閑話1.ゼファス
誰もいない工房の空気が好きだ。
朝、工房に足を踏み入れると、夏へと近づいているこの時期ですらピンと冷たい空気が漂っているのがわかる。
窓と扉を開け、夜のうちに降り積もった塵を丁寧に掃く。
掃除用の魔道具もあるのだけれど、こればかりは自分の手で朝の儀式としてやるようにと父上に言われている。
集めた塵を捨てると、工房の隣の小さな部屋へと向かった。
ここは精霊王様と風の精霊様に祈りをささげ、工房での『風の循環』がうまくいくようにと願う部屋だ。
『風の循環』のことを知ったのはいつだったか。
5歳になった時、下働きとして工房に出入りすることを許された。それまではたとえ見学ですら、許してもらえなかったのだ。
その時まで、工房は俺にとって宝箱のような場所だった。
父上が不思議な魔道具を作り出し、母上がそれを売る。買った人たちは貴族であれ平民であれ大層喜び、皆が幸せそうな顔で帰っていく。
どんな素晴らしいものが工房には待っているんだろうと、わくわくした。
実際工房に立ち入ってみると、大勢の人が行ったり来たりしながら機械や道具を使ってコツコツと作業をしていた。
大きくて派手な魔術が飛び交うわけでもないし、呪文ひとつで完成するわけでもない。
細かい単位まで測って設計図を描き、その通りに材料を組み合わせる。
それだけのことだ。
幼かった俺は、最初の頃その事実に若干がっかりしてしまったことは否定できない。
でも掃除をし、道具と機械の名前を覚え、材料の種類を覚え、それを集めてくるように言われて探しに行き、というような細かい仕事をやるようになっていくと、単純で地味だと思われたその作業がいかに大変かということがわかるようになる。
祈念室の前に、転がっていた魔鉱石を拾う。
この魔鉱石は、ハイゴッサム王国で主に産出されている魔道具作りに欠かせない材料だ。
どんな小さな魔道具でも、この魔鉱石が組み込まれている。魔鉱石なしでは魔道具は動かないのだ。
手の中の魔鉱石に、魔力を込める。自分の中の魔力が吸い込まれていくのがわかる。
淡く碧に輝いた、と思った瞬間、魔鉱石はまた元の色に戻る。
でもこれで、この魔鉱石は魔道具の中で働くことが出来るのだ。使用者の魔力を感じ取って。
このやり方を発見したとされる初代アルトゥース侯爵が、それを利用して様々な魔道具を作り出すことにより、フランズベルト王国は一大魔道具産地となった。
その初代が残した言葉がある。
「風の精霊様と『風の循環』を試みるのだ。それがうまくいけば、風の精霊様はいくらでもお力を貸してくださる」と。
代々のアルトゥース侯爵家に生まれた者は、皆その言葉を胸に刻む。
具体的に何をどうすればいいのかは、伝えられていない。自分で掴むしかないのだ。
ただ、一つだけわかっていることがある。誰に言われたわけでもないけれど。
それは、風の精霊様に常に感謝し、真摯に祈ることだ。
祈念室に入ると、まずは掃除だ。
常に綺麗な状態に保たれてはいるが、拭き掃除と履き掃除は毎日絶やさないようにしている。
祈念室とは言え、王都の大聖堂のように祭壇があるわけではない。
壁に1枚の絵が飾られてあり、その前に供物を置く小さな台があるだけだ。
ポケットに紙に包んで入れていた、今日の供物である小さな砂糖菓子を取り出す。アルトゥース侯爵家には、風の精霊様は甘いものが好きだという言い伝えが残っているため、いつも供物は砂糖菓子だ。
台の上に砂糖菓子を置き、一歩下がると胸に手をあてて片膝をつく。
今日も工房で行われる作業が、順調に進みますように。
誰一人ケガや事故などなく、安全に行えますように。
そして、願わくば『風の循環』を感じ取ることが出来ますように。
パタパタッと小さな羽音がした。
下げていた頭を上げると、供物台にちょこんと白い小鳥が止まっていた。
俺は笑って立ち上がり、声をかける。
「おはよう、シマ」
「ピュイ!」
シマは答えるように鳴くと、供物台の上の砂糖菓子と俺の顔を見比べる。
まるでそれは「食べていい?」と聞く幼子のようで、笑いを抑えることが出来ない。
