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ウィーク  作者: 宇佐見きゅう
苛烈に水曜日
11/26

これから煎餅の話をしよう


 ごま煎餅は美味しかった。


 これまで僕は、煎餅と言うとシンプルなしょうゆ味のものか、カレー、わさび、マヨネーズ等の味の濃い調味料がまぶしてあるタイプしか食べてこなかった。煎餅にはそれほど情熱は感じていなかったけど、ごま煎餅は、僕の中に新しいジャンルとして確立されたのだった。クリアレスに二回ほど殺されかけたりもしたけど、そんなことよりごま煎餅だ。ごま煎餅の魅力とは、まず第一に、ごまが病みつきになることが挙げられる。パクパクと食べれてしまう。すごい美味しいとは言わないまでも、ずっと食べ続けていても飽きない美味しさが詰まっていた。ごま煎餅を食べてパサついた口に、熱い番茶を啜ると、もう何も言えない幸福感……。絶妙な庶民的ハーモニー……。一番を狙わずに、常に三番手くらいに選ばれる、美味し過ぎず、ほどほどに美味しいシンプルさ。お茶漬けや玉子かけご飯が美味しいのと同じ理屈だ。この煎餅は……媚びていない! 美味しいものというのは食べ続けることができない。満腹になる前に、どこかで飽きが来てしまう。また高カロリーなことが多い。塩分、脂肪、糖分。人を惹きつけて止まないスナック菓子や豪勢な料理はこの三つが必ずと言っていいほど大量に含まれている。これは健康に悪い。小腹が空いてポテチを食べるくらいなら、煎餅を食べなさいよ。脂っこいのが好きなら、おかきがあるでしょうよ、と僕は注意を喚起したい。好きな料理は何ですか、と聞かれ、最も中学生から出てくる答えはカレー、ラーメン、焼肉の三柱であるが、彼らが毎日飽きずに食べているのはご飯だし、ラーメンはまだしも、カレーと焼肉には白飯が必須であろう。いやいやもちろん毎日食べているからそれが好きなのだ、なんて横槍な理論は持ち出さない。僕たちは(特に日本人は)ご飯が主食だから食べているだけなのだ。東北地方では、お米の漬物で白飯を食べて、切りたんぽを焼いて日本酒を嗜むところがあるらしい。どれだけお米好きなのか。しかしそれは特殊例。ご飯が好きな人はお米を食べていればそれで充分であるが、特にご飯が好きでも嫌いでもない人に「お前は米を愛さなければいけない種族なのだー!」と叫ぶことはしない。――と、断った上で、あえて僕はお米で作られる煎餅を猛プッシュするわけだが、煎餅が嫌いな人っていないんじゃないのかな? 煎『餅』の字から分かるように煎餅は、もち米で作られている。お餅が美味しいのは、この国に住む者なら誰もが頷くことだろう。もち米は他にも大福にもなるわけだから、その守備範囲の広さと来たら! 柔らかいのから固いのまで、しょっぱいのから甘いのまで網羅しているんだから、日本人ってもち米食べていればいいんじゃね? ていうか、日本の食材って日本酒と酢とみりんは米から作られるし、味噌と醤油と黄な粉と豆乳と豆腐と納豆は大豆が原料だし、小豆はあんこで美味しいし、つまり米と大豆と小豆だけ食べていれば日本人満足なんじゃね? ちょろい民族だな最高な国家だぜ! 日本人に生まれてよかった! それはさておき、煎餅の固いのが苦手って人には、濡れ煎餅という一品があるし、しょうゆ味が田舎くさいと言うのなら雪の宿という甘い煎餅を紹介したい。言わずもがな一番お勧めなのは、ごま煎餅だ。ごま煎餅の味はごまだ。ごまは美味しいし、栄養価も高い。「ごまを摺る」とか「誤魔化し」という熟語のように悪く転用されることが多いごまは、油も搾れるし、ふりかけにもなる。食卓にあったら嬉しいアクセントだ。甘くてもしょっぱくても味を阻害しない素敵な風味の食材であり、ラー油のことを考慮すると、辛くても問題ないと言えそうだ。勘違いして欲しくないけれど、僕はごまが好きなわけじゃなくて、ごまを使った料理が好きなだけだ。ご飯が好きなのではなくて、ご飯を美味しく食べられるおかずが好きなのと同じ原理だと言えば、きっと伝わるものがあるだろう。ずっと食べていて飽きない二つの食材、お米とごまが出会ったのは必然であろう。奇跡なんかじゃない、捻りも工夫もない、当然のように美味しいお菓子。それがすなわち、ごま煎餅。いやはや煎餅好きでもないこの僕にここまで絶賛させるなんて、ごま煎餅恐るべし。



 とまあ。



 ずっとこの調子で煎餅についての感動を語っていても良かったのだが、その前にごま煎餅が終わってしまった。弾薬の尽きた機関銃が粗大ゴミであるように、煎餅の切れた僕はただの嫌味なガキだ。……誰が嫌味なガキだよっ!


