隕石襲い来るカーチェイス
自動車は中学校を通り越して、さらに直進する。
「どこに向かっているんですか?」
僕は運転席にいるお姉さんに尋ねた。
すると笑いが返ってきた。
「あはは、そんなん適当だよ。ゆーっくり話している時間はないから、いくつかズバズバ聞かせてもらうよ」
「どうぞ。僕に答えられることなら」
「まず、君は警察の質問には一切答えてくれなかったけど、犯人を知っているね? 犯人を見て、話している」
「どうしてそう思うんですか?」
「そういう聞き返すのも省略したいんだけど、まあそこは説明しておかないとか。よし、いいでしょう」
幅広い道路を走らせていた車は高速道路のインター前で右折して、市街地に入っていった。「あそこ、検問をしてるんだ」とお姉さんは説明した。
外を見ると、夜空が白くなり始めていた。おぼろげだった山の輪郭が浮き上がり、その奥にある朝日の気配を匂わせていた。
「私は、相手が別の世界の住人か否かを判別することができる。実際に会わなくても、そいつの話を聞いたり、報告書を見たりするだけで。私はこの素質を活かして、社会に紛れ込んだ異物を排除しているんだ。……ここまでは良い?」
「大丈夫です」
「日曜日の泥棒もそういう輩の一人でね。それで、昨日の現場に行った私は、一目で異物感を感じ取った。これは人間の仕業じゃないと。私の管轄だから手を引くよう捜査本部には忠告したんだけど、認めてもらえなかったね。まあ、それはいい。私が気にかかったのはそこに生存者、君がいたこと。日曜日に続いてまた君が関わってきた。君が事件に関係しているとしか思えない。犯人が、君に復讐するためにこの事件を起こしたのか、もしくは君自身がクラスメイトを虐殺したのか」
「後者だったらどうするつもりだったんかねぇ」と座席に寝そべったカチューシャがのんびりと言った。確かに、と心の中で頷いた僕は、カチューシャの声は僕にしか聞こえないのを思い出す。
「僕が魔女だったらどうするつもりでした?」
「魔女っつったね? やっぱり犯人は七次元の魔女か……」
お姉さんは舌打ちをしてハンドルを指で叩いた。こちらに半分振り向きかけて、先の質問に答えた。
「君が魔女だったら始末していた」
そのセリフに、殺人鬼お姉さんの頃にあった鋭利な冷たさを僕は感じた。
「僕は魔女じゃありません。たぶんこの世界の人間、だと思いますけど……」最近の異変の連続を思い出して、尻すぼみになる。
「うん、君からは異次元の気配はしない。むしろ、そっちのワンちゃんから仄かに漂ってくるかな。その子、何て名前なの?」
「エカチェリーナです」
「呼びにくそうな名前だ」お姉さんはそう笑った。「ごめん、話がずれた。私は異次元の住人の痕跡が分かる。流君は二回続けて現場にバッティングした。犯人が魔女ならただの人間を始末し損ねることはありえない。そして君はあっちの事情に精通している。以上から、君が犯人と何らかの関わりがあると判断した。これでいいかい?」
「はい。納得しました。もう一つ確認してもいいですか?」
「何なりと」
「できるんですか? あなたに魔女を殺すことが」
「それをすぐに証明することは難しいね。ここに魔女はいない」
「そうですね。失礼なことを言いました」
「気にしてないよ」お姉さんは笑った。「君は魔女の脅威を知っているようだけど心配は無用だよ。こちらの世界に顕現しているということは、力の大半が制限されているはずだ。決して倒せない相手じゃない」
カチューシャがむくりと顔を起こし、こう言った。
「この人は信用してもいいんじゃない? 協力者はいるに越したことないし、お兄ちゃんとも浅からぬ関係だし」
僕はそれに頷き、運転席に言った。「魔女は二年一組の学級委員長、鏑海音です」
「学級委員長って呼び方懐かしいなぁ。鏑海音ね、了解」
お姉さんの軽い反応に、僕は呆気に取られてしまう。
「……驚かないんですか? 確か、委員長の父親って警部とかで、結構偉かったんじゃなかったでしたっけ」