「ああ、食べていいぞ」
答えがわかっていたかのように、すばやくシマは砂糖菓子を口にくわえると、器用にくちばしでパキンと割って細かくして食べていく。
先ほど掃除した床にこぼすこともないし、綺麗なものだ。
やはり、シマは・・・。
俺は、初めてシマと出会った時のことを思い出した。
工房に出入りし始めたばかりのころだ。
朝の掃除をしていると、誰かに呼ばれたような気がしたので顔を上げたが誰もいない。
気のせいか、と思い掃除に戻ろうとした時、すいっと目の前に真っ白な小鳥が下りてきた。
その時は羽音もなく、本当にいきなり現れたことにびっくりして固まってしまった。
だけど一目でわかった。この鳥は、精霊様の使いだと。
真っ白な汚れひとつない羽が、窓から差し込む朝の光に照らされて黄金色に輝いていた。
俺は自然に片膝をつき、胸に手をあてて最上位の御方に対する礼を取る。
ピュ、と小さな鳴き声が聞こえたかと思うと、顔を上げた時にはその小鳥はもういなかった。
夢か、幻か。でも、あれは絶対精霊様の使いだ。僕に精霊様の加護を与えに来てくれたんだ。
そう思い込んだ俺の幼い期待は、あっさりくじかれることとなる。
なぜなら、父上を始め工房で働く職人たちの間では、すでにその小鳥は認識されていたからだ。
お茶の時間に皆が休憩を兼ねて何か甘いものを食べていると、いつの間にかやって来る小鳥。
1人がふざけて菓子の切れ端を与えてみると、器用につついて食べてしまう。
そして満足して飛び立つと、工房の上の方から何をするでもなく工房全体を見下ろしているのだ。
毎日来るわけではなく、気づいたら天井近くに白いものが見える、という感じらしい。
フンや羽をまき散らすわけでもなく、時々お菓子をもらいに来る以外はいたっておとなしいので、皆もそのうち気にしなくなったようだ。
いわば工房全体で面倒を見ている、マスコットのような存在らしい。
正直、それは幼い俺も同じだった。
皆のやってることを黙って見たり聞いたりして、時には教えを受けて知識を与えてもらって。
なので、仲間意識と少しのライバル意識と。
そんな存在だった小さな白い鳥。
そいつがいないことに気づいたのは、冬のある昼下がりだった。
いつものように皆で休憩中、誰が言い出したのか。
「そういえば、あの鳥最近見ないんじゃないか?」と。
そういえば、と皆で記憶をたどってみると、どうやら数日前に俺が工房の開けた窓からふらっと飛んで出て行くのを見たのが最後らしかった。
工房の外で見かけたことはないが、常に工房の中にいるわけでもなかったので、すぐに帰ってくるだろうと誰もが思っていた。
だけど、何日経っても戻ってくる気配がない。
王都では雪が積もることはないが、それでも冬の冷え込みは結構きつい。
こんな寒い時に、いったいどこにいるのだろうか。
誰もが心配していたが、もう半分諦めて話題にも出さなくなった頃。
突然、工房に小鳥が帰ってきた。
その日、俺は翌日に控えた芽吹きの宴の園遊会のために、慣れない上等な衣装を身に着けていた。
寸法の最終チェックということで、身動き取れないまま工房の隣の応接間にてじっと突っ立っているだけだ。
ではこれでいきましょう、と満足そうに母上の確認が終了し、やれやれと上着を脱いだその時だった。
工房から歓声とも怒号とも言い難いざわめきが聞こえてきて、思わず俺は母上と顔を見合わせる。
「見てきます」
そう言ってそのまま工房の見学スペースに続く廊下を走り抜け、工房にやって来たところ。
嬉しそうに両手を上げてわいわい騒ぐ職人たちと、その頭上でくるくると回る白い小鳥。
・・・生きてたのか。
小鳥は俺の姿を見つけると、真っ直ぐ飛んでくる。
いつもそうやっていたように腕を伸ばすと、ひょいとその腕にとまる。
「・・・おかえり」
そう言うと、小鳥は俺の言葉がわかるかのように「ピュ!」と一声鳴いた。
「ピュイ!」
もうないのか、というような声に我に返る。
両手を広げて見せると、不満げに鼻を鳴らす。・・・鳥の癖にな。
戻ってきてからというもの、なぜかやたらと俺にひっついてくるようになった。
