認識不可は非存在の証明にはならない
五十嵐玲が確認するように聞いてきた。
「じゃあ、君は何も知らないんだね」
「そうなる。五十嵐さん、この状況を説明できる? どうなっているの?」
「説明かぁ……。っていうか、むしろこっちが説明して欲しいくらいだよ。閉じそこねた穴から落ちてきちゃったのかな……」
五十嵐は思案し始めるが、すぐに頭を掻き毟って癇癪を起こした。どうもあまり頭を使うのが得意でないようである。
「ああもう! どうにでもなれだよ! ……っていうか、そっちの彼は? いつまで死んでんの」
五十嵐は、首なし死体の親友君を指差して、首を傾げた。いやはや、戦闘に巻き込んでおいて、いつまで死んでんのとは新鮮である。ふざけてんのかな? 僕でなかったら怒る場面なんだろうなぁ。
「流れ弾が一匹飛んできて死んじゃったから、あのツバメぶっ殺してよ」
「え? ツバメならもう全部仕留めたけど……」
そう不思議そうに言いながら、五十嵐は自分の拳を見て驚愕する。彼女の拳は、角ツバメの体液で汚れたままだった。僕も不思議に感じた。クリアレスを殺したら、痕跡ごと消えるんじゃなかったっけ? どうして体液が残っているんだろう。
「……まだ、一匹残していた!」五十嵐が叫んだ。
「え? うん。だから親友君を殺した奴をさっさと潰してってお願いしたんだ」
「奴らは、全部でひとつの集合体なんだ! 一度に全部殺さないと意味がない。一匹でも逃がしたら……」
慌てる五十嵐に、声が届くか不安だったけど、「そいつは、大空に飛んでって見えなくなったよ」と僕は上空を見上げながら言った。
「……ッ! 見るな!」五十嵐が急いで僕を押し倒してきた。
空気の捩れる音が聞こえて、さっきまで僕のいた空間を鳥の弾丸が貫いた。
鳥の弾丸は遠くの田園の上でひるがえり、再び大空に昇っていった。
「クソッ! 速度に乗られた!」五十嵐は悔しそうに歯噛みするが、ツバメを追おうとしないで、僕に圧し掛かったまま地面を睨みつける。「ああ……、再生されてしまう」
僕は空を見上げようとするが、五十嵐が手の平で目元を覆ってきた。
「見ちゃ駄目だ。遣い魔は……、君がクリアレスと呼んでいるあれは、見られることで存在が確定し、敵対行動を取ってくる。今は君も私もツバメを見ていないから、向こうも行動できないでいるんだ」
「でも、このままあいつに逃げられたら僕としては困るんだけど。さっきみたいにちょっくら空飛んで、倒しに行けないの?」
僕は五十嵐の肩を押しながら、腹筋で起き上がった。五十嵐の手はしつこく僕の目を隠そうとしてきたが、それも振り払って立ち上がった。五十嵐も立ち上がって睨んでくるので、仕方なく視線を地面に落とす。
「へいへい、こうすりゃいいんだろう……。っで? さっきまでバンバンぶっ倒していたのに、今は無理なのか?」
「言ったでしょ。最後の一匹は『速度に乗った』。こっちの視界から外れた時点で、ツバメは活動停止するはずだった。でも不幸なことに、飛んでいった先に君がいた。そのせいでツバメは『速度に乗った』状態を維持することができた。そして、ツバメは時間を置けば再生する。たぶん今頃二匹に増えている」
矢継ぎ早に飛んでくる説明に、僕は舌を出した。
「当たり前のように説明されてもね。ようはお手上げってこと?」
「そう。今、私たちにできるのは、ここから撤退することだけだよ。たぶん奴らは障害物の多い町中までは追ってこない。標的がいなくなれば、奴らも速度を落とすだろうし。そうなってから再チャレンジ。これが一番の安全策だ」
「でも、時間が経てば増えてしまうんだろう? また最初っからやり直しってわけだ。次こそは勝てるのかい? 正直、君が勝てるビジョンが僕には想像できないよ」
「止めてよ……。私も想像できなくなってきたじゃんか」
「メンタル弱いね」
「不安や動揺が勝敗に直結するんだよ、次元の狭間での戦いはね。勝てると思えば勝てるし、負けると思えば負ける。自己認識と知覚のバトルなんだ」
「あっそう。全然伝わってこない」
「だろうねッ……! ああもう、どうしたら上手く伝えられるかな……!」
歯痒そうに五十嵐は焦れる。
「見ちゃ駄目っていうなら、目を瞑って戦うとかは……」
