66.リンナ様の苦しみ
アンドレア侯爵家邸は、ハーディエンス侯爵家邸とはまた趣の違った建物だった。
質実剛健とでも言うのだろうか?ちょっと要塞っぽくも見える。
邸を取り巻く頑強な石壁が、ますますその印象を高める。古めかしい建物に対し、意外にもその壁はまだ新しい感じがする。
その理由が、大きな門を越えて壁の中へと入った時にわかる気がした。
馬車の窓から見えるのは、こんもりとした小さな森と、花畑。
幾何学模様の庭ではなく、イングリッシュガーデンほど作りこまれているわけでもなく。
フロンターレ領の片隅で見られるような、どこか牧歌的な景色。
その後ろにそびえる重厚な建物と比べると少しアンバランスだけど、これはきっと、アンドレア侯爵夫人の故郷の風景なのだろう。
そしてこの壁は、彼女を守る(視線や評判からも含め)ためのものなのだ。
「アンドレア侯爵様の愛情にあふれたお屋敷ですね」
思わずそうつぶやくと、アムリータ様が「ええ、ええ、そうね」と答えてくださった。
「私も実は初めてなのよ、お伺いするのは」
「そうなのですか?」
「ええ。だから、シャルちゃんが懸け橋になってくれて本当に嬉しいの」
こちらもお世話になっているアムリータ様のお役に立てたのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
そんな話をしているうちに、馬車は邸前のエントランスへと滑り込むように止まった。
馬車のドアが開くと、驚いたことにそこで手を差し伸べておられたのは、アンドレア侯爵様本人だった。
「ようこそ、お越しくださった。さ、お手をどうぞ」
アムリータ様は驚いたようだけど、すぐにその表情を笑顔に変えてアンドレア侯爵様の手をとられた。
「こちらこそお招きありがとうございます」
2人が馬車の外で話しておられるのを見ていると、ひょこっと顔がのぞいた。
「やあ、シャル!いらっしゃい!」
満面の笑みでこちらに手を差し伸べてくれるのは、ラルフィード様だった。
当主とその長男自らお出迎えか。これは相当珍しいことなのだろうな。
恐れ多いけど、かといってもちろん断るわけにもいかないから、差し出された手にそっと手を預ける。
あ、手の平がごつごつしてる。剣ダコかな?
ラルフィード様に手を取ってもらうなんて、ゲーム内ではなかったからな・・・。
エスコートしてもらって馬車から降りると、ちょうど挨拶の終わったアンドレア侯爵様もこちらを向かれていた。
「お招きありがとうございます、アンドレア侯爵様」
「よく来てくれた、シャルリア嬢!妻も娘も君が来るのを、楽しみにしていたんだ」
侯爵様はその大きな両手を広げて、歓迎の意をしめしてくれる。
そして、2台目の馬車から降りてきたアームズ様、ノルディス、シェアト兄様にも「よく来てくれた」と笑顔を向けられた。
私たちはアンドレア侯爵様に案内されながら邸の中へと入った。
侯爵様とアムリータ様を先頭に、私とラルフィード様、兄様方、そして護衛のナタリーさんとが続く。
私の右手は、ラルフィード様に取られたままの状態だ。
こうやってエスコートされながら歩くこと自体、あまり経験がないのでこれであっているのかわからない。腕がだるい、とか言ったら怒られるだろうけど。
でも、ラルフィード様は手慣れた感じで邸内の案内をしながら、こっちの歩幅に合わせて歩いてくださる。さすがとしか言いようがないな。
マリーアンジュ王女様とは幼馴染だし、エスコートも多分王城仕込みなんだろうなあ。
それにしてもアンドレア侯爵様もラルフィード様もめちゃくちゃ機嫌よさそうに見える。
ラルフィード様はゲーム内でも喜怒哀楽がはっきりしている方ということで、機嫌よく笑っているということは間違いなく楽しいのだろう。
なので、案内が途切れたところを見計らって訊ねてみた。
「ラルフィード様、なにか良いことでもあったのですか?すごく楽しそうですが」
