閑話5.ノルディス
後書きにお知らせがあります。
朝の身支度を自分1人で整えることにはすっかり慣れた。
春から始まるハーディエンス学院での生活は、すべての生徒が平等だ。
よっぽどの理由がない限り、寮で集団生活をする。部屋は全員が1人部屋を与えてもらっているが、それは逆に自分のことは自分でしなければならないということだ。
王都に住む貴族たちは、私を含めて幼い頃からずっと大勢の使用人に囲まれて暮らしている。
朝の身支度から始まり、洗顔、食事、下手したら風呂に至るまで誰かの手を借りて生活していると言ってもいい。
その生活から抜け出して、何もかもを自分でやるのだ。
もちろん、自分1人で身支度できるようにと学院には色々な工夫がある。
その内の1つが、制服というものだ。
男子生徒は簡易的なタキシードのような格好なので、問題なく自分出来ることが出来る。
女子生徒はドレスだと1人では着れないと思われるが、制服はドレスに比べるとかなり簡素だ。
母上のような侯爵家の令嬢ですら1人で問題なく着れたというのだから、合理的だと思う。
また、全員が同じ格好をすることにより、家柄や財産状況の差も出ないので、学院の目指すすべての生徒が平等という理念にかなっている。
今年、マリーアンジュ王女殿下が入学されることで、そのあたりの見直しが必要ではないかという意見が出たらしい。
数年前に王太子殿下が入学された時は特に何も変更はなかったらしいのだが、マリーアンジュ王女殿下は女生徒だ。
身支度を整えるのに1人では難しいのではないかというのがその理由だったそうだが、父上が「全員が平等ということに変わりはない。特例もない」と一蹴したらしい。
もちろん国王陛下も「王女だからといって特別扱いは無しにしてもらいたい」と口添えされたらしく、伝統あるハーディエンス学院の理念は守られたことになる。
我が家でももちろんそれはよくわかっていたため、兄上も入学する1年前からは着替えも何もかもを1人で出来るようにと手を離されていた。
私も、少し早かったが兄上が入学したと同時にそのようにしてもらった。
最初は少し苦労したが、慣れてしまうと自分1人でなにもかもこなすというのは、自分だけの予定を組めるので大変やりやすいということに気づいた。
ただし、その分自己責任というものが付きまとう。
身支度はもちろんだが、自室での起床時間や整理整頓、就寝時間など規律を持って生活していかなければならないため、これぐらいいいだろうと緩めると、どこまでも堕落していく可能性がある。
そういった危険性を回避するために必要なのが、ひょっとしたら友人という存在なのではと思っている。
なぜならば、兄上がそうだからだ。
兄上は幼い頃から私に言わせればいい加減で、やんちゃだったと思う。
少し年が上がってくると、今度は何をふてくされているのかという怠惰な態度が加わり、私ともろくに会話をしようとはしなくなった。
このままでは学院でもうまく過ごせないのでは、と幼いながらに少し心配していたのだけれど、父上も母上も何も言うことはなかった。
ところが、ハーディエンス学院へ入学してどれぐらいたったころだろうか。
休日も全く家に戻って来なかった兄上が、久々に家に帰って来たかと思うと最近出来た友人の話を始めたのだ。
それが、シェアト殿だった。
「俺が寝過ごすと、シェアトがわざわざ叩き起こしに来るんだよ」って苦笑しながら言う兄上の表情は、もうどこにもつまらなさそうな影はなかった。
私にも、そんな友人が出来るだろうか。
机の引き出しを開けて、一番奥から箱を取り出す。
その中にしまってある、数通の手紙の束。
私にとっては、現在唯一友人と呼べる存在から届いたものだ。
何度も読み返したその手紙をかさりと開けると、見慣れてしまった少し丸めの癖のある文字が目に飛び込んでくる。
少し前に届いたこの手紙には、冬月になってようやく領内が落ち着いたというのに、流行り病をもらってしまってすっかり寝込んでしまったと書かれていた。
でも、忙しい時期に寝込まなかったんだから、私ってば運いいよね!という文章は何度読んでも笑ってしまう。
流行り病にかかっておきながら、運がいいってのはないだろうと思うのだが。
でも、そういう突拍子もない考え方で毎日を楽しく過ごしているのだ、このシャルリアという少女は。
そんな彼女が微笑ましいと思う反面、腹立たしいとも思う。
・・・皆がどれだけ心配したと思っているんだ。
本来なら、忙しさがひと段落したこの冬月に、シャルはまた我が家へ来ることになっていた。
学院へ入学するための最終準備として、モーリス先生による勉強の進度の確認やら、母上による礼儀作法の総仕上げ、芽吹きの宴用のドレスの確認などが行われると聞いていた。
また、アンドレア侯爵家からはお茶会の招待状が届いていたし、アルトゥース侯爵家からもぜひ工房へ来てくれと言われていた。
それなのに、だ。
予定の直前になり、この秋ぐらいから流行り始めた病がフロンターレ領に到達したらしく、学院の寮にいたシェアト殿をのぞいて領主夫妻とシャルの3人が一気に寝込んだらしい。
モーリス先生曰く、体調は気が緩み始めたころに崩すものなのだとか。
秋月の忙しさで元々体調管理がおろそかになっていたところに、寒さと流行り病が来てしまったのでしょうな、と苦笑しておられた。
予定が大幅に狂い、大騒ぎになったのは言うまでもない。