「無理。目で見なくても皮膚や耳で敵を察知してしまう。『見る』っていうのはそういうのも含まれるんだ。それに私の方も敵に『見られない』ことには敵対行動を取れない」
「現在ツバメが襲ってこないのは、僕たちが見ていないから。逆も然りってことね。お互いに認識し合った状態じゃないと戦えないとは、何とも正々堂々としたルールだ」
「……そうだね。目が合えば殺し合うっていう、かなり荒っぽい法則だけど」
ふうん、と頷いて、僕は指を一本立てる。
「もう一つ。親友君はツバメと目が合っていなかったと思うんだけど、それは?」
「ただの人間は、遣い魔にとって『障害物』としか認識されない。そもそも『見えて』いないかもね。ただの人間が遣い魔を『見られ』ないように」
「ん? 待った。敵と目が合っていなければ、お互いに敵対行為は取れないんじゃなかったっけ? 矛盾してないか? 殺したり傷つけたりはできないはずだろ」
「できるんだよ。近くに君がいたから」五十嵐は言った。
「僕が近くに? 僕が見えて、角ツバメは親友君を攻撃したのか?」
「そうじゃなくて。何というのかな……、君が、『高速飛翔体が友人の頭を貫通し、破裂させた』という事象を認識してしまったがために、その事象が現実として確定してしまったんだ。君が『見て』いなかったら、友仁君は頭が破裂しても一瞬後には元通りに戻っていただろうね」
「分かったような、分からないような……」
僕は頭を捻らせる。何だかややこしいな。
「じゃあね。これは記憶の話だけど、例えば、交通事故で人が潰れる瞬間を『見て』しまったとき、その一瞬の光景が脳に焼きついたりすることってあるじゃん? っで、その光景が何度も何度もフラッシュバックする。一瞬のことなのに、記憶の中ではまるで永遠のように感じられて、ずっと残り続ける。その人の頭の中では、『人が潰れる瞬間』という情報の存在が確定してしまったんだよ。もしその瞬間を見逃していたら、その人の中に『人が潰れる瞬間』という情報の存在は生まれなかったし、生まれてもすぐに消滅しただろうね。死んだクリアレスみたいに」
「……なるほど」
やっぱりよく分からない。
親友君が生き返ってからもう一度同じ説明をしてもらおうと決めた。餅は餅屋。煎餅は煎餅屋だ。頭の悪い僕が、五十嵐の要領の悪い説明で頭を悩ませていても時間の無駄だ。思考するよか行動しよう。
「よっし。じゃあ、いっちょ殺し合ってくれ。僕と親友君のために」
「嫌だよ! いや、嫌じゃないんだけど……、でも無理だよ!」
「何を情けないことを言っているんだ。君の獲物だろ? 君がやらなきゃ誰がやる」
「それもそうなんだけど……」
五十嵐が目を伏せて、チラリとこちらに縋るような上目遣いをしてきた。
その目線の意味を悟り、僕は鼻白む。
「って、素人の僕に頼るなよ。大体、僕は君みたいに空を飛べないっての」
「ああ、いや、それはとっくにできるはずだよ」五十嵐は言った。「人が『飛べる』って知ったし、私が基本的なルールを教えたからもう飛べるはず」
「……はあ」
僕は半信半疑に頷いた。
「飛ぶ……、飛ぶねえ。この大空に翼を広げて、飛んでゆきたいな~、なんて思ったこと一度もないけどな。『飛べる』と知って飛べるくらいなら、『勝てる』って思えば勝てるんじゃないの?」
「『勝てる』の場合だと、圧倒的な力量差のある相手じゃないと通じないよ。目を瞑ってても勝てるとか、そんぐらいのハンディがあれば、曖昧な思考でも押し通せる。私がさっき考えていたのは『捕まえれば握り潰せる』と『私なら捕まえられる』だよ」
「だよだようっせえな……。テンプレ説明キャラが」
僕はぼそりと呟いた。
「何か言った? すごいストレートな人格否定が聞こえた気がしたんだけど」
「何のことだ? 僕は何も言っていないよ、本当だよ。他人の人格否定は、僕が一番嫌いなことだね。常識人として最も唾棄する行為だ。絶対にやってはいけないと心優しい母に教え込まされている。口が裂けても僕がそんなことを言うはずがない。僕は何も言っていないよ。愛する母との絆に誓ってもいい」
「でも君って、お母さんとの仲が最悪なんじゃなかったっけ」
「何故それを知っている!」
僕は叫んだ。
誰にも話した覚えのない家庭の事情を、どうして五十嵐が知っている。話したことがあるのは唯一、親友君だけだというのに。誰から聞いたのだろう。
