閑話3.デイジー
「・・・緊張いたします、母上」
「まあ」
思わず漏らした私のつぶやきに、母上はそっと背中をさすってくれた。
「大丈夫よ、アムリータ様はあなたが姿勢が綺麗だと言っておられたわ。あとは、もう少し優雅に動けるように意識しなさいと」
「はい。・・・そこが難しいのですが」
少し顔をしかめると、母上はかかとをあげて手を伸ばし、ちょんと私の眉間をつつかれた。
「ほら、ここにしわが寄っちゃってるわ。可愛い顔が台無しよ」
「母上・・・お可愛らしいのは母上の方です」
母上は小柄で、笑った顔が窓辺で揺れるデイジーの花の様に可憐で愛らしい。
その花の名をもらった私とは大違いで、いわゆる名前負けとはこういうことを言うのだと最近わかったばかりだ。
幼い頃から父上の姿を見て、ずっと騎士になりたいと思っていた。
騎士になって、大好きな母上をこの世のすべてから守りたいと思っていた。
少し大きくなってからは兄上と共に鍛錬に励み、そして父上から直接指導も受けた。
今は母上を守るのは父上の役目であるし、女性ではなかなか騎士団入りは難しいとは理解したのだが、それでも私は気持ちの上だけでも母上を守る騎士でありたいといまだに考えている。きっと、それは兄上も同じだ。
父上に先日言われたのだ。
来年、私の社交界デビューに合わせて、母上が社交界復帰をされる。
「その時にリンナの傍にいて、守ってやれるのはお前なんだよ、デイジー」と。
宴の最中は父上も仕事柄、常に母上の傍にいるわけにはいかない。どうしても女性だけで過ごす場面も多く、その時には私が頼りなのだと。
母上の騎士であるためには、剣の腕だけを磨くのではダメなのだ。
王都貴族たちの悪意から母を守るためには、私自身が完璧な淑女となる必要がある。
そのためには、今までのような身の入らない淑女教育では不足だと。
そこで、母上が頼ったのは昔から信頼できる1人であった、ハーディエンス侯爵夫人だった。
ハーディエンス侯爵夫人は、先日初めてお茶会を開いて以来、時々家に来てくださる。
そして、ずっと家族としか話していなかった母上に、王都での最近の流行や巷での主な話題、昔とは変わってきた勢力関係などを丁寧にお教えくださっている。
お茶を飲みながらそんな話をする程度、とは言うものの私にとっては礼儀作法のレッスンの時間でもあった。
「デイジー様、目線が下がっていますよ。話されている相手の方へご注目なさい」
「は、はい!」
そういえば、シャルが言っていたな。直接目を見なくても、相手の鼻辺りをなんとなく眺める癖をつけたらいいと。そうしたら、こちらを見てるなと相手は意識してくれるからって。
「リンナ様、心配そうな顔でデイジー様を見ないこと。デイジー様はちゃんと出来る子ですよ」
「あ・・・はい、そうですね」
ハーディエンス侯爵夫人が厳しいのは、私に対してだけじゃなくて母上にもだ。
こうやって優雅にお茶をしつつも、鋭い指摘がビシバシと飛んでくるので緊張の時間だ。
だけど、そのようなお茶会を繰り返すうちに、私も母上もずいぶん『淑女のお茶会での態度』に慣れてきたような気がしている。
私は深呼吸をすると、褒められた姿勢だけでもきちんとしようとしっかりお腹に意識を込めて背筋を伸ばす。
この、高い身長も悩みの種だった。
どうしてもドレスは似合わないし、母上のような可愛らしい貴族令嬢にはなれない。
だけど、シャルが言ってくれた。「デイジー様に似合うドレスがありますよ」と。
彼女が書いてくれたデザインは全然知らないものだったのだけど、ハーディエンス侯爵夫人曰く、最近は王都で時々見かけるものだという。
ただ、着る人を選ぶデザインなので、なかなか挑戦する人がいないようだと。
そんなドレスが私みたいな者に着こなせるわけがないと思ったのだけど、シャルがデイジー様なら大丈夫です!!!とやたら力説していたので、信用することにした。
その「似合うドレス」を持って、今日もハーディエンス侯爵夫人がいらっしゃるのだ。
いやがうえにも緊張するのは、無理もないだろう。
