5.自覚 (ノルディス視点)
「おい、シャルに会ったか?」
・・・相変わらず兄上は突然だ。
入学式の朝、寮を出て講堂に向かって歩いている途中に、兄上が走り寄ってきたので、何かあったのかと思ったのだが。
さっきから忙しそうにしているというのに、そんなことで時間を浪費していいのか。
思わず呆れたような顔をしてしまったことに気づいたのか、兄上は少し不貞腐れたような顔つきになった。
「そんな顔をするってことは、会ってないな?ふん、お前には教えてやらん」
そう言うだけ言うと、兄上はまたさっさと走り去ってしまう。
なんなのだ、一体。
行った先で誰かに呼び止められ、何か資料を見ながら話しこんでいる兄上。
本当に忙しそうだ。それはわかる。わかるからこそ、なぜわざわざそれだけのことを言いに来たのかがわからない。
・・・シャルに、何かあったんだろうか?
母上は、病で彼女がやせてしまったと言っていた。まさか、あの健康そうな彼女が、病人のような姿になっているとでも?どうにも想像がつかないが。
ただ、兄上の様子を見る限りでは悪い変化ではなさそうな気もする。
まあいい。この後、入学式では間違いなく彼女に会えるのだから。
講堂の前に着いたが、まだ新入生の入場は始まっていないようだった。
早めに寮を出たのだから仕方がない。遅刻するよりはいいだろう。
周囲にはちらほらと新入生の姿があるが、むしろ多いのは誘導などの準備のために走り回っている上級生たちだった。
兄上は、去年の秋からハーディエンス学院の運営会に所属しているらしい。
運営会とは、その名の通り学院の生徒自治運営の中心となる会だ。
学院では、最低限の決まりや昔からの不文律はあるものの、基本的には生徒の自主性を重んじている。
だからこそ生徒たちはよりより学院生活を送るために必要な自治を、運営会を中心として行うのだ。
正直、兄上が運営会に所属したと聞いて驚いた。
学院自治の中心と言えば聞こえはいいが、大変な仕事なのは想像がつく。
時には学院と生徒たちの意見が食い違うと板挟みになることもあるし、普段は雑用も多いと聞く。
兄上は、そういう面倒くさいことはあまり好まない性質なのだが。
それでも運営会に入るためには本人の意思ももちろんだが、生徒半数以上の承認を得なければいけないので、望んだうえで承認が得られたのは間違いない。
学院はいわばプレ貴族社会。
この運営会に所属したうえで立派に役割を務めあげれば、その評判は卒業してからも付きまとうので希望者は多いのだ。
王都の中枢で、重要な職に就きたいのなら必須ともいえる登竜門であった。
もちろん父上も、学院生時代はこの運営会に所属していたとか。
・・・きっと、兄上は本気で父上の後を継ぐことを決意したに違いない。
「ノルディス殿」
後ろから声がかかる。
振り向くと、ゼファス殿が立っておられた。
「おはようございます、ゼファス殿。お久しぶりですね」
「ああ・・・久しぶり。豊穣の宴以来だろうか?」
「そうですね。そのあとの学院祭には、私は来れなかったもので」
ゼファス殿は工房での仕事の関係で、昨日の入寮は夜遅くだったらしく、朝も姿を見かけなかった。なので、今会うのが本当に久々なのだ。
そんな話をしていると、ゼファス殿がちょっと頭を掻きながら言い出した。
「その、ノルディス殿。できれば、その丁寧な口調は控えてもらえないだろうか」
「え?」
「せっかく、同じ学院生として一緒になったのだから、これからは侯爵家の子息同士ではなく友人としての付き合いをしたいのだが」
思いもかけない提案に、少し驚く。
確かに私も兄上とシェアト殿のような気心の知れた関係には好意を持っていたし、自分もそんな友人を得たいと思っていたのだ。
もちろんシャルも友人ではあるのだが・・・友人、ではあるのだが。
そこから先は続かなくて、私は気持ちを切り替えてゼファス殿に言う。