「親が偉かろうが、悪人は悪人だよ。それに娘さんもシロだろ? 魔女が『下りてくる』寄り代に選ばれてしまっただけだ」
「ええ、その通りです。話が早くて助かります。そこのところを僕の足りない説明力でどう分かってもらうか考えていたので」
「君と魔女の関係性は?」刑事のお姉さんが聞いてくる。
「僕がどうやら魔女の計画を邪魔してしまったようで。その逆恨みでこっちの世界に来たようです。あわよくば僕を勧誘したいと」
「魔女が勧誘?」お姉さんが驚きを示したのがバックミラーに映った目元で分かった。「あのプライドの高い個別主義の連中が……、下層世界の住人を認めた? 君ったらどんな凄まじいこと仕出かしちゃったのよ」
「さあ……」僕は曖昧に頷いた。ベヒモスというでかい怪獣を退治したことを話そうかと思ったけど、あの日はとにかく無我夢中だったのでどうやって倒したのか詳しいことを覚えていない。気が付いたら窮地を脱していたのだ。「心当たりがあるとすれば、クリアレスを倒したことくらいですかね」
「クリアレス?」お姉さんが怪訝な声を出す。
「ああ、魔女の送り込んでくる、見えない遣い魔のことです」
「遣い魔……。そんなことする魔女は、一人しか知らないな。一人いれば充分だ。――その魔女の目的はこの世界の破壊。そうだな?」
「はい。奴は、自分の手で世界を壊しに来たと言っていました。お姉さん、あの魔女のことを知っているんですか?」
「こっちの世界に帰属する前に嫌ってほど相手していたよ。鏑矢の魔女。再びあいつが動き始めたか」
話がさくさくと進んでくれるのはありがたい。鏑矢の魔女の能力の全貌も対処法もまだ分かっていない段階だが、僕は安堵を覚えていた。
お姉さんの運転は一定速度で、何度かコンテナトラックに追い越されていた。僕は窓の外に目を向けて、その景色に見覚えがあることに気付く。
……適当って言いながら、いったいどこに向かっているのかと思えば。
「お姉さん、さっきから町の中を回っているみたいですけど、怪しまれませんか」
現在、自動車が走行しているのは郊外に走る幹線道路だが、さっきまでは商店街や住宅街の中をゆっくりと走っていた。今もまた、ふと曲がって市街地に入っていく。早朝に何度も同じ車が走っていれば住民にも怪しまれるだろうに。まさか、単純な方が意外とばれないもんだよ、などとのん気なことを言うのだろうか。
お姉さんはのんびりと口を開いた。
「大丈夫だよ。一般人には感知できないようになっているから。これ、移動中は結界になる法術のアレンジなんだ。古来から『どこぞ遠くへ向かうこと』が死の旅路、つまり死ぬことの隠語になっていて、それは同時に世界から『外れる』のを意味する。死体が棺桶に入れられ墓場に持っていかれるとき、その棺桶の中は絶対不可侵の異界になっている。今この車は一般人からは見えないし、もし気付いても干渉できないよ」
「無闇に移動していたわけじゃなかったんですね」
殺人鬼お姉さんの頃も無防備に車を走らせていたから、てっきりドライブが好きなのかなと僕は思っていたが、ちゃんとした理由があったようだ。それにしても移動中は目に付かないとか、犯罪者に与えたら一番まずい能力じゃなかろうか。お姉さんが刑事になってよかった。
「それと、のんびり走っているのには理由がある。この法術はね、一般人以外の相手には何の効力も持たない上に、異界が走り回るわけだから場を穢す。異界の住人に対しては、自分の位置を知らせるようなものだ。しかも今は君を乗せている。それってつまり、どういうことか分かるかい?」
「……どういうことですか?」
「君をエサにして魔女が食いつくのを待っている、ということだ」
お姉さんがそう言ったところに、強い衝撃が走った。