やがてドアが開くと、いつもと変わらぬ朗らかな笑みをたたえたハーディエンス夫人が入っていらした。
「ようこそお越しくださいました、アムリータ様」
「ようこそお越しくださいました、ハーディエンス侯爵夫人」
私と母上は、片足をひいてカーテシーをする。
これは最初から褒められたことの一つで、鍛えているからかとても美しいお辞儀だと言われた。
なので、自信をもって行う。その自信が美しい所作につながるということも教わった。
「ごきげんよう、リンナ様、デイジー様。本日は急な申し出を受けていただき、ありがとうございます」
ハーディエンス侯爵夫人も美しいカーテシーでお辞儀を返されると、後ろを軽く振り向いた。
そちらに目をやると、大きな箱を抱えた数人の女性がおられた。
「この女性たちは、デイジー様のドレスのデザインをお願いしたお店の方ですの」
「あ、ドレスアトリエ『ソレイユ』のタニアと申します」
先頭に立っていた女性がぎこちなくお辞儀をすると、後ろに控えていた女性たちも、おそるおそるといった感じで挨拶する。
すかさず母上が、
「どうぞ緊張しないでね。私の出自のことは皆さんご存じでしょう?楽にしてくださっていいのよ」
と、フォローを入れられる。さすが母上。
と、思ったらハーディエンス侯爵夫人に軽く怒られた。
「リンナ様、ダメですよ。これから高位貴族相手の仕事がますます増えるであろうこの方々は、きちんとした態度も勉強の内なのですから」
「あら・・・そうね、そうだわ。デイジーのドレスはきっと注目されるでしょうしね」
納得されたように母上はうなずかれたが、それでも「でもここでは少しぐらい失敗しても大丈夫だから、気楽にね」と女性たちに笑いかけておられた。
すでに用意されてあった大きなテーブルに、さっそくドレスを広げてもらう。
「まあ!素敵!」
思わず、といった感じで母上が声を上げられる。
色は青。深く濃い青色で、夏月の空のような色だ。
シャルのデザインの様に肩から腰までは細見で、膝の上あたりから大きく裾が広がっている。
裾の部分には銀色の糸で刺繍がされていて、それが魔道具からの光に照らされてキラキラと輝いている。
ハーディエンス侯爵夫人は、満足げにうなずくと「どうぞ試着してくださいな」とおっしゃられた。
初めて見る形のドレスに固まっていた私は、慌てて隣の部屋へと移動して、店の人に手伝ってもらいながらドレスを身に着ける。
いいんだろうか、こんな綺麗なドレスを私などが着ても。
もっと綺麗に着こなせる人に来ていただいた方が、お店のためにもいいのではないだろうか。
色々な考えが頭をよぎるが、なぜか着せるのを手伝っている店の人もうちのメイド達もすごく楽しそうで言い出せない。
やがて皆が私を見て満足げにお互い目配せし合うと、さあさあとまた元の応接室に案内された。
「まあ、デイジー!とっても素敵よ!」
部屋に入ると、まずは母上のキラキラした笑顔。
母上は自分で表情を隠すことが苦手とおっしゃっておられるが、その笑顔を見ると心から絶賛しているというのがよくわかる。
「これは、素晴らしいわね」
続いて、ハーディエンス侯爵夫人も満足そうに何度もうなずかれる。
そのままつかつかと近づいて来られて、前や後ろを確認された後、店の人に向かっておっしゃった。
「ただ、やはり胸元が少し開きすぎね。まだ未成年なのだから、デコルテのあたりは少し隠すぐらいでちょうどいいわ。・・・そうね、このあたりまでレースで覆えるかしら?」
「はい、かしこまりました」
「では、アクセサリーを決めましょうか」
タニアという名の店の代表らしき人がメモを取り、周りの女性たちも別の箱からアクセサリーや靴等をいくつも出してきて並べ始めた。
・・・長い戦いになりそうだ。
「ふふふ、デイジー、頑張ったわね」
「はい・・・」
ちょっと放心状態で椅子に腰かけて、手にした冷たい果実水を飲む。
もう季節は秋月に入っていて最近は少しづつ寒くなってきているというのに、さっきまでの熱気が部屋には漂っている。
