67.初めて見る母の笑顔 (ラルフィード視点)
母上の心の傷、というものを実感したのは園遊会当日の朝だった。
「リンナ様!」
普段はあわてず騒がず、落ち着いて我が家を取り仕切ってくれているメイド長エルヴィダの、似合わない大声。
母上に何かあったのか?
すでに支度が終わった父上と居間で話をしていた俺は、慌てて母上とデイジーが園遊会へ行く支度をしていた部屋へと向かった。
部屋の中央付近、ドレスを着てしゃがみこんでいる母上。その顔色はひどく悪い。
「リンナ!大丈夫か!」
父上は母上に駆け寄り、そっとその身体を自分にもたれかけさせる。
母上は息をするのも苦しいといった感じで、浅い呼吸を繰り返している。
「何があったんだ!」
同じように青い顔で立っているデイジーに聞いてみるが、妹は黙って首を振るばかりだ。
「ごめんなさい、あなた・・・」
消えそうな声で母上が言う。
その背中を軽くさすりながら、父上が「謝らなくていい。無理はするなと言っただろう」と答える。
そして、エルヴィダに母上のドレスを脱がせて、寝台に寝かせるようにと指示を出す。
「え、でも父上・・・」
園遊会は、デイジーの付き添いはどうするのか。
聞きかけた俺の言葉は、父上の鋭い視線に遮られてぐっと飲みこむことになった。
「ごめんなさい、デイジー・・・」
また母様の声。
そのか細い声にはじかれたかのようにデイジーは母上の傍にしゃがみ込むと、ぎゅっとその手を握った。
「大丈夫です、母上。私は一人でも大丈夫です。父上もおられますから」
正直、何が起こっているのかはわからない。
わからないけど、俺だって母上の力になりたい。
だから、俺もデイジーの隣に跪いて、母上にうなずいてみせた。
「母上、今日は俺もいるから。王女殿下の護衛もしなくちゃだけど、デイジーのこともちゃんと見ておくから」
俺の言葉に母上は少し笑って「よろしくね、ラルフ」と言ってくれた。
そしてまた父上を見る。
「昨日までは大丈夫だったのよ。だけど、今、このドレスを着て王城を歩くって思ったら・・・時代遅れってまた笑われるかしら、礼儀作法はうまくできるのかしらって考えたら・・・」
「もういい。もういいんだ、リンナ。無理する必要なんてない」
母上の言葉を途中で遮り、父上は幼子にするように母上の髪を撫でる。
そして父上は母上をエルヴィダに預けると、デイジーの支度を急ぐように周りへ告げ、俺たちはその部屋を出た。
「父上、母上は・・・」
聞いていいのかわからなかったけれど、疑問に思ったことをずっと堪えておくのは苦手だ。
父上は、苦い顔をしながら答えてくれた。
そこで俺は初めて知ったのだ。
母上が、社交界というもの。特に王城で開かれる宴に関してはあまりいい思い出がないためか、その頃のことを思い出すだけでああいった息も絶え絶えな様子になるということを。
正直、大きなショックを受けた。
もちろん母上が元は平民で、男爵家の養女となり、そして父上と結婚したということは知っている。
だけどそれがどうした?
別に侯爵家の者は侯爵家の者と結婚しなければいけない決まりなどない。
誰とどのように結ばれようが自由だ。俺だって、いつか可愛い妻を迎える時には、誰かから押し付けられた相手ではなく、自分で好きになった相手を選びたい。
ずっとずっとそう思ってきた。
でも、それは俺の勝手な意見なのかもしれない。
母上も父上に選ばれて、そして覚悟を持ったうえでアンドレア侯爵家に嫁がれた。
だけど、その重圧はとても苦しかったのだろう。
そんなこと、今まで考えたこともなかった。
父上とデイジーと俺。3人が3人とも、思い悩んだまま園遊会へと向かうことになった。
そして俺たちは、園遊会で1人の少女と出会うことになる。
園遊会が終わった後、晴れやかな笑顔で帰ってきたデイジーとそれに付き添っていた父上と俺を、母上は悲壮な顔で迎えた。
誰かにいじめられなかったか、嫌なことを言ったりされたりしていないかと聞く母上だったが、デイジーはひたすら笑顔でこう答えた。
「シャルっていう可愛い友達が出来たんです!たくさん話をして、とても楽しかった」と。
母上は、最初信じられなかったらしい。
騙されているんじゃないか、アンドレア侯爵家とつながりたいだけなんじゃないかってデイジーに確かめていた。
そうしたら珍しく、デイジーが怒って言った。
「シャルは、そんな子じゃありません!とてもいい子です!」って。
俺も父上も口添えした。
俺は少し挨拶しただけなのだけど、ごく普通の少女のように見えた。
なんだろう、意地悪な子ってわかるんだよ。目?顔?うまく言えないけど、悪いことを考えてるやつは嫌な感じがする。
彼女はそんな感じがまったくなかった。綺麗な青い目をした、可愛らしい子だった。
父上もしっかりした挨拶が出来る、気立てのいい娘だと思うとおっしゃった。
彼女の父君も優秀な領主だと聞いているし、学院にいる兄もいい子だと。
それを聞いて母上は見るからにほっとした様子で、デイジーに疑ったことを謝っておられた。
そうなんだ、シャルはシェアトの妹なんだ。
俺は前々からシェアトとは仲良くなりたいって思ってた。
だってあいつの剣技ってすごいんだ!