後ろで轟音がしたかと思ったら、車体が下から突き上げられ、僕は浮遊感を味わう。浮かされた車は道路に落下し、激しくバウンドする。「そおれかかったぞ!」お姉さんが嬉しそうにハンドルを切って、車の姿勢を立て直す。走り続ける車は、しかしいまだに上下に揺れている。地面が鳴動しているのだ。
僕は轟音の正体を知ろうとリアガラスを振り返る。
遠ざかる道路の真ん中に円状の凹型亀裂、クレーターができていた。しかもクレーターは走行中のこの車を追うように、列を成して作られている。僕の見ている先で、赤銅色の岩石が空から降ってきて、車が通ったばかりの道路に突き刺さる。落下の衝撃が地面を通して伝わってくる。
「隕石だワン。速度を一瞬でも緩めたら直撃するよ」カチューシャが解説する。
「隕石って、んな自然災害、気軽に使ってくんなよ!」
「ベヒモスの破壊力に比べてたら可愛いものだワン」
世界を滅ぼす神獣と比べてマシというのは、慰め方としては最低だと僕は思う。
「……来るよッ!」お姉さんが叫び、車を直角にカーブさせる。発生した遠心力に僕は座席から飛ばされかけ、咄嗟に足を突っ張った。その際にサイドウインドウから背後の道路が見えた。僕は真正面からそれを目撃した。
道路と水平に飛んでくる灼熱の岩石を。
「……ッ!」
車が加速し、隕石を直撃寸前で避けた。
遠ざかる道路の中央に、仁王立ちするセーラー服の少女――鏑海音の姿を見つけた。鏑海音は、こちらを追って跳躍し、落ちてきた隕石をキャッチする。そして鏑は空中で高速回転すると、サイドスローで隕石を投げつけてきた。
「……チッ! またか!」お姉さんが忌々しげに叫び、ハンドルを回転させて運転を左に振り回す。唸りを上げて飛んできた隕石が、車体の数十センチ右横を掠り抜ける。「キャッハハハハハハハハハハハァッッッッ!」という下品な笑い声が後ろから聞こえ、反射的に振り返った僕は、魔女の次の一手を見る。
一部始終、その行程を見ていた。
鏑海音は走りながら、右腕を天に伸ばして渦を描くように回し始めた。腕は回転速度を上げていき、すぐに目で追えない高速になった。魔女の片腕に掻き混ぜられた大気は渦を巻き、竜巻に成長していく。大気が捻じ曲げられる異音が辺りに鳴り響き、竜巻の中心に稲光が走った。
光は一瞬で太さを増し、地上から天空に走る。
天に昇る龍のごとくの稲妻が産まれた。
「逃ぃーがさないよーおッ!」鏑海音が高笑いし、突き上げた右手で、雷の尻尾を握り締めた。変化は瞬時に行われた。雷撃の龍が、太刀の形状に変化した。
地上から天空の雲を貫通する、超過サイズの大太刀だ。
鏑が腕を大きく振りかぶると、雷撃の太刀はそれに追随する。
雷の照準が構えられたのを、僕は理解した。
「……ッッ!」運転しながらお姉さんが悲鳴のような呻き声を上げ、ハンドルから両手を離して、後部座席の僕の方にバッグハンドで左手を伸ばしてきた。「シートベルトッ、してないよね! 掴んで!」
「最初からしてません!」僕は言われるがまま、お姉さんの手首を掴んだ。向こうも握り返して固定してくる。僕はカチューシャの胴体に左腕を回して抱き締めた。
「飛ぶよ!」お姉さんが叫んだのと車内が目映い光に包まれるのは同時だった。あの光が鏑海音の雷によるものだったら直撃していたわけだから、きっと目の錯覚だったか、お姉さんの能力の二次的作用だったのだろう。
僕たちは空を飛んでいた。一瞬で上空まで移動したのだ。ワープができるのなら早く出して欲しかったけど、多用できるものではないのだろう。お姉さんは顔を青褪めさせ、息を荒げていた。
二百メートルほど下の地上に、黒焦げになったセダンが見えた。スピードを出していたセダンは、雷に焼かれたあとも慣性で走り続け、数度爆発してから、そのまま長屋式のアパートに突っ込んだ。まばたきほどの静寂の後、アパートの内側で爆発が連続して起き、建物は火炎に包まれる。
その惨状を目にしながら、僕とカチューシャとお姉さんは一塊になって重力に引かれていく。お姉さんが改めて僕の手首を強く握り、虚空を蹴ると、僕たちの身体は空に跳ね上がる。