「え?!何言ってるの、シャル。君が来てくれたからだよ!」
・・・おおぅ。いきなりの真正面からの言葉に少し顔が赤くなるのがわかる。
この人のこういうところは、前世でのいい歳した喪女に刺さる部分があったんだよねえ。
有希がガッツリはまっていたのはそのせいで、私だって彼のストレートで嫌味のない性格は好きだった。
ただ、ゲームならいいんだけど・・・現実になるとめちゃくちゃ照れるなあ。
「ラルフィード様、妹を惑わすのはやめてもらえますか?」
後ろから冷たい響きの言葉がかかる。振り返るまでもない、シェアト兄様だ。
「え、惑わしてないよ?というか、ラルフって呼んで欲しいって言ったじゃないか!」
ラルフィード様は後ろを振り返って、兄様に抗議する。
園遊会の時に兄様と仲良くなりたいとか言ってたけど、本当だったらしい。
学院が始まって、さっそく突撃してきたと苦笑しながら兄様が言っていた。
やれやれと肩をすくめつつ、兄様は答える。
「学院内ではそう呼びますよ」
「ここでもいいじゃん!俺の家なんだから、誰も気にしないから!」
それに、とラルフィード様は空いている右手で首のあたりをさする。
「ラルフィード様、とか呼ばれて敬語使われるとなんかムズムズするんだよ。お願いだから、学院内と同じように接してくれると助かるんだけど」
「・・・まあ、いいんじゃないか?多分、アンドレア侯爵様も気にしないよ」
アームズ様の言葉に仕方なくという感じでうなずくと、シェアト兄様はラルフィード様に向かって笑ってみせた。
「ラルフ。もう一度言うけど、僕の妹を惑わすのはやめてくれ」
・・・ただし、その笑みは絶対零度の冷たいモノでしたけどね。
惑わしてなんかないし、とぶつぶつ言うラルフィード様に笑いを噛み殺しながらエスコートされ、やがて私たちはサンルームのような場所についた。
春月の優しい日差しが差し込み、真っ白なテーブルクロスが敷かれた丸テーブルが2つ置いてある。
そしてその片側のテーブルのそばに、相変わらず綺麗な立ち姿のデイジー様と、小柄で少し不安げな感じの女性が立っておられた。
あれが、リンナ様。異世界のシンデレラストーリーの主役。
「ようこそいらっしゃいました、アムリータ様」
少しこわばったような、真面目な顔つきで腰を折られるリンナ様。
美しいカーテシーは、社交界から身を引いていても健在だ。きっと、努力を怠らない方なのだろう。
「お招きありがとうございます、リンナ様」
アムリータ様が礼をするのに合わせて、私もその後ろで礼をする。
ハーディエンス侯爵家にてカーテシーも改めて特訓してもらったので、少しは上達しているはずだ。
「シャルは、綺麗なカーテシーをするね」
隣でラルフィード様が小声でつぶやく。
だからそういう真正面からの誉め言葉はやめてくださいってば。
まだ挨拶の途中なので反応するわけにもいかず正面を見ていると、アムリータ様がすっと前に出てリンナ様の両手を取られた。
「リンナ様、お元気そうでよかった」
「アムリータ様・・・不作法ばかりしてごめんなさい」
見る見るうちにリンナ様の目に涙が浮かび、ぽろっとこぼれる。
その涙をそっとハンカチで吸い取りながら、アムリータ様が優しく微笑む。
「不作法なんてこと、あるものですか。あなたはあなたのままでいいのよ。たとえ社交界に出て来なくても、こんなに素敵なお子様2人を育て上げたのですもの。誇っていいのです」
アムリータ様の声に言葉もなくただうなずく、リンナ様。
きっと昔は色々あったのだろうけど、それでもこのお2人の間には確かな友情があったに違いない。そんなことを思わせる美しい光景だった。
「ごめんなさい、みっともない姿をお見せして・・・あらためて、ようこそいらっしゃいました」
リンナ様はようやく笑顔を見せてくださった。まるで少女のようなはにかんだ笑み。
