第1話 見えすぎる男
※この物語は「武力で魔王を倒す」話ではありません。
主人公は剣も振れませんし、派手な魔法も使えません。
彼が持つのは、
「未来の歪みを視る目」だけ。
聖剣が振るわれるたびに、
国家の未来が削られていくことを視てしまった鑑定士は、
“無能”として追放されます。
しかしその選択が、やがて世界の命運を分けることになります。
追放×成り上がり×国家再建。
少し変わった“経済系ファンタジー”をお楽しみください。
王都アルディナの朝は、いつも金色に輝いている。
尖塔の上で鳴る鐘の音。石畳を洗う水の匂い。露店商の威勢のいい声。
だが、アシュレイ・ヴァルトの目に映る王都は、決して金色ではなかった。
赤い。
街路を歩く人々の背後に、うっすらと滲む赤。
建物の壁面に絡みつく、霧のような赤。
王城の上空に漂う、巨大な、濁った赤黒い塊。
「……増えている」
誰にも聞こえない声で呟く。
彼の右目には、常人には見えないものが視えていた。
収支の歪み。
積み上がった負債。
未来に支払われるはずの“代償”。
それらは、赤い光となって世界に浮かび上がる。
王城へと続く大通りを歩きながら、アシュレイは帳簿をめくった。
勇者遠征団・第四次北方遠征の中間報告。
討伐数、三百七十二。
死傷者、二十五。
補給費、前回比一・八倍。
数字だけを見れば、勝利だ。
だが彼の目に映るのは、別の現実だった。
討伐された魔物の背後に、さらに濃い赤が発生している。
遠征隊の本営から、王城へと伸びる細い赤い線。
そして――聖剣を中心に、渦巻く巨大な赤黒い光。
「維持費が、増えすぎている」
聖剣レグナリオン。
王国の希望。魔王に対抗する唯一の切り札。
だがその契約維持費は、ここ三年で三倍に膨れ上がっていた。
誰も気づいていない。
いや、気づこうとしていない。
王城の門をくぐると、赤はさらに濃くなる。
城壁の上にまで赤い霧が絡みつき、まるで王都そのものがゆっくりと出血しているかのようだった。
財務局の執務室に入ると、若い書記官が顔を上げた。
「アシュレイ監査官。勇者遠征団の報告書、揃っています」
「ありがとう。追加で、聖剣の契約更新書も」
書記官が一瞬だけ眉をひそめる。
「……あれは、王国機密です」
「私は監査官だ。見る権利がある」
淡々と告げると、書記官は黙って書類を差し出した。
契約書に触れた瞬間、右目が熱を帯びる。
赤が、跳ね上がった。
まるで、契約書そのものが血を流しているかのように。
「……これは」
契約条項の末尾。
微細な追記事項。
《対価は王国の未来価値より差し引く》
未来価値。
曖昧な言葉だ。
だが彼の目には、それが何を意味するか、はっきりと視えていた。
国債発行量の増大。
農地担保の前借り。
出生率の低下。
兵士年金の繰延。
すべてが、赤。
聖剣を振るうたびに、王国の未来が削られている。
「勝っているようで、負けている」
それが彼の結論だった。
だがその結論は、あまりにも冷酷だ。
勇者は、命を懸けて戦っている。
民衆は、その背中に希望を見ている。
そこへ向かって、「赤字です」と言い放つのが、どれだけ無神経なことか。
理解している。
だが、目を逸らすことはできない。
執務室の扉が開いた。
「監査官殿」
低く落ち着いた声。
振り向くと、黒衣の男が立っていた。
財務卿ドミニク・エルバート。
「勇者遠征団の件で、報告があるとか」
「はい」
アシュレイは書類を差し出す。
「補給費の異常増加。聖剣契約の負債膨張。このままでは、三年以内に王国財政は限界を迎えます」
ドミニクは無言でページをめくる。
その表情は変わらない。
「……数字上は、問題ない」
「表面上は、です」
「戦争中だ。平時の基準で語るな」
「これは基準の問題ではありません。構造の問題です」
赤い霧が、ドミニクの背後にも薄く漂っているのが視える。
だが彼は、腐敗してはいない。
合理的なだけだ。
「勇者は、勝っている」
「はい」
「民は、安心している」
「はい」
「ならば、今はそれでいい」
静かな断言。
アシュレイの胸の奥で、何かが軋む。
「未来を削って得た安心です」
「未来など、魔王に滅ぼされれば意味がない」
正論だ。
彼の言葉も、正論。
どちらも間違っていない。
だが、赤は増え続けている。
王城の上空。
赤黒い塊が、ゆっくりと脈打っている。
まるで、何かが孵化するのを待っているように。
「……私は、監査官です」
アシュレイは静かに言った。
「見えるものを、報告する義務があります」
ドミニクは視線を上げる。
「その“見える”という言葉。便利だな」
「事実です」
「ならば、その目で見ているのは、国家か? それとも数字か?」
一瞬、言葉に詰まる。
彼の目には、確かに数字が視える。
だが、涙は視えない。
「国家です」
そう答えたが、自信はなかった。
窓の外で、鐘が鳴る。
勇者遠征団の帰還を告げる鐘だ。
歓声が上がる。
民衆が広場に集まり、花を投げる。
アシュレイも窓辺に立った。
勇者レオハルトが、聖剣を掲げている。
光が差し、歓喜の声が広がる。
その背後で。
聖剣から伸びる、赤い鎖。
王城へ、王都へ、国境へと絡みつく鎖。
「……」
胸の奥が、重くなる。
彼は確信していた。
このままでは。
赤は、いつか形を持つ。
そして、国そのものを喰らう。
見えすぎる目は、祝福ではない。
これは、呪いだ。
だが。
「止めなければならない」
誰が嫌おうと。
誰が怒ろうと。
彼は、報告書をまとめ始めた。
その手が、王国の運命を揺らすことになると知らずに。
窓の外。
赤黒い塊が、わずかに蠢いた。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
ブックマークをして、続きを楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。




