に満ちたあクいに邂逅のような
「―――――――――っっっっっっっっっっっって、ッんなの私が許すわけないだろぶわァああアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああかッ!」
頭がかち割られるような大声が鼓膜に突き刺さり、僕は跳び起きた。前後不覚に陥って叫びかけるが、視界に飛び込んできた顔に、僕は絶叫を飲み込む。
目の前に、鏑海音の顔があった。
僕は目を拭って相手の顔を見直した。やはり、どう見ても鏑海音である。
「……あれ。おはよう」
「おっはよーう!」と元気よく挨拶する鏑海音。
大声の残響で頭が痺れている。僕は頭を押さえながら深呼吸した。ザラザラした畳に手を着いて身体を支え、いぐさの匂いを吸い込んだ。
「……?」
僕は違和感から左右を見渡す。そこは狭い和室の中だった。
和室の広さは四畳半。四方の壁は飴色の砂壁で、窓や戸口は見当たらない。天井には電灯などは付いておらず、天井そのものが柔らかく光っていた。
……あれ? と首を傾げる。僕って自動車の助手席で寝てなかったっけ? どうしてここにいるんだ。それに、どうして鏑がいるんだ。
僕が畳に正座すると、正面にいる鏑海音も正座に座り直した。その足の下には座布団が敷かれていた。和室にある唯一の道具はその座布団だけだ。
「ここは、どこだ? お前の仕業だろ」
「いいえ? ここはサカノ君の夢世界であり、精神空間ですわ。そして私は、面白おかしい悪夢デリバリーです。君の内側に侵入してきましたの」
ということらしかった。
変な場所にさらわれたよりはマシかと思い、深く気にしないことにした。夢だからいつも以上に矛盾を飲み込んでしまう僕であった。
「鏑、その座布団貸して。また寝るから」僕はごろんと横になった。
「私がここにいるのにクールなリアクションすげええ! よーゆーう! サカノ君の精神力どうなっているのかしら。ラスボスが頭の中に侵入してきたんだよ。ピンチだと思ったりしないの? 無防備だとしちゃうよ? 洗脳」
「人の夢の中でもぶんぶんうるせえ小バエだな……」僕は邪険に手を振った。
「君の無駄な強気って何なの、恐いわ引くわぁー」
大人しく寝させてくれそうにないので、僕は起きることにした。
「夢の中でも追跡できるんだね、鏑さん。っで何? 考えてみれば魔女と会話する機会はそうそうないだろうし、夢の中でぐらいは平和裏に話してあげるよ」
「ありがとーん! 愛してない大嫌ーい! 死ねーい!」
「奇遇だな。僕も君が大嫌いなんだ。変なところで気が合う」
正座を突き合わせながら、僕たちはにこやかに睨みあった。
鏑が先に目を逸らし、くくく、と小さく肩を上下させる。
「……ぶっちゃけ話すことなくね? 完全な交渉決裂で、敵対中じゃん。私は七次元界には絶対に戻らないしこの世界は破壊する。君は私の要求には死んでも従わないし理解もできない。これって完璧な平行線でしょ」
「まあね。僕が死ぬか、君が死ぬかだ。それでも話のタネで一応聞いておこうか。どうして僕たちの世界を壊そうとするんだ? なぜ僕を生かした?」
尋ねると、意外にも鏑は正直に答えた。
「次元界の構造を君がどこまで知っているか分からないけど、この棲み分けの制度が、私は産まれたときから大嫌いなのね。もっと混沌としてていいじゃないもっと楽しくていいじゃない。しかも最底辺の三次元界を手厚く保護するっていうルールが偽善っぽいし! めちゃくちゃメタメタ上から目線だし! 見下すなっつーの! 神クラスの住人と話してみなさい? 反吐が出るぜ? てっぺんの世界でのうのうと生きている奴らの顔を想像するだけで、私は胸糞悪くなるのよ。だから、リセットしてやることにした。第三次元界を破壊して全次元のバランスを崩壊させ、すべてのあらゆる存在者を同じスタートラインに並べてやることにした。――きっと、楽しい世界になるわ」
鏑は、ここではない夢の場所を見つめ、うっとりと微笑んだ。
ふうん、と僕は頷いた。特に共感も反感もなかった。大それた野望なのかもしれないが、やはり話のスケールが想像付かない。ただ僕は、鏑海音に積極的な敵意を抱いているわけではないのだと自覚した。クラスメイトが虐殺され、僕の住む世界が壊されかけてさえいなければ、気まぐれで魔女の味方に付くこともあったかもしれない。……いや、やっぱハイテンションに嫌気が差してすぐに裏切るな。うん、裏切る裏切る。
「じゃあ、僕を勧誘した理由は? 君にとって僕はどんな価値がある人間なんだ?」
「さあ何でしょう。当ててみな。百個言えば当たるような簡単な理由よ。言われれば『なあんだ』ってなっちゃうようなシンプルな答え」
