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ウィーク  作者: 宇佐見きゅう
鬱屈の木曜日
17/26

単純で無慈悲な真理

 三時間目と四時間目の間の休み時間に、僕は親友君の席に行って、彼に尋ねた。

「僕の家でペットを飼っているのって知っている? コリー犬なんだけど」

「初めて耳にした」親友君が答える。

「え、なになに? 何の話?」

 呼んでもいないのに混ざってきたアキラにも、僕は同じ質問をした。

 アキラは首を横に振った。「ううん、私もそれは初耳。名前何ていうの?」

「カチューシャ……」

「え、それって……、妹と同じ名前を付けたってこと?」アキラが目を丸くする。

「やっぱそうなるか。カチューシャってけったいな名前にはお前もスルーなのな」

「だって可愛いじゃん」と言い切るアキラ。

可愛ければ許されるって、それは女子の世界だけだぞ。

まあ本題はそこじゃない。

「同じ名前というか、同じなんだよ」僕は言った。

 二人に、朝からの一連を話した。ずっとペットとして飼っていた犬が、今日になって人間になり、妹を名乗っている。理屈はよく分からないけど、昨日の影響だ、と。

「それで、二人はどう思う?」

「君はどう思っている? これは相談か?」親友君が片目を細めて聞き返す。

「相談じゃない。僕は、信じてしまっている部分が大きい。何も分からない以上、鵜呑みにするしかないというか……。別に困ったことも起きてないし」

「ふーん、信じられないなあ……」アキラが小首を傾げた。「カチューシャちゃんが犬だったなんて。だってカチューシャちゃんと遊んだ記憶もあるし」

「あいついわく、過去の書き換えだってさ。最初からこうだったとみんなに思わせているらしい。……いいや、もう、こっちが『本当のこと』になったんだろうな」

 過去を改竄して、それが今の事実となっている。それでは、なぜ僕だけが変わる前の記憶を保持しているのか。僕の過去だけ変わっていない。

「親友君、この話をどう思う?」

「もしそれが実際に行われたのなら信じられないことだが、起きた事象を疑っても仕方がない。僕の記憶の中でも犬の方の覚えはないが、カチューシャ君の覚えはある。君の似ていない双子という風に。君を除いて僕たちの記憶は統一され、特に困ったことも起きていない。一応、覚悟しておくのがいいと忠告をしよう。もっとも、君には不要な気遣いかもしれないが」

 親友君はにやりと笑った。

「そうだね。親友君の忠告をありがたくもらっとくよ」

「まーた大袈裟なこと言ってるー」

 間の抜けた声が入ってきた。カチューシャだった。

「お兄ちゃんって口で言っている割には心配症だよね、お父さんそっくり」

「お前は母さんにも父さんにも似てないな」

 カチューシャの顔立ちは黒髪黒目だが、どことなく外国人っぽい。

「そりゃ犬ですもーん」カチューシャはクルリと回って、親友君とアキラに頭を下げた。「親不知さんと玲さんですね。お久しぶり、カチューシャです。兄がいつもお世話になってまーす」

「え、ああ、いやいや、まあ」

 カチューシャに笑いかけられて、アキラが恥ずかしそうにしどろもどろする。

「どうしたアキラ。急に人見知りになって」

「ええと、何か、恋人の家族って照れちゃうね、みたいな感じ!」

「知らんがな」僕は半目になる。「あと恋人じゃねえ」

四時間目の始業のチャイムが鳴った。僕はカチューシャを追い払った。

「ほれ。席に戻れ戻れ。授業が始まったぞ」

「妹を邪険にする。これぞ兄だなぁ」カチューシャはしみじみ言って、舌を出した。「でも残念でしたー。四時間目は学活ですぅー。朝の先生の話、聞いていなかったの?」

「はあ? 僕が先生の話を聞くわけないだろ」

「いや偉そうに言うことじゃないし」とアキラ。

「バス旅行の班決めだ」親友君が答えを言った。

「バス旅行?」

 僕は首を傾げる。そんなのあったっけ、という記憶の曖昧さだった。僕の人生に、牧歌的な行事が入り込んでくる余地がまだ残っていたのか。

 そこに教室の前の方から、「静かにしてくださーい」と委員長の声が聞こえてきた。

 委員長が教壇に立って、教室を見回していた。その後ろの黒板の前には、背の高いバレー部の女子がチョークを構えて立っている。委員長が喋るのに合わせて、バレー部女子がチョークを走らせる。あのバレー部女子、書記係だったのか。