「もちろん構わない。・・・ノルディスと、そう呼んでくれれば」
そうか、とゼファス殿・・・ゼファスは笑って手を差し出した。
「よろしく、ノルディス」
「ああ、よろしく、ゼファス」
私たちはしっかり握手を交わし、少し肩の力を抜いて話す。
「忙しいみたいだな。昨日も遅かったと聞いた」
「ああ。しばらくは、休みの日には工房へ戻るつもりだ。女子生徒たちの髪飾りの注文生産が完了していなくて、手が足りない」
「そうか。この時期はそれがあるのだな」
そんなたわいもない話をしていると、不意にゼファスが「おい!」と言うなり前に立っていた男子生徒の肩を支えた。
その男子生徒が急にふらついたことに気づいたのだろう。
私も危ないとは思ったものの、ゼファスの様に即座に手を出すことは出来なかった。
「あっ・・・ご、ごめん」
彼は辛うじて倒れることなく、ゼファスの手を借りで体勢を立て直したが顔色は真っ青だ。
ここに立っているということは、新入生のようだが。
「大丈夫か?医務室へ向かうか?」
声をかけると、彼は力なく首を振る。
「いや、大丈夫だよ。ちょっと、緊張しちゃって・・・はは」
ぎこちなく笑う彼の顔に、見覚えはない。おそらく王都住まいではなく、どこか辺境から来た生徒なのだろう。
ならば、緊張するのも当然か。
そこへ、コップに入った水を持って1人の男子生徒がやってきた。
私たちが傍にいるのを見て少しひるんだようだったが、それどころじゃないと思ったのか近寄ってきて水を差し出した。
「マウリ、ほら」
「ありがとう・・・」
マウリと呼ばれた男子生徒は、コップに入った水に口をつける。
水の味を確かめるかのように少し口に含んで飲み込むと、その後は一気に水を飲みほした。
褒められた仕草ではないが、ここは夜会でも茶会でもないのでまあいいだろう。
「はあ・・・美味しい。生き返った。ありがとう、アル」
そのやり取りを見ていたのか、上級生の女生徒がコップを受け取って持って行ってくれる。
そして、2人の男子生徒は改めて私たちの方を向いた。
「君たちもありがとう。その、えっと・・・」
屈託のない笑顔でそういうマウリに、アルと呼ばれていた彼が「おい」と声をかける。
「え?」
「お前、園遊会で説明しただろ。この方たちのこと」
「・・・されたっけ?」
「絶対した!忘れてんじゃねえ!」
そんなやり取りをした後で、アルが私たちに向かって頭を下げた。
「失礼いたしました。アーノルド・ラングドンと申します」
自分には粗雑な物言いの彼が、急にそんな風に丁寧な口調になったことで何かを察したのだろう。マウリの方も慌てて頭を下げてきた。
「えっと、マウリッツ・モントレーです。助けてくれてありがとう」
「・・・ありがとうございます、だろ!」
「あ!ありがとうございます!」
言い直す彼に、思わず苦笑して言う。
「構わない、同じ1年生なのだから改まる必要はない。私はノルディス・ハーディエンスだ。こちらがゼファス・アルトゥース」
ゼファスは軽くうなずく。
そのゼファスと私の顔を見比べて、アーノルドはやっぱりという顔で肩を落とし、マウリッツはまた顔色を青くした。
「は、ハーディエンス・・・それからアルトゥース・・・」
「・・・気にするな。ノルディスが言うように、ここは学院だ」
ゼファスが声をかけて、ようやく倒れそうになるのは踏みとどまったようだ。
私も彼の言葉にうなずいて、続ける。
「ハーディエンス学院は皆平等であり、学院外での立場を越えて友情を築く場だ。他でもない私がそう言っているのだから、信じて欲しい」
私たちに対峙している彼らは顔を見合わせていたが、やがてマウリッツの方がにっこりと笑った。
「うん、他でもない君が言うんだから信じるよ。どうか、僕のことはマウリって呼んでね」
「マウリ!」
焦ったようにアーノルドが言うが、マウリは「大丈夫だよ」と彼の肩を叩く。