「いや、百個って相当の数だよ」
せいぜい十個くらいしか思いつかないって。
鏑は白けた顔になる。
「君ってノリが悪くてつまんないわね。死ねば? 死ねば? 死ねば? 次はこっちの番と思ったけど、そういえば君に聞きたいことってないのよねー。良くも悪くも裏表のない性格だから、普段の言動を見ていれば大体のことは分かっちゃう。きゃはは、やっぱ貴様つまんねー」
「話すことがないなら、出ていって欲しいな。それともここで決着を付ける?」
「あら強気。あらら元気。あらららららっ! クラスメイトの惨殺死体で気絶しちゃった子と同じとは思えない。じゃーあ、そーしよっかなああああああぁー!」
ずぐり、と鈍い音がして、僕の腹を何かが突き抜けていった。見下ろすと、僕のみぞおちに一本の腕が突き刺さっていた。鏑の二の腕が深々とぶっ刺さっていた。背中側に貫通する腕を辿って視線を上げてみれば、にたぁ、と笑った鏑と目が合う。こういう笑顔は嫌いじゃないんだよね。
「……ぉッ!」強い寒気が全身に走った。
僕は、半開きになった口から血の泡を吹いた。血涙と鼻血もだらしなく垂れ流しにしながら、激しく痙攣した。寒気が死の予感だと気づいたのは、鏑が僕の腹から細腕をゆっくり、ゆっくりと引き抜いたときだった。鏑の腕はわざとらしいくらい真っ赤に塗れて、人体の一部でありながら日本刀のように美しく、おぞましい。
ぽっかりと開いた腹の空洞に風が吹き込んで、僕は吐血した。
「な、あ、ッ……ガァっ……!」
僕が膝を着くより早く、僕の腹から初々しいピンク色した内臓が零れ落ちて、四畳半を真っ赤に染める。両目も口も、十四年間の人生の中で一番大きく広がって、血液を垂れ流しにするけれど、やっぱ胴体の噴出量には敵わない。
予期せず怨敵に跪く格好となってしまったけど、僕が鉄塊みたいに重たい頭を持ち上げると、鏑海音は爽やかな笑顔をこちらに向けていた。
「油断してたぁー? どうしてどうしてー? 攻撃しないとか言ってねえしいいいい! 夢の中だからダメージゼロとか知らねえしぃー! ここは精神空間なんだから本人がここで死ねばリアル死ぬに決まっているじゃんあったま悪りぃー!」
「…………」
こいつ、僕が喋れないのをいいことに言いたいこと言いやがって。
僕の呼吸もまばたきもさっきから止まっていた。目蓋も口も限界まで開き切っているのに、どちらもまったく機能していない。両目には赤いフィルターが掛かっている。口から出るのは蚊トンボの羽音のような息。腹から律動的に血が噴き出しているのを見ると、心臓はまだ諦めずに鼓動を繰り返しているようだ。その働きは全部腹から出てしまっているけど。どうしてまだ死ねないんだろうと理不尽を思う。失血多量、ショック死、内臓破裂、脊髄損傷、心臓麻痺。いつ死んでもおかしくない状態というか、五、六回はすでに死んでいるだろう。もっと死ねということか、神様?
「まーだ死なないの? 死太さは尋常じゃないねん」
頭上から鏑の声が掛かる。僕はというと、臓物と血の池に顔面から倒れ込んで、無防備に後頭部を晒している体勢だった。バランスを崩した首がぐにゃりと捩れ、顔の左側が天井に向いた。
「んじゃあ次は頭蓋割り、行こっかー」鏑が片足を持ち上げる。そしてアリを踏み潰す気軽さで足を踏み下ろす。死の手前にある僕の脳裏には、しかし走馬灯のようなものは蘇ってこず、ただ鏑の足が落ちてくるのを麻痺した感覚で見つめていた。
「……ッ!」
頭上で二つの音が生まれた。
果たして小さな悲鳴が先だったか、炸裂音が先だったか。鏑がいきなり弾き飛ばされた。狭苦しい部屋の中、鏑は壁に激突するかに思えたが、瞬間的にぐにゃりと景色が歪み、四方の壁が消失して、鏑は遥か彼方に飛んでいった。
僕は信じられない心地で、それらを見た。四畳半の空間は景色を一変させていた。壁と天井はとっぱられ、代わりにパノラマの地平線と雲ひとつない青空。畳敷きはいつしか白い砂地となり、僕はそこに寝そべっている。
呼吸が楽だった。血溜まりが消え、胴体の穴は綺麗に塞がっていた。
何もない砂上に濃い陽炎が生じ、それは人型に整えられていく。僕がまばたきを一度したら、そこにウインドブレーカーを着た後ろ姿が現れていた。
髪の毛でリボンを作るような髪形。すっと伸びた足を覆うはショートパンツとスパイクシューズ。そしてチャックを全開にして、ウインドブレーカーの裾をはためかせる。スポーティな少女が、僕を庇うように立っていた。
少女が振り向いて、生意気な笑顔を向けてくる。
「眠っている最中に殺されかけるなんて、間抜けだなあお兄ちゃんは」
「カチューシャ……」