「手ぇ離しちゃ駄目だよ。落としちゃうから」お姉さんが注意してくる。
「はい」僕は頷き、カチューシャを抱く左腕に力を篭めた。
「あ、ちょっと呼吸がきつい。緩めて。もっとお人形を抱くように優しく」妹犬が細かい注文を出してきてから、吐息した。「ワンったら完全にお荷物だワン」
「気にすんなよカチューシャ。僕もだ」
「まだ逃げ切れてないんだ! 油断しないで!」お姉さんが怒鳴った。
地上の状況は凄まじかった。
鏑海音がこちらを見失っていたのは数秒間だけだった。人が空を飛んでいれば嫌でも目に付く。空中を翔ける僕たちを補足した鏑は、道路を無視して追跡してきた。一歩で直近の信号機に飛び乗り、次の一歩で民家の屋根に飛んで、屋根の瓦を吹き飛ばしながら三歩目を踏んで、団地の屋上に着地した際にタンクやパイプを巻き添えにする。屋上を足がかりに鏑はさらに跳躍し、矢のごとく飛来してくる。
建物の高さを無視した追跡は、最短距離でこちらとの距離を縮める。鏑海音は一歩の跳躍で五十メートルを進み、速度を上げるごとに一歩の距離も伸ばしていく。着地で亀裂を生み、跳躍でそこを踏み抜き、破壊の跡を残す。
僕が思ったのは、もう少し落ち着いて追ってこれないものかな、である。思考も能力もぶっ飛んでいる魔女に言っても、詮のないことなのだろうけど。
しかし、速度はこちらに分があった。鏑海音の疾走は、飛翔するお姉さんに追いつけるものではなかった。少しずつ鏑との距離が遠ざかっていく。
行けるか? という期待が僕の頭に浮かぶと、こちらの心を読むようにカチューシャが「まだまだ来るよ」と言った。
後ろを見張っていると、並んだ家屋の屋根の上を走っていた鏑海音が飛び降りて、一旦その姿が見えなくなる。鈍い打撃音が後ろから聞こえたかと思ったら、間にあった家屋やマンションを貫通して、あるものの群れが飛んできた。空気を切り裂いて超速度で迫りくる灰色の柱たち。それは根元から折られた電柱だった。
「お前はタオパイパイか!」僕は思わず叫んだ。
「代わって!」お姉さんがぐいっと僕の腕を引っ張って、空中で位置を入れ替える。僕が前を飛んで、お姉さんが背後を睨みつける。まるで僕がお姉さんの腕を引いて飛んでいるようなかたちだ。
「いや、代わってって、僕にどうしろと……」
「適当にドーン! って感じで跳んで!」とお姉さん。
ナイスアバウト指示。ちっとも分かりませんって。適当にドーンねえ。僕も水曜日は空を飛んでいたけど、あれ、どんな感覚だったっけ?
そんなこと考えている内に電柱の一本目がぶつかりかける。「らぁッ!」お姉さんは足を振り回し、電柱を蹴り飛ばした。回し蹴りの勢いを殺さず、逆の足で二本目の電柱を外に弾いた。お姉さんの錐揉み回転に合わせて、片腕で繋がった僕の体躯も回転する。一緒に振り回されたカチューシャは、キャンッ、と犬らしく鳴いた。
「……流君! しっかり押さえてくれないと蹴りの威力が落ちる!」
「初心者に無茶言わないでください!」
互いに叫んだところに三本目の電柱。お姉さんは前蹴りで蹴り返し、すぐ後ろに迫っていた四本目にぶち当てて相殺する。しかしお姉さんも蹴った反作用で宙返りし、僕との位置が入れ替わった。
電柱は次から次へと飛んでくる。
「くッ、もういい君が蹴れ!」お姉さんが大声で言った。
「ええ! いやいや無理無理無理!」
全力で拒否するが、電柱の突貫は待ってくれない。
「蹴れえええええええ!」お姉さんが叫んだ。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええッ!」
何が何だか分からず、僕は我武者羅に右足を振りかぶり、蹴った。
音はしなかった。
想像していたような硬さは爪先に返ってこなかった。ただ、爪先が柔らかいものに食い込む感触がして、
「――――ァ!」
僕たちの身体は吹っ飛んだ。