アーノルドは仕方ないといったようにふぅっと大きく息を吐くと「俺のことはアルでいい」とだけ言った。
そこからはマウリとアルが自分たちのことを少し話してくれた。
マウリは王都の北東部にある伯爵家の出身で、アルは同じく北東部にある子爵家の出身。隣同士の領地ということで子供の頃から身分を越えた友人だったのだとか。
「こいつ、いっつもぼーっとしてるから、俺がついていないと駄目だった」とはアル談。
それというのもマウリにはすでに成人している兄上が1人と姉上が2人いるらしく、皆に可愛がられて育っているため、少しおっとりとした性格のようだ。
それに対してアルは子爵家とはいえ北部地域ではそこそこの規模がある、ラングドン商会の長男。父上に連れられて王都に来ることも多く、アルトゥース工房とも関わりがあるのだとか。
「それは・・・知らなかった、すまない」
驚いたように言うゼファスに、アルは首を振る。
「いや、俺もまだ見習いだからほとんど馬車で荷物番さ。宴の時の売買には必ずついてきてるから、それで少しは王都慣れしてるってだけで」
「僕は全然領地から出ないから、いつもアルに話を聞くのが楽しみなんだ」
そう言ってニコニコ笑うマウリ。
それで私たちのことも知っていて、マウリに教えたりしていたのか。
そんな話をしているうちに、だんだんと新入生の姿が増えてきた。
マウリが戸惑ったようにきょろきょろと周りを見回す。
「園遊会の時も思ったけど、すごい人だよね・・・」
「そうか?確か120人ぐらいだろ。宴の時に城下の貴族街や平民街に行ってみろ、もっとすごいぞ」
「アルは基準がおかしいよ」
2人の遠慮ないやり取りは、入学式を前に少し肩に入っていた力を抜けさせる。
少しは私も、緊張していたらしい。
話をしながらもまだ周りを見回していたマウリが、ふと一角に目を止めて言う。
「アル、パトリシア殿だよ」
「・・・ああ、気づいてた」
「さすが!」とマウリはクスクス笑った後で、「一緒にいる綺麗な子は誰だろう?」とつぶやいたので、なんとなくそっちに目を向けて。
その瞬間、時が止まったような気がした
無意識のうちに、何度も反芻していた記憶の中の姿。
その姿と同じなようでどこか違う彼女。
1年前はまだ子供と言ってもよかったのに、今の彼女は完全に「女性」としての姿だ。
顔立ちが一気に大人びているのに、どこか子供っぽい無邪気な表情。
身体つきが丸みを帯びた女性のラインになっていて、こんな風に見るのは失礼だとわかっているのに目を逸らせない。
可愛いとも綺麗とも言い表せない、ただただ魅力的なその姿。
・・・兄上が言いたかったのはこの事か。
相変わらずその澄んだ青い瞳をキラキラと輝かせ、夢中になって友人たちと話し合っている。
時折吹く風に髪を押さえるそのしぐさも、屈託なく笑うその笑顔も。
自分の知っている姿と何も変わっていない、なのになぜこんなに胸が騒めくのだろう。
「・・・シャルリア殿か」
ゼファスのつぶやきに我に返る。
「シャルリア殿?あの背が高くて綺麗な子は、そんな名前なんだ」
「「背が高い?」」
私とゼファスの声が重なる。
「背が高いのはデイジー様だよ。アンドレア侯爵家の」
「そうなんだ・・・侯爵家のお嬢様、かあ」
アルとマウリのやり取りに、自分が勘違いしていたことに気づく。
「侯爵家のものは前へ!先に入場して、座席に着席すること!」
案内の声に、デイジー殿がこちらへ向かってやってくるのがわかる。
それを目で追うようにしていたシャルが、私たちに気づいたように見えた。
まるで、花が開くようにほころぶ笑顔。
友人たちに見せていた顔とはまた違って少し切ないような、そしてどことなく懐かしいものを見つめるかのようなそんな表情。
ああ、そうか。
きっと、この気持ちには名前があるのだろう。
物語や絵空事でしか存在しないと思い込んでいた、名前が。