皆が見舞いに行きたがったのだけれど、シェアト殿がわざわざ来てもらうのは申し訳ないと言われたのと、そんな大勢が押しかけたらかえってフロンターレ家の方々に迷惑がかかるでしょうという母上の意見で全員引き下がった。
そこで、とりあえずは直接シャルとシャルの母上殿に会って、芽吹きの宴の打ち合わせをする必要があるという母上だけがフロンターレ領に向かうことになった。
あちこちからそれを聞きつけたお見舞いが届いて、母上が乗って行く馬車とは別にお見舞い品用の馬車が用意されたほどだった。
驚くことに、なぜかクレイモス公爵様からもお見舞いが届いていた。
内容は、今王都でとても人気が出ているチョコレートというお菓子らしく、なかなか手に入らない品として有名だ。
それをあっさりと手に入れた公爵様にはさすがとしか言いようがないが・・・。
なんとなく、心がざらつくのはなぜなのだろう。
自分は絶対手に入れられないものであるし、それをもらったシャルがどんなに喜ぶかということは想像がつく。
なのに、その喜ぶ顔は見たくないような気がする。
母上は2日間だけフロンターレ領に滞在して、戻って来られた。
フロンターレ伯爵夫妻も、そしてシャルもすっかり元気になっていたようで、ほっとしたと言っておられた。
ただねえ、とため息をつく母上。
「シャルちゃんが病で少しやせちゃって、ドレスのサイズがちょっと合わなくなっちゃってるのよね。急いで『ソレイユ』に手直しを頼まなくちゃ」
「大丈夫なのですか、シャルは!」
意気込んで聞くと、母上はふわっと笑って私を見る。
「大丈夫よ、本当に元気だったわ。それに、秋月で少し太ったらしいからちょうどいい体形になったって笑ってたわよ」
「・・・忙しいのに太るのですか」
「フロンターレ領は、美味しいものがいっぱいあるから仕方ないわね」
母上は、お見舞いのお礼にと色々なものをいただいたとかで、フロンターレ領から持ち帰っておられた。
まずは、今年のブドウで造られたワイン。ヌーヴォーと言うらしく、それには父上も思わずニヤリと笑っておられた。
「今年の出来は最高にいいらしいと聞いたからな」とは父上談。
アンドレア侯爵様とアルトゥース侯爵様、そしてクレイモス公爵様にも贈られたらしい。
そして、私達未成年者にはワインと同じブドウから作られた、果実水。
果実水と言っても、夏月に飲むような水に果実の汁を絞って風味をつけたものではない。
水も砂糖も入れず、絞ったブドウの汁だけを煮て瓶詰したものなのだとか。
これにお酒のもととなる酵母というものを入れるとワインになるらしいので、本当にワインに近い飲み物だ。
これが驚くほど美味しかったのだ。お酒がまだ飲めないシャルが考案したものらしく、それを聞いて再び驚いた。
「彼女の美味しいものへの探求心は果てしないな」とそれを飲んだ兄上も感心したように言っていた。
母上は最後に、私宛にと小さな包みと手紙を渡してくれた。
自室へ戻り、そっとそれを開くと中からは薄い紫色の綺麗なハンカチが出てきた。
シャルにハンカチを貸して、それをそのまま取られてしまったことはまったく気にしていなかったが、あれだけけろっとしていた彼女は意外にも気にしていたのだろうか。
新しい白いハンカチを購入し、そしてそれをブドウの皮で染めたらしい。
食べ物の皮で布を染める?どうしてそんな発想が出るのかわからないが、とても綺麗な色だ。
我が家では母上に教わって刺繍もしていたようだが、その成果を見て欲しいのだろうか。ちゃんと、私のイニシャルも入っている。
ちょっといびつなその形は、母上には見せないことにした。私からの情けと思って欲しい。
一緒についていた手紙が、忙しい時期に流行り病にかからなくてよかった、という内容のものだった。
そして、久しぶりに会えると思ったのに残念だとも書かれていた。
・・・シャルとは、あの春月の日にフロンターレ領へ戻るのを見送って以来会えていない。
夏月と秋月の宴には父上から誘いをかけたらしいのだが、あまりにも忙しくてシャルの手伝いが必要不可欠だという返事があり、無理強いは出来ないとなった。
秋の学院祭には顔を出していたらしいのだけれど、ちょうどその時に私は運悪く流行り始めたばかりの病にかかって寝込んでいた。
しかし、皆がシャルに会いたがっていたにも関わらず、ほとんど会えなかったらしい。
我が家も母上とナタリーだけしか会えなかったようで、不満そうな兄上になぜかちょっとほっとしたのだった。
読み返していた手紙を丁寧にたたみ、また箱の中へとしまう。
何通やり取りしただろうか。
日々のたわいもないことから勉強の進み具合まで、色々なことを書いては送り、返事を心待ちにした。
しかし、もう手紙でのやり取りはほとんどしなくなるだろう。
机の引き出しを閉めて、鍵をかける。
大事なものなので、誰にも見せる気はない。
そして、大きく部屋の窓を開けた。
まだ少し冷たい空気が入ってくるが、それはどことなく甘い花の匂いも含んでいて、春が近いことを思わせる。
後ろの寝具を振り返ると、用意された荷物がいくつか置いてある。
この休みが終わると、いよいよ春月。
そして、私はハーディエンス学院へと入学する。
君に会える春が、もうすぐやってくる。
いつもこの小説をお読みいただき、ありがとうございます。
閑話はこれにて終了とし、次回からは第2章の開始となります。
それに伴い、明日20日の日曜日から22日火曜日までお休みをいただきます。
23日水曜日より、また更新する予定です。
この連休中に、出来るだけ書き溜めておくように頑張ります!
どうぞ、よろしくお願いいたします。




