第37話 「最後の道」
渡瀬は街を抜け、ただ黙々と道に沿って歩き続けた。
災厄が街を襲ってから4時間が過ぎていた。
痩せているとはいえ、12歳の子供を背負って歩き続けたことで渡瀬の体力は限界に近づいていた。
少女を支えている両腕は既に感覚が無く、うっかりしていると身体がずり落ちそうになる。
既に夜は明けていて、いつもと変わらない朝日に自身の惨めさを思い知らされる。
ソフィアは未だ眠り続けている。
魔法陣の効力圏はとっくに抜けたはずだが、まだ意識を取り戻すほどには魔力が回復していないということだろうか。
まだ夜が明ける前、共に街から逃げ出した人々もそれなりの数がいたが、歩みを進める
につれて徐々にまばらになっていった。
草原の中に走る未舗装の細い道をただ黙々と歩き続ける。時折、道ばたでうずくまっている人を見かけたが、お互いに声を掛ける余裕などなかった。
ふと、コトコトと小さな物音が聞こえて後ろを振り返った。
大きな馬車がゆっくりと道を進んでいた。
渡瀬が道を塞ぐように前に立つと、御者が小さく舌打ちをして馬の足を止めた。
「あの! すいません! あなた方はどちらに行かれるのですか?」
渡瀬が掠れた声を張り上げて御者に問いかけた。
「あ? いや聖都があんなだからよ。倉庫に火が移る前によその街に運んでんだよ。分かったらほら、どけ」
御者は手に持った鞭で乱暴に渡瀬を追い払うそぶりをした。
渡瀬は取りすがるように言った。
「どうか、どうか私たちも馬車に乗せていただけませんか? お金ならありますので、どうか……」
ポケットから貨幣の詰まった袋を取り出して御者の前に掲げる。
御者は手を伸ばし袋をつかみ取って中を覗くと、ほぉと感心した顔をして馬車の奥に引っ込んだ。
幌の中にいる誰かと何事か相談した後、再び前に戻って吐き捨てるように言った。
「後ろの荷の隙間にまだ乗れるところあるからよ、そこに納まってな」
「はい。ありがとうございます」
渡瀬は這いつくばって礼を言うと、のろのろと荷馬車の後ろに回った。
荷台の中は既に大小の木箱で満載だったが、渡瀬はそれを詰め替えてなんとか自分たちの入れるスペースを作った。
背中のソフィアを横たえると、自分も身体を縮めるようにして荷のなかに埋もれるように座り込んだ。
馬車が再び歩きだす。
人が乗れるように作られていない荷台での移動で、渡瀬はなんとか休息を取ろうと目を閉じた。
†
「おい、休憩だ」
渡瀬は御者の声で目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。
のろのろと荷物の隙間から這い出して伸びをする。身体の節々が軋む。
こんな体勢で寝ていられたのかと思うと、あの災害の中で自分がどれほどストレスを受けていたのかを思い知らされた。
荷の隙間で横になっているソフィアの様子を見る。未だに静かに寝息を立てていて目が覚める様子は全くなかった。
「お前の娘か? ……ってな感じでもねぇな」
御者が渡瀬とソフィアの顔を交互に見比べながら言った。意外な物を見たかのように見開かれたその目の中に、渡瀬は下卑た光を見たような気がした。
馬車は15分ほどの休憩を挟んだのちに出発した。
渡瀬は再び同じ体勢で馬車に乗り込んだ。
荷物の隙間で縮こまりつつも、今回は決して眠り込まないように目を見開いていた。
理由はさっきの休憩の時に御者とその主人と思しき男が交わしていた会話にあった。
馬の水飲み場を挟み、渡瀬から離れたところで二人は声を潜めて話をしていた。
会話はほとんど聞き取れなかったが、「攫う」「男の方は」といった短い言葉が渡瀬の耳にも届いていた。加えて、あの二人が目を細めてソフィアの方をちらちらと見ているのにも渡瀬は気付いた。
最悪の想像が頭をよぎる。
渡瀬は極度のストレスから疑心暗鬼になっていた。
もはや御者の一挙手一投足が怪しく見える。
馬車を止めるなど、少しでもおかしい様子があればすぐにでも飛び出して徒歩でも逃げてやろうと自身を鼓舞した。
そうして、渡瀬はじっと天幕の隙間から外を覗き見ていた。
もう日の高い時間、一面見渡す限りの草原の中、ちらりと黒い影が映った。
影の数が少しずつ増えていく。徐々にこちらに近づいてくるのが分かる。
黒い影は四本の足を盛んに動かしている。天幕から顔を覗かせると、かなり広い範囲に展開して馬車を包囲するように追いかけていた。