それは加速だった。僕は、目も開けられない高速の風の中を飛行していた。右手でひしっとお姉さんの腕を掴み、左腕にはカチューシャを抱きかかえて、鋭く風を切る。気がつけば、さっきまで逃げ回っていた電柱の群れも鏑海音も、僕たちの町もまったく見えなくなっていた。
加速はなかなか緩まなかった。市を四つ跨いだ辺りで速度が落ちてきた。
僕は、きっとあそこで蹴ったのは、電柱じゃなくて空気とか空間とかそういうものだったのだろう、と考え付いた。
「逃げ足速すぎだろ、少年」そう言ってお姉さんが苦笑した。
「ここまで来れば、逃げ切れましたよね」
僕たちは落下軌道に入っていた。進行先の山頂には澄んだ湖が見える。名前は大沼湖。湖で沼とはどっちなのだろうか。家族との旅行で僕は何度か訪れたことがあった。父が片道五十キロと言っていた覚えがある。ということは、僕たちは約五十キロメートルの距離を飛んできたわけだ。
「着地は私が代わろうか」お姉さんが空中で社交ダンスを踊るよう回って、僕と位置を交換する。「逃げ切れたかは、まだ分からないよ。でもせめて、作戦を立てるまでの時間稼ぎにはなってほしいけど」
お姉さんは空中を細かく蹴って、落下地点を微調整する。桟橋が伸びる湖畔に小さな駐車場が見える。そこに着地する直前、お姉さんは爪先を鋭く振って落下速度を和らげ、静かに足を着いた。僕が足をアスファルトの地面に着け、カチューシャを下ろしたら、お姉さんが僕の手首を離した。ずっと握り締められていたから手形の痣ができていた。見るとお姉さんの左手首にも僕の手形が付いていた。
駐車場には車が一台だけ停まっている。人の気配はなく、湖面は静まり返っている。桟橋には沢山のオールボート。桟橋の横に管理小屋があり、そこの扉が開いて、仰天した顔の中年男性が出てきた。中年男性は口髭を震わせて言った。
「あ、あんたら、さっき、空から降りてこなかったか?」
「ええ。実は特殊訓練中に非常事態が発生し、こちらに不時着しました」お姉さんはすらすらと語り、懐から警察手帳を取り出した。「申し遅れました。私は警察です」
中年男性は突きつけられた警察手帳に目を瞬かせ、お姉さんの言い分に押され気味に頷くが、思い出したように湖や森林の方に視線を回す。
「はあ、特殊訓練中と……、パラシュートもなしにどうやって着地を?」
「私は特殊訓練を受けておりますので」お姉さんは答えになってないことを言う。
「はあ……」男性は半信半疑でこちらのメンバーを見比べる。「訓練は、その、子供と犬も一緒なんですか?」
「それが通常ですが何か? 警察犬も特殊チームの一員である以上、訓練に参加させる義務があるのですよ。あとこの子は人質役」と白々しく嘘を貫くお姉さん。
ってか、僕の設定適当だな。
男性の疑心が膨らむ前に、お姉さんは警察手帳を片手に畳み掛ける。
「まれに見ない大変な非常事態です。一台車両をお借りできますか」
「緊急事態って何が起こったんですか?」
当然の質問が飛んできたので、お姉さんは「それはですね」と言いかけ、そのまま凍りついた。立て板に水に嘘を吐いていた彼女は、肝心の「緊急事態」の内容まで作り込んでいなかったようだ。嘘は使うのは簡単だが、細部が甘いと後々に自分に降りかかってきて後悔することになる、という教訓を教えてくれる見本だった。この人の場合、嘘だけじゃなくて、ところどころ詰めが甘い気がする。
お姉さんのフリーズから五秒が経過し、流石に男性の表情が曇り始める。
「あの、どうしたんで……」
「せいやっ!」お姉さんはボディーブローを一閃、中年男性を昏倒させた。男性は両膝を着いて前のめりに倒れていった。
やっぱこうなったかー、と僕はお姉さんの行為をのん気に眺めていた。行き当たりばったりな彼女のことだから、きちんと交渉するはずはないと思っていた。
刑事のお姉さんは倒れた男性のズボンのポケットを漁り、複数の鍵がジャラジャラと付いたキーホルダーを探り当てる。
「鍵は一まとめにするタイプか。車と自宅と、あとこれは小屋のかな」
