3話
翌日、約束通り公爵家を訪れたエセルは青褪めていたものの、前日ほどの悲壮感はなかった。
その姿からは心労が見て取れるが、礼儀を欠くことなく、華やかに飾られたティーセットテーブルの向かい側に腰かけている。
緊張する彼女に紅茶を勧め、自身もカップに口をつける。一口味わった後、セフォレッタは本題を切り出した。
「早速だけれど、貴女の話を聞かせていただける? できるだけ簡潔に、でも詳細に」
「かしこまりました」
セフォレッタの要求にエセルはこくりと頷き、これまでの経緯を語り出した。
事の発端としては、常に成績上位者に名を連ねているエセルにアレクセイが興味を持ち、声を掛けたことからだった。
アレクセイやセフォレッタなどの高位貴族の者たちと名を連ねる男爵家の娘。爵位こそ低いが、清楚な美貌と明晰な頭脳を持つ令嬢。高貴さゆえの尊大さと傲慢さを持つ高位貴族の女に飽きた彼らにとって、彼女はさぞや興味を惹かれる存在だっただろう。
最初はアレクセイやその取り巻きの子息たちに優秀さを褒められる程度だったが、それが次第にエスカレートしていった。いつしか交わす言葉が長くなり、私用で呼び出されることが増え、毎日のように昼食に誘われ、ついにはアレクセイからの贈り物が頻繁に届くようになった。
エセルは賢い娘だった。学園内での自身の立場の危うさをよくわかっていたし、前々から自分に向けられる目に敵意が込められていることにも気づいていた。ゆえに敵を作らぬよう上手く立ち回っていたのに、アレクセイたちが関わったことでその努力が無駄となってしまった。
彼らの好意を察し、何とかこの状況を変えようと彼女は何度も訴えた。贈り物は要らない、自分には心に決めた人がいる、気遣ってくれるのは嬉しいがこれ以上の気遣いは不要だ、と。
身分の差が大きいがゆえ正面から拒否するわけにもいかず、精一杯当たり障りのない言葉を選んで拒絶した。
しかし、脳内にお花畑を作っている彼らはお世辞である「気遣ってくれて嬉しい」の部分のみを深掘りし、暴走した。
その結果、アレクセイはエセルへの好意を隠さなくなり、それを見た取り巻きたちも彼女を王妃に相応しいと持ち上げ、挙げ句セフォレッタとの婚約破棄を画策し始めているという。
周囲に助けを求めようにも友人は子爵家や男爵家の令嬢しかおらず、王太子に歯向かえる人脈も持ち合わせておらず、更には心無い噂と嫌がらせがエセルに振りかかった。
エセルは憔悴した。慌悴しきっていた。そして散々思い悩んだ末、セフォレッタの元を訪れたのだった。
既に状況は悪い方へと転がっている。その中で王太子の婚約者でありオルヴァーグ公爵家の一人娘であるセフォレッタに接触することはエセルにとって大きな賭けだった。
怒りを買えば自分も男爵家も無事では済まない。それでも王太子に求愛されているという事態の深刻さへの恐怖心が勝ち、悲壮な覚悟を抱いてセフォレッタを使われていない講義室へと呼び出したのだ。
蒼褪めながら床に這いつくばるようにして頭を下げていたエセルの姿を思い出し、セフォレッタはふと首を傾げた。
「……純粋な疑問なのだけど、そんなに殿下と結婚するのが嫌なの? 王太子に見初められて王妃になるなんて、考え方によっては幸運だとも捉えられると思うのだけど」
「……確かに、傍から見れば幸運なことなのでしょう。でも、私自身にとってはそうではありません。第一、私には既に心に決めた方がおります。結婚の約束もしておりますし……何より、その方のことが好きなのです。私が妻になりたい相手はその方であって、殿下ではございません」
翡翠色の瞳がまっすぐにセフォレッタを見つめる。
物怖じすることなくはっきりと言い切るその姿は潔く、清々しくさえあった。
「私は王妃の座など欲しくはないのです。自分にそのような器量がないこともわかっておりますし、何より殿下にはセフォレッタ様がいらっしゃるのに……」