「……さっきから何を一人でブツブツ呟いているんだ? 気味が悪い」


 親友の親友君から指摘を受け、僕はごま煎餅への未練を絶った。

 仕方ない。空腹も満たせたし、気持ちも充填できた。そろそろ現実とやらに向き合ってやろうか。


 時刻は午後一時。昼食(ごま煎餅)を食べて、食休みでのんびりしていたら、いつの間に一時間が経ってしまった。その間もクリアレスについて推測してみていたのだが、ピンと来る回答に辿り着くことはできなかった。


「クリアレスには厳格なルールがあるように見える。知性があるのかトップがいるのかは判別付けられないが、闇雲な行動を取る存在には思えない。彼らをもっと近くで観察する必要がありそうだ」


 とは、親友君の言である。


「少しばかり着替えてくる。出かけるにはこの服装だと薄着すぎる」

「あ。もう行くんだね。了解了解」

「こたつの電源を切っておいてくれ」と伝え、親友君は寒そうに自分の部屋に引っ込んでいった。


 僕はこたつの電源を消し、置きっ放しになっていた刺身包丁をシューズバッグに仕舞い直した。玄関で運動靴を履く。それで僕の支度は完了だ。

 部屋から出てきた親友君は厚着になっていた。中学校の学ランの上にドテラを着込んだ格好だ。


「待たせた。さあ、行こうか」

「そうだね。あ、そうそう。親友君に聞きたかったことがあるんだ。学ランのランってどういう意味? ランドセル? 蘭学? ランゲルハンス島?」僕は、靴を履く親友君に尋ねた。

「洋服を意味する江戸時代の隠語、ランダから来ている」親友君はすんなり答えてから、にっこり笑う。「膵臓とはまったく関係ない」


 僕たちは団地をあとにした。肉体的不備のため(※本人談)自転車に乗れない親友君に合わせて、僕も自転車を転がして徒歩で移動する。「移動速度を求めるに当たり、安定性を欠いた二輪車をわざわざ使用するのはリスクが高い」と危機管理に余念がない親友君だ。単に自転車が乗れなくてビビリなだけなのに、言い方一つで格好良く聞こえるものだ。可愛げのない八歳児である。


 市営団地を離れ、川沿いの通学路に当たったところで僕は足を止めた。


「君に言われるがまま出発しちゃったけど、どこへ向かうんだ?」

「クリアレスが多く出現しているポイントを希望する。市街地と郊外、どちらの方が多かった?」


 川沿いを川下に進めば住宅が密集している市街地、川上に進めば田畑が広がる町の郊外に続いている。僕の家と親友君の団地は郊外にあり、僕らの通う中学校は市街地の中にある。僕は町の中をこそこそ隠れつつ突っ切ってきたから、郊外の様子は見ていない。僕の家の周りでは、寝込みを襲ってきた巨大蛇と昆虫の羽を生やしたカエルの二匹を見たのみで、町の中では多彩なクリアレスを見てきた。事実だけを言うなら市街地の方が多かったのだが、それは郊外を少ししか見ていなかったのであって、そんな偏った意見をクリアレスの生態の判断材料として提出するのはまずいだろうと僕は考えた。


 即答しない僕を案じてか、親友君が助け舟を出してきた。


「質問を変えよう。団地の周囲でクリアレスを目撃したか? 団地を出発してからクリアレスを目撃したか? それを答えてくれ」

「見てない」


 僕は即答した。


「そういや、一匹も見てなかったや」

「一匹もというと、どの段階から『一匹も』なのか」親友君は片目を細める。

「この川沿いを走っているときも見なかった。その前だと……よく分からない」

「いや、充分伝わった。見晴らしのいい通学路で見かけなかったということは、広い範囲で存在していないことを意味する。ならば、推理材料としてそれで充分だ。クリアレスは自然環境より、都会に依存する都会っ子のようだ」