「これからバス旅行の班を決めたいと思います。一班五人か四人で作ってください」

 委員長の呼びかけに合わせて、クラスメイトたちが動き出して、それぞれ組み合わさっていく。テキパキと班が作られていくところを見るに、みんなあらかじめ相談し合っていたのだろう。上手く組めないでいる者たちを委員長が調整して班を作っていた。

 僕は、左右に座っている親友君とアキラを見た。

「親友君、一緒の班にならない? アキラはいらない」

「いるよ! 私も一緒だもんね、はいこれで三人決定!」

「分かった分かった。はしゃぐな」

 カチューシャが物欲しそうな顔で、僕たちをじっと睨んできた。僕はそれに気付いていない振りをする。カチューシャに遠くの女子たちから声が掛かった。

「ワンちゃーん。こっちこっちー。私たちと組もー」

 カチューシャが彼女たちに振り返って、言い返した。

「ごめーん。ワンはお兄ちゃんの班に入れてもらうからー」

 僕たちの方に向き直ったカチューシャは得意そうに笑っていた。

「はい、これでワンはお兄ちゃんの班に入らざるを得なくなりましたー」

「委員長。カチューシャが、一人が良いって言ってます」

 僕が挙手して言うと、教壇の委員長から「カチューシャさん。班は五人と決まっていますので、誰かと組んでください」と冷静に返ってきた。カチューシャは縮こまって「……はーい」と呟いた。その一連を見ていた女子たちが笑っていた。僕も嘲笑すると、カチューシャが僕を睨みつけてきた。ふん? 反抗期か? 飼い犬が主人の手を噛むのか? ほれ、やってみろ。と戯れに手を差し出してみたら、「……ガゥガゥッ!」と歯を鳴らされたので慌てて引っ込めた。ひゅー、おっかねえ。

 僕たちは、親友君の席の周りに座った。結局、カチューシャも混ざっていた。

「上手くクラスに溶け込んでいるみたいじゃないか、装飾品のくせに。僕も見習いたいくらいだ」

「よく言う。言うだけで満足しちゃう口だけ野郎のくせに」

「ああん? 言いやがるな……」

 ったく、さすが僕の妹(設定)ながら、いちいち癪に付く奴だな。

 僕とカチューシャのやり取りを見ていた親友君は、納得したように頷く。

「うん。不思議な気分だが、僕の中には妹としてのカチューシャ君の記憶がある。そちらの中では犬の頃の記憶に僕のことが残っているのかな」

「そうですよ~。親不知さんは、ワンが尊敬する人間の一人でしたー」

「ん?」僕は少し気になった。「そういや、アキラのことはどんな風に覚えているんだ? 犬だった頃、お互いに知らなかったと思うんだけど。アキラの方はお前を同級生みたいに覚えていて、お前は? それも改竄した記憶?」

「おっ、積極的になってきたね、ワンのこと気になってきたんだ? うんうん、それでこそお兄ちゃん。嫌々も好き好きだね」

「わけ分からん言葉を使うな」

「嫌々言いながらも、実は心の中では好きだと思っているということか?」

 親友君が解読すると、カチューシャは両手を挙げて喝采した。

「せいかーい! さっすが親不知さん! 頭の良い人大好きです!」

「おい雌犬、僕の親友に欲情するな」

「え? 嫉妬? 妹に嫉妬? それとも親友君に? ワンが好きって言ったせいで、男の友情にヒビが? あははっ、ごめんなさーい」

 お茶らけた仕草がアキラに近しいものを感じて、本人に指摘してみた。

「おいアキラ。お前の脳みそお祭キャラの座が奪われかけているぞ」

「誰が脳みそお祭キャラだよ! 私のことそんな風に思っていたんだ!」

 そんな風に思っていたんだよ。

「それはともかくだ」親友君が割り込んできた。「妹君の記憶の補完についての質問を答えてくれないか。君はどうやって五十嵐玲君のことを知ったのか? 彼が交際相手のことを家族に話すわけもないし」