甘えるように身をすり寄せてくるのは可愛いが、ことあるごとに菓子をよこせと言っているらしい気がするのはいかがなものか。
さぞかし、フロンターレ領では甘やかされていたに違いない。
あの領は、鉱物資源などがほとんどない土地なので気にしたことがなかったが、果物が豊富に取れてワインづくりも盛んな領地らしい。
さぞかし、シマにとっては過ごしやすかったことだろう。
諦めて毛づくろいを始めたシマから目を離し、供物台の後ろに飾ってある絵に目を向ける。
全体的に淡い色使いで描かれた、優しい感じの絵だ。
緑の息吹が感じられそうな草花の咲く庭園で、1人の少女が動物たちに囲まれている。
この少女は、いつの時代のかはわからないが伝説のエレメンタル・プリンセスなのだとか。
エレメンタル・プリンセスは動物に好かれていたという逸話が残っているらしいが、その逸話の通り少女の後ろには白い大きな毛むくじゃらの犬が寝そべり、脇には猫が身体をすりよせている。
少女の正面には馬が首を垂れて、差し出した手の平には小鳥がとまっている。
少女の顔は白いベールで覆われていてよく見えないが、流れるような金の髪と口元が穏やかに微笑んでいるのがわかる。
幼い頃から何度も何度も聞かされていた。
フランズベルト王国に豊かな実りと平和、精霊王様の甚大な加護をもたらす存在。
それが、伝説のエレメンタル・プリンセス。
金の髪、穏やかな微笑み。
ここでこの絵を見るたびに、いつかエレメンタル・プリンセスが現れたなら、その方もこの絵の少女の様に美しい髪を持ち、優し気な微笑みを浮かべるのだろうかと思っていた。
ひょっとしたら、幼い頃の俺にとってはこの絵の少女が初恋だったのかもしれない。
はっきり顔が見えるわけでもないのに、ただただ彼女の雰囲気に憧れていたのだ。
・・・あの日、園遊会で初めて拝見したマリーアンジュ王女殿下は、この絵と重なって見えた。
もし、あの絵のベールを外すことが出来たら。
きっと、その下には彼女のような美しい少女の姿があるに違いない。
そう思うと最大級の敬意が沸き上がり、自然に王女殿下に対してもここで祈る時の様に膝をついて礼を取った。
王族に対する礼としては間違っていないのだけれど、あの時の俺は王女殿下にというよりはこの絵の少女に対して取った礼だったように思う。
マリーアンジュ王女殿下は、おそらくエレメンタル・プリンセスに選ばれるだろうと噂されているほどの強い精霊加護の持ち主だ。
この絵と重ねて見てしまうのも、無理はない。
・・・懸想とか、そういう気持ちがあるわけではない。相手は王女殿下だ。
そんな、身の程知らずな思いを抱くわけがない。
俺は首を振って、ともすれば浮かび上がりそうになる麗しい姿を頭から追い出す。
「シマ、足らないんだろう?俺の菓子を少しわけてやるよ」
声をかけると、シマはとたんに「ピュイ!」と鳴いて、肩に飛んできた。
ふっと思わず笑いながら、園遊会で会ったもう1人の少女のことを思い出した。
シャルリア殿。シマを助けてくれた、恩人。
そして、伯爵令嬢なのに気取ってなくて、大口を開けて楽しそうに笑う風変わりな少女。
シマに対しても俺に対してもくるくると表情を変えながら、変わらない態度で話をしてくれる。
今まで母上と一緒にお茶会にも参加してきたが、どうにもこうにも女性は苦手だ。
何を話していいのかもわからないし、扇で顔を隠されると何を考えておられるのかもわからない。
俺に対してはにこやかに話をしていた女性が、使用人に対してはきつい口調だったりする。
何が本当の姿なのかわからないので、出来るだけ関わりたくない。
しかし、彼女に対しては珍しく仲良くなれそうな気もする。
視線を再び絵に戻す。
見上げた目の前の絵の少女は、手の平に小鳥をのせている。
それが、あの園遊会でシマを手にのせて笑っているシャルリア殿と重なる。
・・・まあ、穏やかとは程遠い陽気で明るい笑顔だったけれどな。
でも、そんな笑顔も悪くない。
俺も知らず知らずのうちにつられて笑みを浮かべつつ、祈念室を後にした。




