犬くらい妹に変身するよ!(らしいです)
学校に行く準備で二階に戻った。自室に入る直前、隣の部屋を覗いた。僕の記憶では物置代わりになっていたその部屋は、女の子らしい雑貨やアイドルのポスターが飾られていた。学習机に洋服ダンス、姿見の鏡、キャンディ柄のカーテン、小さい本棚には少女マンガのタイトルが並ぶ。
「ちょっと、人の部屋を覗かないでよぅ」カチューシャが階段を登ってきて、文句を垂れてきた。「悪い」と謝って、僕は自室に入っていった。
カバンを持って、一階に下りていく。とぼとぼと玄関に行き、靴を履く。
「いってきます」僕は玄関のドアに手を掛けた。
「あー、遅刻しちゃう!」
カチューシャが二階から掛け下りてきた。一緒のタイミングで玄関を出る。
「いってきます」
「いってきまーす!」
車庫には自転車が一台あった。僕のではない見慣れない自転車だ。僕の自転車は昨日カラオケボックスに置き忘れてきたからここにあるはずがない。するとこの自転車は、恐らくカチューシャのものだろう。
僕は歩きで中学校に行くことにした。僕が徒歩なのを見かねて、カチューシャは自転車を転がして歩幅を合わせてきた。下り坂を下りていくとき、僕はカチューシャに我慢していた質問をぶつけた。
「どうやったの? 犬が人間になれるもんなの?」
「なれないって。ワンは特別」カチューシャが得意げに言う。「いくつかの偶然が重なった結果かな。昨日の大混乱の余波が一番の原因」
「昨日の余波ね。昨日の何でもござれの大戦争よりは、まだマシな現象だ」
「飼い犬が人間になっちゃったってだけだもんね。ワッハッハッハ!」
僕たちは赤信号で立ち止まった。カチューシャが話す。
「双子の妹設定にしたのはワンの調整だから、悪しからず。せっかく人間になったのに、ペット扱いのままじゃそっちの方が問題じゃん?」
「そうだな。さらりと家族に洗脳もどきのことをしているのも、そもそも実年齢いくつだよとかも見逃しておこう」
「ええー? 自慢したいのにー! 洗脳じゃなくて過去の書き換えだよ、とか、犬として育ったから年齢はちぐはぐだとかって説明したいよー。歳の取り方が犬と人では違うのは当然知っていると思うけど、精神年齢はまた違ってくるんだよ」
勝手に解説し出したカチューシャに、僕は手を伸ばす。
「待て。話が長くなるのは御免だ。僕は納得した。それで満足しろ」
信号が青になり、僕は歩き出す。カチューシャが追いかけてくる。
「納得が早すぎるよー。うひーん、喋り足りない。ワンのこと、元は犬って認識しているのはお兄ちゃんだけなんだから、お兄ちゃんに説明できなかったら、ワンは誰にも説明できないんだって」
「日記にでも書いておけ。誰かが小説だと思って呼んでくれるだろうから」
「ワンの人生は小説じゃねえワン! リアルに起きた現実!」
「現実って言葉がこれほど薄っぺらに感じたことはないぜ。僕が確認したいのは、あと一つだけだ。そしたらあとは普通に一日を過ごす」
「お兄ちゃんの言う普通ほど、危なっかしいものはないよね」
「放っておけ。確認したいのは、今朝、僕をフライパンで叩き起こしたのはどうしてだ、装飾品」
「ええっ? だって毎朝お母さんが楽しそうにやっているから、ワンもやってみたいなあ、って」
「ほう。じゃあどうだった。楽しかったか?」
「うんっ! 毎日やりたい!」カチューシャは良い笑顔で答えた。
僕はカチューシャを敵認定した。絶対許さないリストにも記しておく。
「絶対やるな。二度とやるな。僕以外でもやるな。母さんがやろうとしていたら、全力で止めろ。僕からの命令だ。やるな。止めろ。分かったか?」
「うん。でもお母さんに命令されたらやるかも。そんときはごめんね!」
「ごめんねじゃねえ!」
僕はつい語を荒げてしまった。どんなことがあっても冷静沈着が自慢の僕らしくもない行動だった。やはり家族が相手だと冷静でいられなくなるのか。ペット相手とはいえ、興味深い変化だ。
中学校には始業チャイムギリギリで着いた。カチューシャと言い争っていたせいで遅れたのだ。カチューシャが駐輪場に自転車を置いてくるのを待って、僕たちは玄関に走っていく。玄関で急いで上履きに履き替えて、階段を駆け上る。
カチューシャは僕のクラスの教室まで着いてきた。どうやら同じクラスらしい。
「本当に双子設定で知られているわけ? 似てないだろ、僕ら」
「そう? ワンはそっくりだと思うけど」カチューシャが先に教室に入っていった。「みんな、おっはよー!」
明るく飛び込んでいったカチューシャと対照的に、僕はさり気なく入っていって自分の席に着席した。カチューシャとの距離感が掴みにくいが、まあ、双子とはいえ、仲良く振る舞わなくてもいいだろう。
僕は教室内をチェックする。いつもと変わらない平和な空気だ。親友君は今日は登校して来ていた。彼は自分の席に座りながら、こちらに手を挙げて挨拶してきた。僕も手を挙げ返す。
「おはよー。元気ぃ? 死んでる?」アキラが僕の席にやってきた。
「おはよう、アキラ」僕は、にこにこ笑っているアキラを見上げた。彼女にはカチューシャをどう感じるのか、聞いてみたくなった。「あいつのこと、どう思う?」
「え? あいつって?」
「僕の妹らしいけど、カチューシャ」
「カチューシャちゃん?」そう言って首を傾げつつ、アキラは教室を振り返った。カチューシャは教室の後ろの方で、女子のクラスメイトたちと盛り上がっている。
「カチューシャちゃんがどうかしたの?」アキラが向き直る。
「いや、どうにもしてないけど。アキラも洗脳されているのか?」
「洗脳? え、別にされてないよ」
カチューシャは過去の書き換えと言っていた。その効果は僕以外には浸透しているようだ。そうなると疑問なのが。
「……アキラも信じているのに、どうして僕だけ覚えているんだ?」
世界から取り残された気分になって、少し寂しくなった。
チャイムが鳴った。担任が入ってきて、クラスメイトたちがいそいそと席に戻っていく。カチューシャは窓際の列の一番後ろに着席していた。
朝のホームルームが始まった。出欠席確認で、カチューシャの名前が増えていた以外は普段と同じ朝だった。授業が始まってもそれは同じで、カチューシャはクラスの中に極自然に溶け込んでいた。教室の中で僕からカチューシャに話しかけることはなかったし、カチューシャから僕に話しかけてくることもなかった。