世の中の貴婦人たちは、夜会のために毎回このような戦いを繰り広げているのか。
ちょっと来年からが心配になってしまう。
「でも、娘の装いを考えるのって、自分のとは違ってとても楽しいのね」
母上は嬉しそうにそうおっしゃる。
たしかに母上は大変楽しそうにあれこれとハーディエンス侯爵夫人と話しながら、私にアクセサリーをあててみたり、ドレスに隠れて見えないであろう靴のデザインを悩まれていた。
「自分のドレスは途中で疲れて、どうでもよくなって来ますものね」
そう言いながら紅茶を飲まれるハーディエンス侯爵夫人に驚く。
「そうなのですか?」
「ええ」
ハーディエンス侯爵夫人はいたずらっぽく微笑まれる。
「楽しいのは最初だけ、そのうち面倒になって来ちゃって」
意外だけれど、それは本音なのだろう。
「でもやっぱり娘はいいわね・・・あとはシャルちゃんの準備もする予定になっているけれど、すぐには王都には来てくれないからほとんどルーシア任せなのよね・・・」
ハーディエンス侯爵夫人が、ため息をつきながらつぶやいた。
そう、残念なことにシャルとはしばらく会えていない。
王都から1日程度の場所にフロンターレ領があるのはわかっているのだけれど、夏月から秋月にかけての今は1年中で一番フロンターレ領が忙しい時期らしい。
遊びに行っても邪魔になるだけだし、かといって呼び寄せるのも悪いしということで、寂しいのを我慢している。
手紙も書くのは苦手だけれど、シャルからくるのが楽しみなので頑張って書いている。
「あ、そうだわ。そういえば、シャルから手紙が来てたのよ」
母上が思い出した、とばかりにメイドに声をかけて、一通の手紙を持ってこさせた。
「さっき、あなたが着替えているときに届いたばかりなのよ。よかったら、シャルが元気なのかどうか教えてちょうだいな」
ニコニコしながら手紙の開封を待つ母上に、苦笑する。
母上は、本当にシャルが大好きだ。
昔、母上が子供でまだ平民だったころの友達を思い出すらしい。
「まさか、シャルも本当は平民で養女になった・・・ってことはないわよね?」
とも言っておられたが、それは父上が明確に否定なさっていた。
確かにシャルは他の貴族令嬢たちと比べると、気さくで気取らないし表情豊かだし、園遊会で見かけた方々とは全然違う。
あれからもハーディエンス侯爵夫人様のすすめで、父上と兄上と一緒にいくつかのお茶会には参加したのだが、どのご令嬢も「仲良くなりましょう」という割には話すことは兄上のことばかりで、あまり楽しくはなかった。
封筒から便箋を取り出すと、見慣れたシャルの少し丸い文字が並んでいた。
母上と、ハーディエンス侯爵夫人にもお聞かせするように読み上げる。
「えっと・・・デイジー様、お元気ですか。リンナ様は体調を崩されておられませんか?アンドレア侯爵様は、お仕事大変でしょうね。ラルフィード様は無駄に元気だと兄様が言っておられたので、心配していません」
ぷぷっと母上が吹き出す。なぜかシャルの手紙は兄上に対していつも微妙に冷たい。
手紙の内容は続く。
今年は近年まれにみるブドウの豊作年で、その収穫とそれを使ってのワインの仕込みでフロンターレ領は大忙しだということ。
それにともなって細かい書類作業がシャルに任されてしまい、毎日それに追われているということ。
約束していた手紙もあまり書けず、短い文章になってしまって申し訳ないということ。
そして、手紙の最後には。
「・・・母上、シャルがハーディエンス学院の学院祭には来るそうですよ!」
「まあ、そうなの?じゃあ、私も少し顔を出そうかしら・・・」
「読みますね。『・・・なのでどうにか学院祭には、顔を出せる予定です。終わったらすぐに兄様と一緒に領地へ戻る予定なので、あまりお話出来ないかもしれませんが。会えるのを楽しみにしていますね』と」
私と母様は顔を見合わせて、ニッコリと笑いあった。
そんな私たちを見ながら、ハーディエンス侯爵夫人が苦笑してポツリとつぶやかれた。
「まったく・・・ライバルが多すぎて、あの子も大変でしょうね」