「都会っ子って……。ちょいちょい擬人的に表すよね、奴らのことを」

「対話が可能ならば、是非とも臨みたい。ゆえに意思疎通のできる個体やリーダーらしき個体を見つけたら、是非知らせてくれ」

「僕と親友君に危害を与えてこないなら、いくらでも対話してやるよ」

「二度も殺されかけた上で、異形を相手に譲歩ができる君は素晴らしい。理性的だ」

「褒めないでよ……、単にヘリクツ屋なだけだ」僕はぶすっとした顔になった。


 そんな僕を見て、親友君は見透かすような笑みを浮かべて――頭が消し飛んだ。



 隣に立って会話していた親友君の頭が破裂した。



 風船が割れるような甲高い音が鳴って、八歳児の血液と骨肉と脳漿が辺りに飛び散った。僕は反射的に仰け反ったけど、上手く避けきれず、僕のスポーツウェアは親友君の頭蓋の破片で朱色に染まった。赤黒い色彩のところどころに、頭蓋骨と歯の欠片が混ざっているのを、何となく汚いと感じた。飛び抜けて優れた頭脳でも、壊されてしまえば汚物と化すのだ。最高の美女も糞尿が詰まっている肉袋だって悪態を思い出して、なるほど、こういうことかと実感した。


 首から上を失った親友君の肉体は、真っ赤な噴水を舞い上がらせた。二リットルちょっとしかない血液を撒き散らしながら、親友君は棒のように倒れた。もし顎があったら地面に強打していただろう。顎が消し飛んでいてラッキーだったね、親友君。


 遠くの方から火薬が破裂したような音が響いた。僕は破裂音には反応せず、音が聞こえてきたのと逆の方向に振り向いた。斜め右後方から聞こえてきた音に対し、僕が振り向いた斜め左前方。


 果たしてその先に、異形の存在はいた。

 広い田園の上を8の字に旋回している歪なフォルム。


「ツバメ……。頭に、角が付いている?」


 動体視力はいい方だ。目の錯覚ではない。

 小型のクリアレスだ。


 他のものと違って体躯が巨大でないのは、貫通力を高めるためだろう。また巨大だと質量と空気の抵抗の問題で速度が出せなくなる。奇襲や狙撃の成功率を高める意味でも小型化は理が適っている。

 旋回した角ツバメは、大空に方向転換して上昇していく。

 ツバメはやがて粒みたいになって目で追えなくなる。アレが地上に落ちてくるときが、僕が死ぬときだろう。


「……パワーごり押しタイプだけじゃなくて、スピードタイプもちゃんといたのか。そういう大事なことって、もっと早めに教えてくれないかな」僕はぼやいた。


 親友君が死んだ隣で僕が冷静でいられたのは、動揺を見せる相手がいないためだ。悲しみや驚きを伝える相手がいなくは、悲しんだり驚いたりすることに意味はない。一人であたふた、めそめそして何になるというのか。親友君が死ぬことは僕が恐怖することの一つだったが、死んでしまったあとでは恐怖のしようがない。これが瀕死の重傷だったら僕も大慌てになったのだろうが、即死だと案外さらっと流せるものだ。ああ、親友君死んだんだ、ふーん。僕もこのまま死んじゃうかもだね、ふーん。


 淡白な思考をしつつ、僕は自転車の籠に入れていたシューズバッグを取った。バッグの中から刺身包丁を出して、柄を握る。一度二度軽く振ってみる。


 高速の飛行物体を斬れるかどうかは、分からない。まともに考えれば斬れないと思う。さっき強襲してきたときも、親友君が弾け飛ぶまで気付けなかったのだから、例えば真正面から飛んでくると分かっていても、身体が反応できる自信はない。プロ野球選手が投げるボールより速いんじゃないのかな? あっはは、ますます無理だわー。空振りしてビーンボールで死亡の未来が目に浮かぶようだ。

 まあいいや。考えたところで別のアイデアなんて思いつかないだろう。あまりにそのままだが、当たって砕けろだ。


「あー……? やばいな、こんなときなのに、変なこと気になってきちゃった」


 そういや、どうして角ツバメは、僕じゃなくて親友君の頭を貫いたんだろう。

後ろから飛んできたはずだ。僕は、いつ角ツバメが飛んでくるか分からない状況で、背後を振り向いた。破裂音が聞こえてきた斜め右後方。そちらにも視界一杯に田園が広がっている。


