者がゆっくりと頷く。
「ならば、書き換える」
契約書が淡く光る。
赤い補筆部分が、脈打つように震えている。
一点集中。
効率の選択。
恐怖の中の合理。
その代償が、空を覆っている。
アシュレイはペンを取った。
「未来は担保ではない」
静かに、言葉を刻む。
地上で、竜が咆哮した。
決戦は、もう始まっている。
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