そして、傍らのデイジー様にそっと触れられる。
「園遊会でお目にかかったとは聞いていますけど、娘のデイジーですわ」
「デイジー・アンドレアです。今日はお越しいただき、ありがとうございます」
デイジー様は相変わらず体幹がしっかりしているゆえの綺麗なカーテシーにて、挨拶をされた。
「ご挨拶ありがとうございます。こちらが息子のアームズとノルディス、それから私の友人の子であるシェアト、シャルリアですわ」
アムリータ様の紹介の後にアームズ様とノルディスがそれぞれ挨拶した後、私と兄様も挨拶をする。
「シェアト・フロンターレです。アンドレア侯爵様には、学院で鍛えていただいてます」
「うむ。鍛えがいのある少年なのだが、騎士団への勧誘は失敗した」
少しおどけたように言うアンドレア侯爵様に、リンナ様は「まあ」と言って笑う。
「フロンターレ領、美味しいワインの産地と聞いてますわ。その次期後継者ともなれば、騎士団はさすがに無理ですわね」
「・・・ありがとうございます」
うちの母様ともアムリータ様とも違うタイプの美しさを持つ、儚げで可愛らしい方だ。
そんなリンナ様を安心させるように、シェアト兄様も極上の笑みで答える。
兄様が私を見たので、私も一歩進んでカーテシーをした。
「シャルリア・フロンターレです。先日の園遊会で、デイジー様とお話しさせていただきました」
「そう、あなたが・・・」
リンナ様は慈しみ溢れた母親の顔で、私を見る。
「デイジーと友達になってくれてありがとう」
そして、その表情が悲しげなものに変わる。
「本当はね、園遊会の日は私も行こうと思っていたの。だけど・・・足が、動かなくて・・・」
「母上・・・」
デイジー様が痛まし気にリンナ様の背中を撫でる。
いわゆる心的外傷というやつだろう。
好奇の目にさらされながらも、社交を頑張っておられた時は精一杯の精神力で耐えておられたのだ。だけど、一度平穏な時を過ごしてしまうと、あの場に戻ろうとした時に身体がこわばるのは無理もない。
「デイジーがね」
リンナ様は泣きそうな顔になりながらも、続けられる。
「デイジーがね、きっと暗い顔で帰ってくるに違いないって思ってたの。私ではデイジーに淑女教育を上手に出来なかったから。きっとクスクス笑われて、侯爵令嬢なのにねって言われるんじゃないかって」
「リンナ・・・」
アンドレア侯爵様がリンナ様に近寄り、そっと肩を抱き寄せられる。
その周りに立つデイジー様と、ラルフィード様。
きっと、この一家はこうやってずっとリンナ様を耐えがたい悪意から守ってきたのだろう。
「だけどリンナ、デイジーは笑って帰ってきただろう」
優しい声でアンドレア侯爵様が言う。
「そうですよ、母上。デイジーは園遊会でも楽しそうでした」
ラルフィード様もいたわるように言う。
リンナ様はうん、とひとつうなずくと私の顔を真っ直ぐに見つめられた。
「デイジーは言ったわ。とても可愛い友達が出来たと。彼女のように可愛くなりたいと思った、彼女は一緒に可愛くなろうって言ってくれたと」
そう言いながらリンナ様はアンドレア侯爵様の手からするりと抜け、私に近寄るとぎゅっと私を抱きしめられた。
「ありがとう、シャル。毎日あなたの名前を聞いてるわ。幸せそうな顔でデイジーは、あなたの名前を話に出しているわ。本当にありがとう・・・」
「リンナ様・・・私こそ、デイジー様と仲良くなれて幸せです」
失礼かと思ったけど、構わない。
私はそっとリンナ様を抱きしめ返す。
平民出身の彼女の辛さは、いかほどだったことだろう。
望み望まれて貴族となった方だけど、想像以上に苦労されたんだろう。
私みたいに転生したわけでもないのに、それこそ生まれ変わったかのような暮らしをしなきゃならなかったのだ。
大変でしたね。
よく頑張りましたね。
言えない言葉だったけど、私は胸の中で何度も繰り返しながら、ただリンナ様の背中をさすったのだった。