 何かの影が素早く飛び回っていた。遠くの光景だったが、邪魔するものがないのではっきりと見えた。中央に人型の影が忙しく動き回っていて、その周囲を複数の小さな影が飛び回っている。小さな影の方は飛び方がツバメそっくりだった。さっきの角ツバメの仲間だろうか? 同タイプは今まで見てこなかったが、そもそも小型タイプを見たのも角ツバメが初めてだ。特殊なクリアレスということか。


 人型の影の動きは、とても人間離れしたものだったけど(十メートルくらい跳躍していたりする)、その姿はどう見ても人間だった。両者は戦っているようだ。人型が腕を振るった。ツバメの影がまんまと拳に衝突し、パンッ、と甲高い破裂音が響いた。さっき聞いたのと同じ音だった。


「うわ……。素手で戦っているよ。あの人もクリアレスなのかな……」


 親友君が生きていたら、彼にも見えるかどうかで判断ができたのだが。いや、あの人影がクリアレスかどうかは関係ない。角ツバメと戦えている時点ですでに怪物だし、怪物であっても親友君の仇と戦っているのだから、応援してもいいだろう。頑張れー。


 近づくことはしない。戦いの巻き添えになるのがオチだ。というか、構図的に見れば、すでに親友君が巻き添えになっている。親友君を殺したのはきっと流れ弾の角ツバメに違いない。親友君が死んだのは、あの人型が角ツバメを見逃したせいだ。


 しかし、ここで僕はクリアレスの特性の一つを思い出した。奴らは死ぬと、世界に及ぼした影響が消えるのだ。破壊も殺害も、人の記憶からも。ここで親友君を殺した角ツバメが死ねば、親友君は復活する、かもしれない。


 ふむ。ではあそこで戦っている人影には是非とも勝ってほしいものだ。


 人影がまた一匹のツバメを潰した。今度は回し蹴りだった。残りはあと二匹である。

 その二匹は不利を悟って、躊躇うような軌道で大空に舞い上がろうとする。尻尾を振って逃げるようにも見えるし、大空から加速を得て、再突撃してやろうという風にも見える。しかし、速度を和らげた二匹を、人影は見逃さなかった。人影は大ジャンプで一匹を捕まえた。もう一匹が慌てて水平方向に逃げようとするが、人影は壁があるみたいに空中を蹴って、最後の一匹も捕まえる。


 人影が重力に引かれて落ちていく途中、ポン、と小さな破裂音が聞こえた。その両手の中で潰されるツバメの断末魔も一緒に聞こえてきたようだった。

 着地した人影は、ずっと見ていた僕の存在に気がついた。百メートル以上は離れているけど、相手が僕を見つけたことを何となく感じ取った。お互いの間に遮蔽物がないから、向こうからもこちらの様子が分かったのだろう。


 人影が空中を駆って、こちらに跳んできた。百メートルの距離がたったの三歩で埋められる。最後の大跳躍は特に高く、人影が落ちてくるのを僕は見上げて待った。

 人影は柔らかい動作で着地した。


 短髪の活発そうな女子。黒いセーラー服。僕の通う中学校の制服を着ていた。知らない顔だったが、向こうは僕の顔を見るなり驚いた顔をした。

 女子は、頭の吹っ飛んだ親友君を一瞥してから、僕をじっと見つめてきた。しばらくして彼女は諦めたような溜め息をついた。


「……えっと、やっぱ私のことが見えてるんだね。君も、上位層の人間だったの? 聞いてないんだけど」

「上位層って? クリアレスが見えるってこと?」

「クリアレス? 何それ」

「見えない怪物のことをそう呼んでいる。あ、見えないって言っても僕には見えるんだけど。でも僕も昨日までは見えなかったんだよ」

「……昨日までは? ごめん、パニックしてきた。つまり昨日まではここの次元で暮らしてて、今日になって突然、次元を超越したってこと? 何それ、在り得ない……」


 女子は目を泳がせる。

 君に困られたら僕の方が困るんだけど、と思ったが僕は質問を続けた。


「君は何者だ? クリアレスと戦っていたようだけど、君も奴らと同じ存在なの?」


 女子は斜めに俯きながら、おずおずと喋った。


「……私も、人間だよ。一応、同学年なんだけど、『こちら側』に長くいすぎて忘れられちゃっているみたいだね。五十嵐(いがらし)(れい)。改めて、初めまして」

「初めまして。オッケー。五十嵐さんね」

「五十嵐さんなんて止めて。玲でいいよ」

「いや、玲って呼びにくいし」

「……死ねよ」

 

 五十嵐はぼそりと呟いた。


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