62.家庭教師のモーリス先生
今日からいよいよ授業が始まる。
私とノルディスは、ハーディエンス侯爵様に家庭教師の先生と引き合わされた。
私たちの前に現れたのは、ロマンスグレーの髪と、温和な口髭をもつお爺ちゃん。
名前をモーリス・ウォルシュ。王都内務省に勤めている伯爵家の1つ、ウォルシュ家の前当主なのだそうだ。
伯爵家の中でも王都に住んで王都内務省に勤めているといえば、エリート中のエリートと言える。
侯爵家以上だと世襲もよくある話なのだけど、伯爵家クラスになると本当に有能な人が王都に呼ばれる形になる。
そこで領地と王都とを行ったり来たりする生活になるのだが、それが何代も続くと領地を国に返上するか次男等の傍流家系に譲って王都に住み着くことになる。
なので、王都に住んで仕事が出来るだけの力を持った人が代々続いているということだ。
「初めまして、シャルリア嬢。・・・ロートレック様の面影を宿しておられる」
モーリス先生にそう挨拶されて、びっくりする。
「初めまして。よろしくお願いいたします、モーリス先生。祖父を、ご存じなのですか?」
ロートレックとは祖父の名前。
ノルディスのお爺様の弟だったのが、ロートレックお爺様だ。
「ええ。ロートレック様は私の学院時代の先輩でいらっしゃいました。よく、授業でわからないところを教えていただいたものです」
「そうなのですか・・・」
お爺様を直接は知らないが、こうやって最近色んな人からお爺様やお婆様の話を聞く。
生きておられる間に、お会いしてみたかった。
「モーリス殿はもう退官なさったが、大変優秀な文官でいらっしゃった。退官前は特に後輩の育成に取り掛かられていて、今その教えを受けた世代が内務省でも活躍している」
ハーディエンス侯爵様がそうおっしゃられると、モーリス先生は照れたように笑われた。
「いやいや、そう言われると困りますな。大したことはしておりませんが」
「そのような方に学びを受けれるとは、大変光栄に思います。どうぞよろしくお願いいたします」
ノルディスがそう言って頭を下げたので、私も同じく頭を下げる。
「精一杯、務めさせていただきますね」
モーリス先生は温和な目を細めながら、そう微笑んでくれた。
先生が少し資料を取ってきますと言ってハーディエンス侯爵家の別館図書館へと向かったので、私とノルディスは王城へ戻るという侯爵様を見送るためにエントランスに残った。
図書館は先生にとっては行きなれた場所なので、手伝いもいらないらしい。
「父上。今日は、わざわざありがとうございました」
ノルディスが頭を下げ、私もそれにならう。
侯爵様に会うのは、実は先日の会食以来だ。
なぜならめちゃくちゃ今忙しいらしく、あの翌日から王城へ行ったきり帰ってこなかったからだ。
ハーディエンス学院を、貴族の子女たちが卒業するのが冬3の月。
シェアト兄様のように領地へ戻って次期領主としての執務に入る者以外は、春1の月から王城関係の仕事に就くのが普通だ。
王城関係の仕事は、大まかに3つに分かれている。
王族の執務を含む王城を中心とした様々なことや、王都内の取り決め等に関する事を取り扱っている内務省。
他国との外交、各領地からの税や予算の采配、物品の流通などを取り扱うのが外務省。
そして王城及び王都内の治安維持と、場合によっては各領地の盗賊やはぐれ魔獣討伐に駆り出されるのが騎士団だ。
ハーディエンス侯爵様は宰相なので、内務省のトップと言える。
内務省にも春1の月からの新人が大勢やってきて、その各部署への振り分けやら教育計画やらですったもんだしているらしい。
ああ、前世の会社でもそうだったなあ。
自分が入社した時にはわからなかったけれども、その翌年に入ってきた新入社員に多かれ少なかれ振り回されて4月はバタバタしていた記憶がある。
特に偉くもなかった私ですらそうだったのだから、さぞかしお偉いさんたちは決めることがいっぱいあって大変だったんだろうなと思う。
実は社長が一番暇そうだったんだけど、この世界では国王様が一番暇なんだろうか?