「以前に、君の口から聞いたんだけど……。ん、この話はあとあと」
五十嵐は恥ずかしそうに誤魔化して、地面を見つめたまま、上空を指した。
「君が協力してくれるなら、あれにも勝てる気がする。だから、一緒に戦ってくれない?」
「はあ……? そりゃ力を貸すのもやぶさかじゃないけど、僕ごときが加わった程度で、戦況が変わるとは思えないな」
「変わるよ。だって君が強いってことを私は『知っている』から」
「…………」
いくつもの皮肉や反論が頭に浮かんだが、どれも適切でない気がして口を噤んだ。代わりに僕は鳴らして、一度頷いた。
「了解。じゃ、僕が囮になろう」
僕は五十嵐に軽く目配せすると、顔を上げて、身体を大きく広げた。
突撃してくる向こうから、こちらが狙いやすいように。
「……ちょ、まさかあんた……!」五十嵐が慌てる。
「そのまさか。せいぜい、僕の命を有効活用してくれ」
そして、僕は見た。
角を生やした二匹のツバメが、弾丸の速度で天から落ちてくるのを。
「…………ッ!」
見えたときには到達していた。
二つの塊が、僕の体内を通過していく嫌な感覚。
全身を貫くのは激痛ではなく、命を直接抜き取られるような気持ち悪さだ。
一匹目は僕の腹部を貫いて消化器官をズタズタに引き裂き、二匹目はピンポイントに僕の心臓を貫いて風船みたいに破裂させた。二匹のツバメが抜けた背中側の肉は衝撃で大きく弾け飛んでいる。
一瞬で即死――どう足掻いても助かるはずもなく、このまま絶命する運命。だが、倒れるまでのラグに、僅かに残っていた命を総動員して、僕は彼女に叫んだ。
「……今だッ!」
「――だああっ! こんのっ、馬鹿野郎があっ!」
五十嵐の姿が瞬時に掻き消え、罵倒が空間を走った。
地面に仰向けに倒れた僕は、ツバメが貫通して飛んでいった方向で、二回鋭い破裂音が響いたのを聞いた。見上げるようにして目をそちらに向けると、五十嵐の背中が見えた。パラパラと汚い花火の残骸が、五十嵐の頭に降りかかった。
気付けば、僕の身体に開いた大穴が、跡形もなく消えていた。不快感も違和感もなく、破れてボロボロになったはずの制服も元通りになっている。
僕は傷一つない身体を起こして、隣にいる彼を確認した。
僕の横では、頭が再生した親友君がすやすやと眠っていた。
「よかった。無事に倒せたようだね。危うく親友君を失うところだったよ」
「……とことん無茶苦茶な奴だって思っていたけど。まさか、自分から貫かれに行って、加速の勢いを殺すとはね……。確かに『衝突したら、速度は落ちる』だろうさ」
五十嵐がこちらに戻ってきながら、呆れた風に呟く。
「どうしたんだ? せっかく勝てたのに不服そうだな」
「当たり前でしょ! 勝てたには勝てたけど、他にも方法があったはずだよ。私がツバメを潰せなかったら、今頃君、本当に死んでいたんだよ。自分がどれだけ危険な真似をしたのか、分かってないだろ」
「ちゃんと分かっててやったよ。僕は自分にできるベストの手段を取ったまでだ。それが成功してお互いに無事でいる以上、文句は言わせない」
「……落ちた速度でも私が追い付けなかったら、どうするつもりだったのさ」
「知らん。追い付け。それに、何となく感じるんだが、君は途轍もなく強い。君が必ず勝ってくれることを、僕は『信じた』のさ」
五十嵐は口を半開きにしたまま、沈黙した。
僕は、寝ている親友君の肩を揺さぶって起こしにかかった。睡眠中の人を起こすのは自分がやられたら嫌なので基本やらないのだが、流石に地べたで眠らせておくのは悪い。彼の風邪が悪化してしまう。
「う……、ふあぁあ……」親友君が薄目を開けた。「……おはよう、我が友」
「おはよう親友」
「うむ、快適な朝だな。いいや、太陽の位置からしてすでに二時を回っているか……」
親友君は立ち上がって、僕の方を見上げ、首を傾げる。
「おや、一人か? 先ほどまどろみの中で、君が誰かと会話している様子が聞こえたのだが。よもやずっと独り言をしていたのだとしたら愉快だ」
「独り言じゃなくて話してたんだよ。彼女と」
僕は後ろにいる五十嵐を指した。しかし、五十嵐は首を横に振った。
親友君が不思議そうに言った。
「彼女と……? 僕の目には誰も、いないように見えるのだが?」
「え?」
僕は、親友君と五十嵐の顔を見比べた。親友君には五十嵐の姿が見えない?