「何の鍵か、見て分かるんですか?」
「どこに使うのかが、直感的に分かるのよ。まあ、ちょっとした超能力だね」
「泥棒以外に使い道がなさそうな超能力ですね」
「って、いや! 何のん気に話しているのさ! 強盗強盗! 警察の不祥事!」カチューシャが喧しく吼えるが、何を言っているのかよく分からない。警察の緊急時における独裁政治ぶりを知らないのか? 他人のものを無断借用するくらい、可愛いものだ。
「大したことじゃない」と諭したが、犬は唖然とするだけだった。
「……お兄ちゃんって、そういえばそっち側の人間だったよね」
「そっち側ってどっち側だ。縁側か?」
しかしカチューシャは答えてくれなかった。
「おーい、流君、ちょっと運ぶの手伝ってー」とお姉さんが気絶した男性の両脇に手を回して、頼んできた。僕が足側を持ち、二人で男性を小屋の中に運び入れた。
管理小屋はログハウス風の建物で、中の広さは六畳程度だった。救命胴衣とロープ、浮き輪、縄梯子、それと釣り用品などが壁際にずらりと並んでおり、やや手狭に感じた。小屋の施錠は外から南京錠を掛けるタイプだったので、管理人と思われる男性を小屋に入れたあと、僕たちは外に出て、ドアの南京錠を掛けた。これで男性は自分の力だけでは小屋から出ることができない。お姉さんは、回収した男性の携帯電話を湖にオーバースローで投げ捨ててから、清々しく笑う。
「よし。電話線も切っておいてから当分助けは来ないね。さて行こうか」
「澱みねえワン! 監禁行為が手馴れているワン! お兄ちゃん、やっぱこの人危険な人だよ!」
「何を言っているんだこのファッキンドッグは……。駄犬を英語にしてみたけど、妙に格好いいなファッキンドック。カチューシャやるなあ」
「阿呆かあああぁー! 兄が阿呆だぁ! 兄は阿呆だったんだよ……!」
「何を嘆いているんだ。ほら、行くよ」僕は犬の身体で転がって苦悶するカチューシャに声を掛けて、駐車場に向かう。駐車場には一台しか停まっていない。
その黒い自動車のボディに、お姉さんがベタベタと触って感心していた。
「ほーう、良い車乗っているねー。ベンツGLAクラスじゃん」
「良い車なんですか? これって」
「良いに決まってるじゃん。ベンツだよ、ベンツ。一度運転してみたかったんだ」
「夢が叶って良かったですね」僕は笑った・
「盗人猛々しいワン……」そう呟いて、カチューシャはお姉さんがドアを開けてくれた後部座席に入っていった。
お姉さんと僕も運転席と助手席に乗り込んで、大沼湖を出発した。
山を降りる道はぐねぐねと蛇行しているなだらかな坂道だ。周りには森林しか見えず、ときどき宿泊所と温泉の看板を見る以外は退屈な道だった。
「とんでもない目に遭いましたね」僕は、運転中のお姉さんに話を振った。「魔女ってやっぱハチャメチャですね」
「んー、あんなもんでしょ。弱体化、というか順応化だけど、魔女だったらあれくらいのアビリティは一緒に運び入れてくるよ。魔女が二つ名を名乗っただろう? あれはこっちの世界での能力を確約するためなんだ。自分と相手に名前を認識させることで、能力のタイプが固体されてしまうけど、安定した干渉力を発揮できる」
「勝てますか?」
「同じ質問には答えない」お姉さんは微笑して答える。
「失言でした。どうやって、奴を倒すんですか?」
今のところ僕たちは、攻撃を避けては逃げまくってばかりだ。真正面からやり合って倒せる相手とはとても思えない。お姉さんは作戦を立てる時間が必要だと言った。
「作戦は立てられたのですか?」
「二つある。一つは私が『上昇化』、つまり『落として』いる位階を五次元に戻して、鏑矢の魔女を叩き潰す。奴が三次元の住人に『落ちて』いる今なら、一撃で仕留められるかもしれない。デメリットは私がこの世界を離れたり、死んだりしたときに魔女が復活してしまうことだ」