その影に渡瀬は見覚えがあった。
小さなバイクほどもある体格、濃灰色の毛並み、獲物を食い千切る獰猛な牙。
「ハウンドウルフだ!」
渡瀬が叫んだ直後に、先頭を走っていた影が遠吠えを上げた。
馬が怯えるように鳴く。
御者は悪態を付きながら馬を走らせようと鞭を振るった。
「くそっ! なんで! 聖国には魔獣は出ないんじゃなかったのかよ!」
御者が苛立ちから乱暴に馬を走らせる。だが、ハウンドウルフの群れは既に馬車と併走する位置まで距離を縮めていた。
ハウンドウルフが馬に近づいて威嚇するように吠えた。
馬が竦み上がった拍子に足を滑らせ、半ば宙返りするように派手に転んだ。
荷車は慣性のままに一瞬ふわりと浮き上がった。
その瞬間、渡瀬は咄嗟にソフィアの身体を抱え込んで衝撃に耐えるように身体を丸めた。
荷車の車輪が馬の身体にあたってはじけ飛び、横なぎに倒れて土煙を立てながら草原を滑った。
轟音と共に山と積まれた四方に散乱する。
御者が御者台から放り出されて少し離れたところで地面に身体を打ち付けてうめいていた。
御者台のすぐ後ろに座っていた主人と思しき男もまた同様に地面にうずくまっている。
それを待ち構えていたかのように魔獣の群れが包囲を縮めていく。
†
渡瀬が荷物の底から這い出したとき、御者の男は既に魔獣に喉を噛まれて絶命していた。命の失われた身体が何度か痙攣し、噛み千切られた喉の隙間から空気とともに血が泡となってぼこぼこと吹き出している。
もう一人の男が、蒼白な顔で魔獣から逃げるように後ずさりしている。腰が抜けているようでのろのろと背後に這っている男にハウンドウルフはゆっくりと近づいた。男の悲鳴をあざ笑うかのように足を噛み、首を大きく振りまわした。男は地面に頭を強く打ち付けて失神した。
渡瀬は荷台の影から、男がハウンドウルフに囲まれて四肢からゆっくりと食われていくのを見ていた。
ソフィアを抱きしめる手に力を込める。こんなところで食われて死にたくない。死にたくないが、どうせ死ぬならせめてこの子だけでも逃がす方法はないのか。息を潜めて懸命に考える。
しかしハウンドウルフの群れの内、遠巻きに馬車を包囲していて獲物にありつけていない何匹かが、渡瀬の気配に気付いてゆっくりと荷車へ近づいた。
魔獣の足が草を踏みしめる音が、獲物に飢えた荒い息づかいが少しずつ大きくなる。
渡瀬は息を止め、音を立てて震えそうになる身体に力を込めた。
その瞬間、ソフィアの身体が熱を帯びた気がした。
ふと腕の中の少女の身体を見下ろす。
未だに目覚める気配はないが、しずかに寝息を立てていただけだった息遣いがいつの間にか高熱に喘ぐような荒い呼吸に変わっていた。
少女の右足、その内ももの辺りに赤い光が灯る。光が見る間に大きくなっていく。
渡瀬が何かに気付いて荷台の影から頭を出して周囲を伺った。
先ほどまで近くにいたはずの魔獣がじりじりと後ずさっている。キャンキャンと怯えるように鳴いているものもいた。
渡瀬はゆっくりと立ち上がり、魔獣がこちらを襲う様子がないことを確かめた。地面に横たえているソフィアを抱きかかえると、魔物たちは一層怯え、あるいは威嚇するように低く唸りながら渡瀬から距離を取った。
渡瀬は周囲の獣を注意深く見渡しながらゆっくりと馬車の残骸から離れていった。
†
魔獣に襲われてから更に歩き続けてもう何時間たっただろうか。
背後では夕日が地平線の彼方に沈もうとしている。行く先には黒々とした森がそびえている。
オレンジ色の陽の光に照らされて、森の前にとげとげした影が映った。小さな村落の、丸太を並べただけの防壁の影だった。森に隠れていてこの距離まで近づくまで気付かなかったのだ。
渡瀬は棒のようになった両足に再度力を込めた。
あと少し、あと少しだけ歩けば……。
額を汗が伝う。
荷車の中で負った頬の擦り傷に汗が染みる。今はその痛みが逆に有り難いと思う。痛みでも何でも気持ちを奮い起こさなければ、一度へたり込んで仕舞うともう二度と立ち上がれないだろうと思う。
満身創痍になりながら歩き続ける。
いよいよ村の防壁を見上げる近さになって見張りと思しき若い男がようやく渡瀬に気付いた。慌てて櫓を降りている。
その様子をぼんやりと渡瀬は眺める。
もう大丈夫なんだという安心感から張り詰めていた緊張の糸がふつりと途絶えた。
目の前が暗くなる。
渡瀬は立ったまま意識を失い、そのまま前のめりに倒れた。