「いや交際相手ちゃうし」僕は訂正した。

「あー、お兄ちゃんシャイなとこありますからねー」カチューシャが頷く。「それで、親不知さんの質問ですが……、企業秘密というわけには行かないでしょうか?」

「どこ企業だよお前」

「こら、お兄ちゃん突っ込まない」アキラが窘めてきた。

「そういうわけには行かない」親友君はきっぱりと言った。「僕たちはなかったはずの記憶を齟齬なく植え付けられている。そのことを自覚することもできないという完璧な書き換えだ。被害者ぶるつもりはないが、記憶を容易にいじられては適わないという気持ちは分かっていただけるだろう。それなりの説明を要求したいものだ」

「なははー……、手強いお人ですワン。お兄ちゃんとは違うなー」

 カチューシャは観念したように手を挙げる。

「分かりましたよー。もったいぶる気はなかったんですけどね。黙ってた方がやりやすいかなと思いまして。逐一説明しても時間が足りんので、まずお兄ちゃんと親不知さんの質問から答えますワン。ワンはある人物の代わりなんだワン。だから、その『人物』の記憶も一緒に引き継いでいる。これは書き換えというより、すり替えって方が正しいかもしれない。バトンタッチだね」

「バトンタッチ?」僕は呟いて首を傾げた。

 親友君も不思議そうに顎に手を当てて、その言葉の意味を考えている。アキラは伝わるところがあったのか、「あー、そっちだったか」と感心していた。カチューシャは手と手をぶつけて「バトンターッチ」と遊んでから、僕を指差す。

「まあ、ワンが色々知っているのはそういうことなので。後出しじゃんけんみたいな卑怯だけど、お兄ちゃんが忘れていることもワンは知っております」

「恐いことを言うな。僕が忘れていること?」

「ここで話しても思い出せないよ、省略省略。要するにワンは解説役を仰せつかっているってことだワン。さあ妹様を敬え! ワッハッハ!」

「それで、カチューシャは何を僕に教えてくれるんだ?」

「さあ、ワンはそこまでは分からないワン。何も教えないかもしれない。お兄ちゃんを導く者としてワンが選ばれたけど、どこに導くのかは知らないし、この立場に従うかどうかはワンの自由なんだ」

「さっぱり分からないな……」僕は頭を抱えた。

「そう? 私は大体理解できたけど」アキラは言う。

「親友君はどう? カチューシャの話の内容、飲み込めてる?」

「誤飲しないように心掛けている。だが、僕の脳には合わないようだ」

「へえ、つまり?」

「理解するのを諦めた」親友君は爽やかに微笑んだ。

「そりゃ利口だ……」

 僕も難しいことを考えずにそうしようかな、と僕は天井を向いて溜息を零した。電波な妹(設定)ができたと思えば、なかなか平和な異常事態ではないか。

「……?」

 ぶるり、と震えが来た。冷たい風が頭から爪先まで通り抜けた感触がした。寒気は一瞬で消え去ったので、気のせいだろうと思った。

 委員長の声が聞こえてくる。

「全員班が組めたようですので、では班長を決めて、その人が班のメンバーをこちらに教えてください……」

 委員長の指示を聞いて、あちこちの班がじゃんけんをし始めた。決着が付いた班からは一人ずつ前に出ていき、黒板にメンバーの名前を書いていく。

それを見ながら、僕は迷わず親友君の肩を叩いた。

「もちろんこの班は親友君一択だよね。他に責任感ある奴いないし」

「僕は行動力のある君に任せたいのだが」と、返してくる親友君。「それに、僕を班長にしたところで副班長に君を指名する。副班長の役目は班長の代理だ。僕が休みがちなことを考えるに、君の仕事は変わらないことになると思うが?」

「おいおい……、脅す気かい? 学校行事をサボるっていうの?」

「サボるだなど一言も言っていないが? ただ僕の身体の弱さは君の知ってのとおりで、いつ体調を崩すか分からないという条件を提示しているだけだ。――過度な労働がたたって、体調を崩すなど日常茶飯事だとも」