五十嵐が言いにくそうに説明した。
「遣い魔……、クリアレスに対抗するにはこの状態になるのが最も効率がいいんだ。他人に見られて騒がれることもないし。敵に干渉がしやすくなるし。今の君はどっちつかずの狭間に留まっているから彼の目にも見えるんだよ」
「はあ……。どうにかならないの。説明し辛いんだけど」
困惑する僕をじっと見つめてから、五十嵐が溜め息をした。
「待ってて。今、次元を落とすから」
そう言うと、五十嵐は一度手を打ち合わせた。
僕の目には何がどう変わったか分からなかったが、親友君が声を上げる。
「ほう! 何もない空間から人が現れてきた。どういう原理だ?」
「さっきから、ずっといたんだけどね」五十嵐が苦笑して言った。
親友君は五十嵐の前に歩いていき、彼女を見上げる。
「感動した。面白いトリックだ。君の名前を教えてもらっても構わないか?」
五十嵐は首を左右に振った。
「ううん、改めて自己紹介しなくても大丈夫だよ。親不知友仁君」
「僕の名前を知っているのか?」
「そりゃあね。まあ、徐々に元通りに思い出してくると思うよ」
五十嵐は思わせぶりに僕の方を一瞥した。
「思い出していく? 何を」僕は聞いた。
「私のこと。同級生の、五十嵐玲っていう女子のこと」
その声を聞いて、僕は違和感を得た。ずっと以前に五十嵐の声を聞いたことがあるようなデジャブ。その感覚は、少しずつはっきりとした記憶になっていった。
「……ああ、そうか」
親友君が頷いた。
「思い出した。ずっと忘れていた。思い出したあとでは、どうして今まで忘れていたのか分からないくらいだ。一度見て聞いたことのあるものは、絶対に忘れない自信があったのだが……。しかもよりにもよって、五十嵐玲のことを忘れるとは」
「仕方がないよ。次元が違ったんだから」
五十嵐が言う。ニヤリとしながらこちらに振り向いた。
「っで、こっちも思い出したかな、私のこと」
僕は、苦虫を噛み潰したように顔をしかめて、五十嵐玲の顔を睨んだ。
「ああ……。思い出したよ、ちっくしょう」
「あいっかわらず口が悪いね。それが愛する人に対する口の利き方?」
「僕は一度たりとも好きと言ったことはないぞ、アキラ」
僕は、ぶっきら棒に言い返す。
「私のことをアキラって呼んでいる時点で、かなり好きだと思うんだけどー?」
「うるせえ」
僕は、五十嵐玲――アキラから顔を背けた。
「やだなー。照れ隠ししちゃって」
「うむ。彼が他人に対して、ああまで分かりやすく拒絶を示すのは珍しい。五十嵐君のことを特別な枠組みに置いていることは間違いないだろう」
後ろで勝手に盛り上がる親友君とアキラの声を聞きながら、僕は自転車を起こして、溜息をついた。アキラを思い出してしまったことの憂鬱が襲ってくる。
五十嵐玲。二年一組の女子。出席番号二番。
周りの空気を読む、お節介なタイプ。口より先に手が出る野蛮人。特定のグループに属さず親しい友人もいない一匹狼。憎むに憎めないさっぱりした性格。
そして、中学二年の進学時にクラスメイトの前で、いきなり告白してきて恋人宣言をやらかした……愛していないし好きでもない、僕の彼女様である。
どうだ参ったか。うははは。
……ふう。