いや、さすがにそんなことはないか。
とにかく、そんなこんなで久々に家に帰ってきたハーディエンス侯爵様。
別に着替えを取りに来たとかそういうわけでもなく、本当に私たちに家庭教師の先生を紹介するためだけに帰ってきてくれたらしい。
当たり前だよね、貴族なんだから着替えぐらいいつでも人をよこして取りに来させるだろうし。
「お忙しい中、ありがとうございます」
私も改めてそう言って頭を下げると、侯爵様は少し驚いたように目を見開いた。
「・・・いや、構わない。これは親としての責務なのだから」
そう言いながらも見開いた目の下に、うっすら隈が出来ているのがわかる。
うわー・・・有能すぎて、人に仕事振るより自分でやる方が早いとかそういうタイプなんだろうなあ。
「お身体、気を付けてくださいね。ちゃんと取れるときに食事と睡眠取らなきゃだめですよ?」
思わずそう言うと、今度はノルディスがぎょっとしたように私を見る。
・・・何かおかしなこと言ったかなあ。
少し困ったような戸惑っているような顔をしている親子を見比べる。
そうだ、いいことを思いついた。
「今度、王城まで差し入れに行きますね!何か手軽に食べれそうなものを用意して」
ぱちんと手を合わせてそう言うと、侯爵様は一瞬ぐっと身を引いて・・・いきなり笑い出した。
「ち、父上?」
おかしくてたまらないといった感じで笑い続ける侯爵様に驚いたのか、ノルディスが目を白黒させながら侯爵様と私の顔を見比べていると、調理場の方から「あらあら・・・」という声と共にアムリータ様が現れた。
「珍しいわね、あなたがそんなに大声で笑うなんて」
アムリータ様は心底嬉しそうな声でそう言うと、後ろに控えていたカインツさんから手に持っていたバスケットを受け取った。
「これ、あなたの好きなチキンサンドを作ってもらったわ。ちゃんと取れるときに食事と睡眠はとってくださいね」
「・・・同じことをシャルリア嬢にも言われたよ」
侯爵様は苦笑しながらバスケットを受け取った。
「しかも、こんな風に差し入れを王城まで届けてくれるらしい」
「まあ」
うふふ、と笑ってアムリータ様は私を見た。
「シャルちゃんは優しい子ね」
「え?いえ、そんな、別に・・・」
慌てて手を振って否定する。
そうだよね、別に私がやらなくても当然夫人がそういうのも考えているか。
しまったなあ、なんか出しゃばっちゃった?
ちょっと肩を落としてしまった私の頭に、不意に大きな手が伸びてきた。
・・・?!
よしよしと頭を撫でてくれるその手は、ハーディエンス侯爵様のものだった。
さっきからずっと目が笑っているけれども、とても優し気な笑顔で言う。
「いいものだな、娘ってのは」
「でしょう?ね、娘って可愛いですわね」
「うむ。・・・では、いってくる」
軽く手をひらりと振ると、侯爵様は待っていた馬車に乗り込んで、また戦場へと赴かれた。
あなたたちは先生が戻ってくるまでに勉強の準備をしておきなさい、とアムリータ様に言われ、ノルディスと一緒に侯爵様の執務室を目指す。
自宅の執務室とは名ばかりで、侯爵様がそこで実際に執務をすることはこの時期あまりないのだそうだ。王城に詰めっぱなしなのだからそれも当たり前なのだけど。
ただ資料等がたくさん置いてあるため、休みの時の急な執務であったり、来客と仕事の話をする必要がある時に使うらしい。
なので、私たちの勉強にはちょうどいいと場所を提供してくださったのだ。
執務室にある応接セットを少し動かして、先生と私たち2人の席を使用人の方が作ってくれているのを待ちながら、ノルディスが小声で聞いてきた。
「君は、父上が怖くないのか?」
「侯爵様?うーん・・・怖くはないかなあ」
首を傾げつつ、答える。
「別に理不尽なことをおっしゃるわけでもないし、私にも丁寧だし、話も面白いし」
しかし、となおノルディスが言い募る。
「目が冷たいとかきついとか、雰囲気が怖いとか言われることが多い。・・・それは、父上によく似ていると言われる私もなのだが」
最後は苦々しい顔をしながらそう言うノルディスに、「それって見た目だけでしょ?」と返す。
「見た目・・・それはそうなのだが」
人間、見た目だけで判断出来っこないなんて、さんざん前世で経験したことで。
優しい顔の冷たい人も、厳つい顔の優しい人もいっぱいいた。
むしろイケメンや美人と言われる人の方がよっぽど性格悪いよね、なんてのはこれまた私の偏見ですか、そうですか。
「ノルディス、見た目だけを重視しちゃだめよ?絶世の美女だけど、中身は極悪って女性に騙されても知らないよ?」
「・・・また君はそういうことを・・・私が騙されるわけないだろう」
ノルディスは呆れた、とばかりに肩をすくめて私をじろりとにらむ。
ふーんだ。そういう「自分に限って」ってのが一番騙されやすいんだからね!
明日は日曜日なのでお休みします。
また月曜日から再開しますので、よろしくお願いします。