なるほど、と僕は頷く。上位世界の存在が下位世界に干渉することは簡単でも、その影響は仮初めであるということか。クリアレスが死ぬと破壊等の影響が消失するのと同じ理屈だ。位を落として戦わないと勝ったことにならないとか、まるでボクシングの階級のような話だが、真面目なシーンだと思うので自重しよう。
お姉さんは言う。
「この世界の正式な住人の君が魔女を打倒するのが理想的。無茶を言うつもりはないが、もしものときには君の力を頼ることになる。覚悟しておいて」
「それは始めから覚悟していたので、大丈夫です。もう一つの作戦は?」
「うん」と相槌を打ちつつ、お姉さんは後ろを窺う。後部座席ではコリー犬のカチューシャがすやすやと眠っている。それを確かめてからお姉さんは続ける。「君を人質に魔女と交渉する」
おお……。カチューシャが聞いたら「市民の平和! 腐敗する国家権力!」と喜びそうな内容だ。鏑矢の魔女が殺戮現場で僕を生かしたことに、何か理由があるのではと疑っているわけか。
「でも、朝は思いっきり殺しに来ていましたよね、あいつ」
「私が一緒にいたから君の命は保証されていると思ったのかもよ。思えば、仕掛けてきた攻撃はどれもじゃれてくるレベルの破壊力だったしね」
「隕石レーザービームと稲妻お陀仏斬りと電柱ロケットランチャーがですか?」
「すごい破壊力の名前だね。いや、あれはあれで全力だったでしょう。でも、どれも派手で効果的じゃなかった。密室で音もなく三十人をミンチにできる魔女なんだよね。君を殺すだけならもっとシンプルな方法があるだろう。それに、下界に魔女が自ら『降りて』くるのもやはり気になる。……とまあ、結果から言える推測だけどね」
「……鏑の目的が僕だってことですか?」
「だったら利用できるな、って。暴力ではどうにもならない領域で、君に関心があるのかもしれないよ。流君の力が欲しいのか、単に屈服させてみたいだけか」
「屈服って……。まあ、性格はサディズムに捻じ曲がっていましたけど」
「あっは。これで魔女の狙いが君のハートだってオチなら簡単な話なんだけど」
「蓮山の協力を得るってのはどうですか?」僕は提案した。
「蓮華の魔女……蓮山恋江のことも知っているんだ? それはまた、ご愁傷様」
あなたのお陰で知ったんですけどね、と僕は心の中で呟く。
「どうでしょうか。蓮山に鏑を倒してもらうという作戦は」
「目には目を。魔女には魔女をか。悪くないアイデアだけど、その作戦は無理だ」
「え? どうしてですか? それはまあ、あの異常性愛者にお願いするってのは屈辱ですけど、場合が場合ですし……」
「蓮山はすでに死んでいる」お姉さんは言った。「確か、水曜日だったかな。死因は頚動脈切断の自殺。私の元にその報せが来た」
「……そう、ですか」僕は座席に身体を沈めさせた。「魔女も死ぬんですね」
「『落ち』たり帰属したりすればね」お姉さんは事もなげに言う。「私も死ねるよ?」
森林が減り、山間に民家がちらほらと見える。ふもとに降りてきたのだ。ほぼ一本だった道路に三叉路や信号機が混じり出した。他に車がない十字路の赤信号で、停車した。日は高く、気温が上がってきたのを窓越しに感じる。僕の口から欠伸が出た。朝の三時に目が覚めたせいで、ここに来て眠気が生じた。
「……お姉さんは、眠くないんですか?」
「昨晩は仮眠くらいしか取ってないけど、まあ、警察をやっていればいつものことだ。流君は寝ててもいいよ」
「そんな気分じゃないですよ。町に戻るんですか?」
「そう。決着を付けなきゃだ。今頃、癇癪を起こして暴れ回っていなきゃいいけど」
僕はその様子を想像してみた。……うん、ありえそうだ。帰ったら地元が壊滅していました。地元だけ局地的世紀末。何ちゃって。
結局、この会話のあとすぐに、僕は陽気に中てられてあっさり寝入ってしまった。口では生意気なことを言っても、身体は未発達な中学生。眠気には逆らえない。
意識が途絶える直前、こんなときでも眠れる自分が面白かった。