「班長程度で過酷だなんて、大袈裟だなあ。この脆弱八歳児は」

「理解してもらえて幸運である」親友君はにっこりと笑った。

「……あのー、どちらでもいいので、早く決めてもらえませんか」気弱げな委員長の声が聞こえた。「他の班はもう決まっているので……」

 委員長の後ろの黒板には、他の班のメンバーの名前がずらりと書かれていた。残すのは僕たちのところの班だけみたいだ。

「あ、私がやりまーす。私が班長」

 と立候補すると、アキラは颯爽と前に出ていき、黒板にチョークでさらさらと名前を書いていく。委員長がそれを見て、ほっとしていた。

 ふと委員長が僕らの班の人数を指差しで数えて、首を傾げた。

「あれ、五十嵐さん。あなたたちの班、一人足りなくない?」

「え? そうだっけ?」アキラがこっちに振り向く。「……あ、ホントだ! ごめん海音(うみね)ちゃん。気が付かなくて。やっちゃったぁー」

「ううん、大丈夫。私のとこが五人だから、そっちに私が移るよ」

 委員長がそう言うと、委員長の班のメンバーが残念そうな悲鳴を上げる。委員長はそっちのメンバーに「ごめんなさい」と謝って、アキラが書いた名前の下に自分の名前を書き加えた。

 僕はその一連の会話のおかしさに、遅まきながら気が付いた。

「二人とも何を言っているんだ。僕たちの班は四人いるじゃない」

 そう言ったが、二人は反応してくれなかった。委員長が書き終えて、黒板の前から退く。そこにあった名前を見て、僕はさらなる不可解に落とされる。

 アキラの名前を上にして四人の名前が書かれていた。

 五十嵐玲。親不知友仁。(ながれ)カチューシャ。(かぶら)海音。

 僕の名前がそこにはなかった。

 陰湿な嫌がらせという可能性を一番に思いついた。それにしてはクラス中の前で実行するとは、大胆な戦法だ。アキラと委員長に嫌われることをしてしまったのだろうか。思い当たる節はあるような、ないような。

「子供みたいな悪戯だなぁ。困ったもんだぜ」

「何を呟いているのかな、流君?」親友君がそう聞いてきた。そこにも違和感を得る。彼は僕のことを苗字でも名前でも呼ばない。ただ『君』呼ばわりだ。

「……『流君』って、止めてくれよ親友君。そんな他人行儀な呼び方をするなんて、よもや君までグルなのかい?」

「グル? 何を言っているのか?」

 親友君は真顔で首を傾げた。そして次の一言に、僕は愕然とする。

「流君の方こそ、僕のことをそんな呼び方をするのは初めてじゃないかな。まあ、親不知さんという堅苦しいのよりは好ましいがね」

「……いや、冗談きついって」

 じわりと背中に嫌な汗が滲み出てきた。アキラならともかく、親友君は冗談を言うタイプじゃないし、悪ふざけに混ざることもしない。

 僕は黒板に書かれたクラスメイトの名前を見る。三十四人の名前が書かれている。その中に僕の名前は含まれていない。教室内の人数を数えると、僕を含めて三十五人。クラスの人数が五の倍数だったら五人班を作らせればいいのに。

 アキラが記入から帰ってきて、元の席に座る。

「ただいまー。私が班長です。敬いたまえー」

「アキラ、僕が何やったってんだ。ふざけるのはよせ」

「……? 何のこと? 私、何かやっちゃった?」アキラは戸惑うように言った。「何か悪いことしちゃったんなら言って。私たち親友じゃん!」

「親友……? 何、言っているんだ。お前、あんだけ恋人とか彼女とか、馬鹿なこと言ってたじゃないか……」僕は眩暈がしてきた。

「恋人? 彼女?」アキラがきょとんとする。「やだなー、女の子同士でそんなこと言うわけないじゃん。カチューシャちゃんったら何を言っているの」

「…………」

「何でもないよ玲さん。ちょっと早とちりしちゃったみたいだワン」

 カチューシャが横から入ってきて、アキラとの会話をフォローした。アキラは怪訝な色を消して「もー、ビックリしちゃったよ。驚かせないでよ」と笑った。その目は僕の方を向いていたが、僕を映していないのが分かった。にこやかなのにとても薄ら寒いアキラの視線から顔を背けて、僕はカチューシャに振り向いた。

そして、妹の顔に浮かんでいた涼しい笑みに気が付いた。

「お前は……、何か知っているのか?」

「ええ。ワンは知っていますとも。教えてあげましょう。ワンが代替したのは、実はお兄ちゃんのことなんだワン」

「……どういうことだ?」

 だーかーらー、とカチューシャは笑う。

「ワンがお兄ちゃんの立場を奪って、お兄ちゃんの存在に代替して、このポジションに居座っているってことだワン」

 カチューシャはそう言って、屈託なく笑った。

 なるほど。シンプルで分かりやすい。


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