第38話 「新しい朝」
眩しい。
遠くから鳥の囀りが聞こえる。
耳に意識を集中すると、それに加えてなにか懐かしい音が聞こえてきた。
包丁でまな板を叩くときの音。
鍋でなにかを煮込んでいるときの音。
誰か近くで料理でもしているんだろうか。
なら、料理が出来たらきっと起こしに来るだろう。
渡瀬は耳を塞ぐように布団を耳まですっぽりとかぶせて寝返りをうった。
まどろみに身を任せてうつらうつらと考える。
今は何時頃なんだろうか。
陽の光のまぶしさを考えると、もう日が昇って居るような感じもする。
それでも身体はまだ休息を欲している気がする。
普段なら寝覚めはいい方なのに、今日はいくらでも眠れそうだ。
なんでだろうか。
昨日なにか、身体をひどく動かすようなことがあっただろうか……。
――思い出した。
眠気は一瞬で吹き飛んだ。
試験当日の朝に遅刻に気付いた時のように布団をはじき飛ばして飛び起きる。
どこか知らない家。
知らない布団。
知らない天井。
自分の身体を見下ろす。
少しぶかぶかの、ベージュ色の服と紐で結んだズボン。
そう。まるで、ドラクエに出てくる村人Aがよく着てそうな服。
ペタペタと自分の顔を触る。
「いたっ」
頬の傷に手が触れた。かさぶたになっていないところはまだヒリヒリする。
馬車が転倒したときに付けた傷だ。あの後、自分は魔獣の群れから逃れてまたひたすら歩いていたんだ。それから――。
――昨日の記憶がようやく現状に追いついた。
道の果てに見つけた小さな村。それを覆う丸太の柵を見上げる光景を最後に自分の記憶は途切れている。
「そうだ、ソフィアは」
ここは村人の家だろうか。
窓から光が差し込んでいる。
やはり太陽は高く昇り、既に正午も過ぎている頃なようだ。
部屋を見渡す。
一人で寝るには大きすぎるベッド。
木の机と椅子が一つずつ。
自分の背丈ほどもある棚にはハードカバー
の本が隙間なく並べられている。
品のいい部屋だと思う。書斎だろうか。
少なくとも盗賊のアジトだとか、そういった類いの場所ではなさそうだと思う。
渡瀬は部屋のドアを開け、辺りをきょろきょろと見回しながら廊下を歩いた。
料理の音がする方向へ向かう。
ひょっこりと部屋の一つへ顔を出した。
渡瀬に背を向ける形で、人が二人台所に立っていた。
「あ」
台所で料理をしていた内の一人が、渡瀬の間の抜けた声を聞いて振り返った。
今は一つに束ねてまっすぐ下ろしている銀髪がふわりと翻る。トテトテとスリッパをつっかけて渡瀬の方へ歩いてきた。
「先生、起きてたんですね」
ソフィアだった。
渡瀬と同じように、平凡な村娘のような褐色の布地の地味な服に着替えている。
しかし元の品の良さがにじみ出ているせいか、逆にやんごとなきお方のお忍びの姿でも見ているようだと渡瀬は思う。
ソフィアは渡瀬を見上げるとニッコリと満面の笑みを浮かべた。
渡瀬は口を半開きにしたまま固まっている。目の前の光景が信じられないという顔だ。
フリーズした渡瀬を置いたまま、ソフィアは得意げな顔で言った。
「もうすぐご飯が出来ますから、座って待っててください」
またトテトテと音をならしてキッチンに戻る。
座ってろという言葉が脳まで達していない渡瀬は、まだぼけっと突っ立っている。
ゆっくりと自分の頬に手を伸ばし、躊躇なく頬をつねった。
「いたい」
†
「で、あんたがこの子の言ってた『先生』かい?」
ソフィアと並んで台所に立っていたもう一人の女性が渡瀬をじろじろと見渡しながら言った。
年は40代ぐらいだろうか。明るい茶髪を束ねた活発そうな人で、ジブリに出てくる肝っ玉母ちゃんって感じだなと渡瀬は思った。
「は、はい。すいません。お世話になってたみたいで」
渡瀬がペコペコと頭を下げる。
「いや、それはいいんだけどねぇ。で、あんた昨日は何であんな所で行き倒れてたのさ。ひょっとしてあれかい? 聖都から逃げてきたっていうやつかい?」
肝っ玉母ちゃんが見た目に違わずぐいぐい来る。
「ええ、そうですね。聖都から来ました。昨日は丸一日歩いてたんで、最後はあんなことになってしまいまして……」
「ふーん。あんた、身体弱そうだもんねぇ」
好きなように言われているが渡瀬はひたすら恐縮して小さくなっていた。
横目でソフィアの方を見ると、話を聞いているのかいないのか、テーブルに並んだ料理を忙しそうに小さい口に運んでいる。
「まぁ、細かい話はまた今度ね。ほら、早くあがりよ」
おばさんはそう言うが早いが自分もパンに手を伸ばしてガツガツと食べ始めた。
渡瀬もスプーンを手に取り、自分の前に並んだスープの具を遠慮がちに食べ始めた。
およそ丸一日ぶりに食べる食事は涙が出るほどおいしかった。
†
食事を終え、渡瀬は家の外に座り込んでぼんやりと村の景色を眺めていた。
道の最後にたどり着いた小さい村落。
おそらく農業と、近くの森に生るものを収穫して生活しているのだろうと思われる、牧歌的な村。
背後でドアの開く音がした。
「ワタセ先生、隣いいですか?」
洗い物が終わったらしいソフィアが、渡瀬の返事を待つことなく隣に座り込んだ。
二人の間に沈黙が流れる。
ただ、村の柵の向こうにある森をぼんやりと眺めていた。
ソフィアがおずおずと切り出した。
「……先生。あれから何があったか、教えてもらっていいですか? どうして私がこうしているのかも、全部」