飼い犬にして僕の双子の妹、エカチェリーナが立っていた。
「どうせこんなこったろーと助けに来ましたよー、っと。人間バージョンのワンもイケてるっしょ。こう見えてワン、陸上部のエースだったんだよ!」
「知るかそんな裏設定。でも、どうやって僕の傷を直した?」
カチューシャは、自分の頭に指を当てて答える。
「お兄ちゃんの夢ごと、ワンの精神空間で上書きしたんだワン。兄妹だけあって脳波のパルスを同調させるのは楽チンだったよ。お兄ちゃんを取り込んで、復元した姿をイメージすれば、ほら完成!」
「ということは、この砂漠がお前の精神空間なのか……」
草一本生えていない砂漠を見渡す。動物の死骸や殺人光線があるわけではないが、無駄にだだっ広いのが物寂しい。
「ちょっと、あんまり乙女の中身をジロジロ見ないでよぅ。緊急避難で入れただけなんだから。ま、余計なおまけまでついて来ちゃったけどねー」
「きゃはは、それって私のことお?」鏑の声が飛んできた。
彼方で爆発が起き、砂が高く舞い上がる。その振動がこちらに届くのと同時に、カチューシャの顔面に鏑の拳が直撃していた。甲高い快音が鳴り響いた。
「――――」
だが、カチューシャの直立はぶれていなかった。鏑が右腕を伸ばしきったまま止まっている。その拳をカチューシャが掌で受け止めていた。二人は睨み合い、火花を散らす。先に口を開いたのは鏑海音の方だった。
「五次元の天狗の次は、パラレルワールドの残影? 何それ舐めてんの? 無力で無能のバッグアップが私に何の用かしら?」鏑が右腕を下ろす。
「用があるのはお兄ちゃんだけ、委員長は邪魔だから消えて欲しいな。ちゅーか、蓮華の変態魔女とキャラかぶってない? ダッサー。お兄ちゃんが欲しいみたいだけど、残念でした、この兄は人気者なんですでにご予約済みでーす。生き恥晒して帰れ」
「うふふふふふ黙れ駄犬。今なら心臓抉りで殺してあげるから、私をイラつかせないでちょうだい。死んでまで苦しみたくないでしょ? すぐにみんなあの世に送り届けてあげるから大人しくしてなさい殺されなさい」
「ブッブー! 人に命令されるカチューシャちゃんじゃないのでしたー! 忠犬舐めんじゃねえよ。主人の障害はすべて噛み千切る。イカレたガキでも容赦しない」
「不毛な脳みそしているわねその頭蓋骨はお飾り? 目ん玉も耳たぶもぷっくり唇もただの安物アクセサリーね。分かったわ理解しちゃったわもう結構アハハハハ!」
暴風が起こった。鏑海音の両腕が掻き消えて、一繋がりになった打撃音が生まれる。機関銃のような連続の打撃を、カチューシャはすべて柔軟に受け流す。そちらの腕もまた速すぎて目に留まらない。
夥しい攻防の間に、カチューシャの声が聞こえてきた。
「いやいや、のん気に観戦してないで今の内に逃げて逃げて。ちょ~っとお仕置きに時間掛かりそうだから」
反射的に頷きかけ、しかし、違う言葉を口にした。
「だけど、カチューシャ」
「あはは、そこで躊躇しないでって。ワンの心配ならご無用。この委員長はただの斥候で、奴の分身に過ぎないから、ここで倒しても意味はない。でもって、そんなのに、倒されるワンじゃないよ」
カチューシャは気軽に言った。その言葉がどこまで本当か分からないが、実際に鏑海音の攻撃をすべて防いでいる。
「そうかよ……。でもどうやってここから逃げりゃいいんだ」
僕は三六〇度の砂地を見渡した。地平線の果てまで何もないように見える。どこに出口があるんだ。地平線まで走っていけというのか。
「太陽を目指して飛んでいくの。そうすれば意識が浮上して覚醒する。ほら、方法が分かったら、殺風景な世界からさっさと退散するする」
カチューシャにせっつかれて、僕は妹から離れ、呼びかける。
「早く追ってこいよ。お礼はそのときに言うからな」
「あー、不吉なのは言いっこなしだワン。殊勝な兄とか恐いだけ」カチューシャは前を見ながら言ってきた。「ワンを信じるワン」
「信じた」約束すると、僕は真上に跳躍した。
太陽に引っ張られるように僕は上昇していく。地上で大きな爆発音が三度響いた。戦いの様子を確かめる余裕はなく、僕は真っ白に燃え上がる太陽を睨みつける。白い太陽の表面に黒点がポツンと落とされた。それがぐんぐんと巨大化していき、すぐに太陽の枠を越え、空に広がっていく。まるで大空に開いたブラックホールのようだったが、それに接近していくごとに表面の光沢感やざらざらした様子が見て取れるようになり、巨大化しているのではなく、まっすぐ落ちてきているのだと理解し、それの正体に気付いた。
それは超巨大サイズのフライパンだった。
「ぐぎゃ」
まっすぐ上昇していた僕は、フライパンの底面に衝突して、覚醒した。