「私としては貴女が殿下の傍にいたいと思うのなら、喜んでお譲りするのだけど……」
「えっ!?」
セフォレッタの呟きにエセルが突拍子のない声を上げた。目を見開いたまま固まっている。
「確かに私と殿下は幼少の頃から婚約を結んでいるけれど、それだけよ。一応、それを受け入れて王妃になるべく育てられたけど……貴女も多かれ少なかれ殿下と関わっているのなら――わかるでしょう?」
首を傾げて微笑んで見せると、エセルが何か言いたげな顔をした。同意したくとも憚られるといった表情に思わず苦笑が漏れる。
「率直に聞くけれど、殿下のことはどう思っているの?」
「……好きではありません」
「好きか嫌いかで言うと?」
「嫌いです」
「素直でよろしいわ」
満足気に頷き、セフォレッタは表情を改める。
「気を悪くしないで欲しいのだけれど、学園内での貴女の評判がどうなっているかはご存じ?」
「はい。私の悪評であれば、毎日嫌というほど耳にしております……」
疲れたように微笑み、エセルは視線を伏せた。縋るように胸の前で組んだ手が震えている。
「以前より心無い噂が流れていたことは存じていましたが、殿下たちと関わるようになってからは更に酷くなったと申しますか……」
「嫌がらせめいた行為もあると聞くけれど、それも事実かしら?」
「……はい。最初は私物を隠されたりした程度ですが……最近では、その……死んだ生き物が鞄の中に入れられていたり、母の形見が無くなってしまったりと……」
ひどく沈んだ表情でエセルが俯く。
何の後ろ盾もない男爵家の娘への嫌がらせなど、暇つぶしと不満の捌け口にはちょうどいいだろう。しかし、母親の形見にまで手を出すとは、嫌がらせと呼ぶには些か度が過ぎている。
正直な話、セフォレッタがエセルに手を貸す道理はない。このまま無視していればアレクセイは後先考えずにセフォレッタとの婚約を破棄し、無理矢理エセルと婚姻を結ぶだろう。この国の王子はアレクセイしかいないため、諸々の不都合があっても彼の要求を通すはずだ。
セフォレッタとしても婚約破棄を申し入れられたら喜んで同意するつもりだった。婚約している時点のこのザマなのだ。結婚してからも何かしら仕出かすに決まっている。
生涯、アレクセイのお守りと尻拭いをするなど真っ平ごめんである。
そうは思いつつ、エセルの事情を知った今、見て見ぬふりをするのも後味が悪い。
どのみちアレクセイが関わっている以上、セフォレッタも無関係ではいられない。いずれは片づけなければならない問題だし、立ち回り次第では自身も馬鹿王子から逃げられるかもしれない。
その結論に達し、セフォレッタの腹は決まった。
「状況はわかったわ。何とかしてみましょう」
そう言って微笑めば、エセルの顔色に血の気が戻った。
縋るような眼差しの悲痛さに彼女のこれまでの心労が見て取れる。
「簡単には解決しないかもしれないけれど、殿下が関わっている以上、私も無関係ではいられないもの。 今でも十分面倒な状況だけど、更に良くないことが起こるとも言い切れないわ」
「更に良くないこと……」
「殿下は少々突飛なことをなさる方だから……。でも、安心なさい。殿下の扱いならばよく心得ているわ」
にこりと微笑み、セフォレッタはエセルと真っ直ぐに視線を合わせた。
「貴女にはもう少し今の状況に耐えてもらう必要があるわ。すぐに解決できるかはわからないけれど、できる限りのことはしましょう。……それでもいいかしら?」
セフォレッタの言葉に一瞬泣き出しそうな顔をしながらも、エセルは大きく頷いた。
「もちろんです! 私にできることでしたら何でもいたします。今の状況を耐えろと仰るのなら必ず耐えてみせます!」
「ふふ、そういう心意気は好きよ。……まずは殿下の様子でも見に行こうかしらね」
拳を握って宣言するエセルを見つめ、セフォレッタは美しい微笑を浮かべた。




