第2話 聖剣の維持費
勇者の凱旋式は、王都最大の祝祭となった。
花びらが舞い、子どもたちが歓声を上げ、商人は記念品を売りさばく。
聖剣レグナリオンが掲げられるたび、白金の光が広場を満たした。
――その中心で、赤が膨れ上がる。
アシュレイの右目には、光の奥に絡みつく無数の赤い線が視えていた。
聖剣の柄から伸びる、細い血管のようなもの。
それは空中を伝い、王城の塔へ、財務局の金庫へ、さらにその奥へと繋がっている。
「……維持費ではない。これは徴収だ」
呟きは歓声に掻き消された。
彼は人波を避け、城内へ戻る。
祝祭の熱気とは対照的に、財務局の廊下は冷えていた。
机に広げた契約書を再び読む。
《契約神器レグナリオンの維持に伴う対価は、王国の未来価値より適宜差し引く》
“未来価値”。
曖昧な語句の裏に、具体的な数字が浮かび上がる。
国債の発行残高。
来期税収の前借り。
農地収穫予測の担保化。
兵士年金基金の取り崩し。
すべてが赤。
しかも増幅している。
聖剣が振るわれるたび、赤は一段濃くなる。
まるで、魔物の血ではなく、王国の血を吸っているかのように。
「計算が合わない……」
アシュレイは新しい帳簿を開いた。
第四次遠征の戦果。
討伐魔物の総数は前回を下回る。
だが聖剣の発動回数は増えている。
戦況は優勢のはずだ。
なのに、なぜ維持費は増大する?
彼の目に、別の数字が浮かぶ。
“魔物増殖予測値”。
討伐直後の予測曲線が、逆に跳ね上がっている。
「……なぜだ」
聖剣で討ったはずの地域で、赤い影が再び増えている。
討伐が、逆に負債を増やしている。
その瞬間、背後で扉が軋んだ。
「まだ仕事か、監査官」
振り返ると、財務卿ドミニクが立っていた。
「凱旋式には出ないのか?」
「私は、数字の確認を優先します」
「数字は祝杯を上げない」
「ですが、破綻は祝ってくれません」
ドミニクは小さく息を吐いた。
「率直に言え。何が問題だ」
アシュレイは書類を差し出す。
「聖剣の維持費が、遠征ごとに指数関数的に増加しています。しかも――」
「しかも?」
「討伐地域の魔物再発生率が上昇している」
一瞬、沈黙。
「それは推測だ」
「推測ではありません。過去三回の遠征データと照合済みです」
「偶然だろう」
「偶然にしては、規則性が強すぎる」
赤が、ドミニクの足元に薄く滲む。
だがそれは腐敗の色ではない。
責任の色だ。
「戦争だ」
彼は低く言った。
「被害が出るのは当然だ」
「被害ではありません。構造的増幅です」
「……何を言いたい」
アシュレイは息を吸う。
「聖剣の契約そのものが、魔物を生む要因になっている可能性があります」
空気が凍った。
「慎め」
ドミニクの声が、初めて鋭くなる。
「それは国家の根幹を否定する発言だ」
「ですが、数値が示しています」
「数値は万能ではない」
「ですが、嘘はつきません」
ドミニクはしばらく彼を見つめた。
「……勇者は、明日、国王陛下へ報告を行う」
「存じています」
「そこでこの話をするつもりか」
「はい」
「やめておけ」
即答だった。
「今、国民は勇者を信じている。聖剣を信じている。そこへ水を差せばどうなる?」
「一時の希望より、永続の安定を」
「理想論だ」
ドミニクは書類を机に置いた。
「監査官。お前の目は優秀だ。だがな――」
彼は静かに言う。
「国家は、常に最適解で動けるわけではない」
「……」
「時には、非効率を選ばねばならん」
「それが破滅への道でも?」
「破滅を避けるための賭けだ」
アシュレイの右目が、じり、と熱を持つ。
王城の上空。
赤黒い塊が、ゆっくりと脈動する。
まるで、こちらの会話を聞いているかのように。
「私は、報告します」
静かな声だった。
「監査官としての義務です」
ドミニクは目を細める。
「その義務が、王国を揺るがす」
「揺るがせばいい」
思わず、言葉が強くなった。
「崩れるなら、最初から歪んでいる」
言った瞬間、自分でも分かった。
言い過ぎだ。
だが、引けない。
ドミニクは立ち上がる。
「……覚悟しておけ」
それだけを残し、部屋を出た。
扉が閉まる。
静寂。
アシュレイは椅子に深く座り直す。
窓の外では、まだ歓声が続いている。
勇者の名を呼ぶ声。
聖女の祝福の歌。
そのすべての上に、赤が広がる。
「見えるなら、止めるしかない」
彼は報告書の最終ページに署名した。
《聖剣契約の再検証を求む》
インクが乾く。
その瞬間。
右目の視界が、わずかに揺れた。
王城の遥か上空。
赤黒い塊の奥に、かすかな影がある。
細い指。
静かな微笑。
――観測者。
瞬きをした瞬間、消えた。
「……錯覚か」
だが、胸騒ぎが消えない。
聖剣が振るわれるたび、赤は濃くなる。
もしそれが、誰かの意図なら。
祝祭の夜空に、花火が上がる。
金色の光が弾ける。
その裏で、赤は静かに広がっていた。
明日の報告が、すべてを変える。
そう確信しながらも、彼はまだ知らなかった。
その“変化”が、自分自身の立場をも削り取ることを。