力が強いわけでも目立った技術があるわけでもないんだけど、気づくと裏を取られてたりして油断のならない相手だったりする。
俺は考えながら動くのは苦手なので、身体が感じるままに剣を繰り出している。
だけどシェアトは、相手の2手も3手も先を読んで、徐々に追い詰めてくるような感じだ。
初めて模擬試合で戦った時は、俺が勝ったとはいえ少しでも何か展開が違ってたら勝負の行方はわからなかったと思う。
普段は目立たないし飄々としているんだけど、なんか印象に残るんだよなあ。
コトリ、と目の前に紅茶が置かれた。
そうだ、今は我が家で久しぶりに開かれたお茶会の最中だった。
慌てて俺は、意識を引き戻す。ぼんやりしてる場合じゃなかった。
久しぶりも何も、正直俺にとってもデイジーにとっても母上主催のお茶会には初めて参加するのだけれど。
そう、このお茶会も母上にとってはかなり勇気のいる決断だったのだと思う。
先日、デイジーのところに1通の手紙が届いた。
差出人はシャルで、しばらくハーディエンス侯爵家に滞在しながら学院入学のための勉強をするのだとか。王都でしか学べないこともたくさんあるからと。
シャルはハーディエンス侯爵家とは親戚になるらしく、それならば別に珍しい話ではない。
返事を書きたいからとデイジーが母上のところへ行き、母上がしばらく父上と何か相談なさっていて・・・気づいたら、このお茶会の開催が決まっていた。
さっきの挨拶の時のことを思い返してみても、母上はハーディエンス侯爵夫人には心を開いているように見える。
なのできっと、思い切ってシャルと一緒に招待さしあげようと考えられたのだろう。
向こうのテーブルでは母上とデイジー、ハーディエンス侯爵夫人とシャルが座っていて、話が弾んでいるように見える。
シャルがその大きな青い瞳をくるくると動かしながら、身振り手振りを交えて何か話をすると、母上が弾かれたように笑っておられる。
あんなに屈託なく笑う母上は、なんだか初めて見るような気もする。
いつも静かに穏やかに微笑んでおられている母上しか知らない。
今はまるで学院内で流行りのドレスや甘味の話をしている女生徒たちのように、とても楽しそうに見える。
「ほぅ、これは?」
目の前に茶菓子として、切り分けられたものが置かれた。
四角くて茶色い、見たことのないお菓子だ。
父上の問いに、エルヴィダがうなずいて答える。
「ハーディエンス侯爵夫人がお持ちになってくださったものです。昨日、シャルリア様がお作りになられたものらしいですよ」
「え、シャルが?」
驚いてシェアトを見る。シェアトは「パウンドケーキと言います。美味しいですよ」と言うと、少し切り分けて口に入れた。
「あ、新作だ。これも美味しいな」
「そういえば、なんか昨日そんなこと言ってたな」
アームズももぐもぐと口を動かし、うまいなとつぶやく。
「この、ナッツの風味がいいですね」
アームズの弟であるノルディスも何度もうなずいている。
それを見た父上が興味深そうにパウンドケーキとやらを切り分けたので、俺もフォークで切り分けてそれを口に運んだ。
「あ、うまい」
「うむ、うまい」
父上と俺は同時に声に出す。
クルミやナッツの香ばしい風味が、口の中いっぱいに広がる。
それらにかかっているのは砂糖の衣だろうか?パウンドケーキ自体はそこまで甘くはないのだけど、その砂糖がけのナッツが十分な甘さを与えてくれている。
「これは、リンナの好みだな」
父上がそう言うので、母上の方を見る。
母上もちょうどパウンドケーキを口に運んだところだったようで、目を大きく見開いている。
「懐かしい・・・」
母上のその瞳からは涙が、そして口元からは言葉がこぼれ出る。
「私がまだただの『リンナ』だったころ、お母さんが焼いてくれたお菓子に似ているわ。森で私が拾ってきたナッツをいっぱいいれて、焼いてくれた懐かしいお菓子・・・」
母上の反応に、ハーディエンス侯爵夫人と、シャルも満足そうに顔を見合わせてうなずいている。
その姿に、ちゃんと母上の好みを考えた上で作ってきたお菓子なのだということがわかる。
ハンカチを母上に差し出し、このケーキの作り方をお教えしますので是非作ってください!と明るい笑顔で話しかけるシャル。
デイジーはそんな母上と自分の親友を見比べながら、嬉しそうに笑っている。
そして、父上も満足そうに見守っている。
ありがとう。
母上の心からの笑顔を、素直に涙が流せる感情を、取り戻してくれてありがとう。
シャル。君は、俺たち家族の救世主だ。




