親友君という名の親友
自転車を適当な場所に駐輪させて、僕は団地の階段を四階まで上る。親友君の家のインターフォンを押す直前に、扉が開いて、彼が顔を出した。
「来たか。ご足労済まないね」
パジャマ姿の彼はそう言った。とても子供っぽくて同じ中学生とは思えない顔つき。それも当然である。親友君の実年齢は八歳なのだ。精神年齢はもっと上を行っているに違いないが、肉体の年齢は間違いなく八歳である。
八歳の親友君が、中学二年生として中学校に通っていることには並々ならぬ事情があるのだが、一言で言えば、彼のずば抜けた才能ゆえだ。
親不知友仁。
愛称は、姓と名前の頭を取って、親友君。
本来なら彼はこんな片田舎の町にいて良いような奴じゃないのだけど、彼は自分の意志でこの町に住んでいた。世界中の大学や研究機関から招待されるも、彼は「生まれた土地の水しか飲めないんだ」と言って、全部断っている。正確にはこういう譲歩を付け加えている。「そんなに僕の頭脳が欲しいなら、この町に研究所を作ればいい。僕の家から徒歩三十分圏内に。そうすれば僕も通える」と。
その無茶振りに応えた組織はない。しかし、それも時間の問題だと僕は思っている。
少なくとも今はまだ、僕の親友でいてくれている。
「やあ、元気だった?」僕は挨拶した。
「生憎、まだ全快ではない。まあ、上がりたまえよ」親友君が奥に引っ込んだ。「母はもう仕事に行った。遠慮することはない」
「お邪魔します」
僕は居間に案内された。コタツがすでに出されていた。今日は寒くないはずなのに(むしろ温かい)、親友君は愛おしそうにコタツに足を突っ込んだ。寒がり屋でコタツが好きな彼は猫みたいに背中を丸めて、天板に顎を乗っける。コタツの上にはごま煎餅と急須と湯飲みが二つ。爺むさい組み合わせだ。
「例の包丁は持ってきてくれたかい?」
「うん。包丁」
僕はスパイクのバッグの中から、新聞紙に包んである刺身包丁を取り出してコタツの上に置く。
「葉っぱは残ってなかったよ。ごめん」
「謝ることではない。拝見するよ」
親友君は包丁に手を伸ばし、新聞を剥ぎ取って、露わになった細長い刃をじっと見つめた。
「どう? 何か分かる?」耐え切れなくなって僕は尋ねた。
「さっぱりだ」親友君は首を振って刺身包丁を置いた。「よく研げている。刃こぼれ一つないとは。普通、動物の頭に突き刺したら刃が欠けてしまいそうなものだけど」
「え? 欠けてない? 僕が見たときには欠けてたよ」
「いつ見た?」
親友君は聞きながら、包丁の刃の腹に指を滑らせる。
「蛇の頭から、包丁を抜いたとき。血とか肉片が付いてた。あっ、でも蛇が消えたら、血も消えてた」
「……そうか。実は、君が来るまでに市内の道路で大事故が発生したみたいでね、君がそれに巻き込まれたのではないかと冷や冷やしていた。死者も多数出ている。原因は今のところ不明だ」
「あ、それ、僕見たよ。熊の足を持った巨大なニワトリがやったんだ」
「ニワトリが人を襲ったのか?」
「違う。僕を狙ってきた。周りのいた人がそれに巻き込まれた」
僕は熊脚ニワトリから逃亡したときのことを語った。幸いなことに、怪物に見つかって追いかけられたのはそれ切りだった。余計な被害者もそこ以外では出ていない。
「ふむ。蛇、カエル、蜘蛛に続いてニワトリか。他には、どんな怪物がいた?」
僕はここに来るまでに見かけた怪物のフォルムを説明した。
たてがみを生やしたコウモリ。眼球をぶら下げたハチドリ。サソリの尻尾が付いたヤドカリ。転がったり弾んだりして動く、球体の猫。緑の芝生を背中に生やしたムカデ。臀部からも頭を生やしたフタコブラクダ。
総じて言えるのは、どれもギガサイズであるということ。そして、他の生物の特徴と融合していること。
「なるほど。もしそれが君の夢の話なら、夢診断から心理学の話に移れるのだが、君のリアルであるというのだから面白い」親友君は笑う。「話の途中だった。さっきの大事故のことだが、もう報道から消えているんだ」
「報道から消えている? どういう意味だい?」
親友君はリモコンでテレビを付けた。昼間のニュース番組がやっている。
「このチャンネルで、つい二十分前までは謎の大事故で大騒ぎだったのだ。歩道に隕石が落ちたような亀裂が入り、突然の爆発音と共に、トラックが吹っ飛んだ。死傷者多数、救助が遅れている……。明日の一面を飾れる怪事件だと思って僕は見ていたのだが、それが、今ではちっともやっていない。大勢が死んだというのに、その死んだ人間がまったく知らされない。ニュースが消えた。事件が綺麗さっぱり消えている」
まるで始めから何事もなかったかのように、と彼は呟いてテレビを消した。
「君が蛇にとどめを刺すとき、蛇は大暴れしたんだって? 家は大丈夫だったかね? 壁が凹んでいたりは? ガラスは割れなかった?」
「ああ……。そういや、何も壊れていなかったな」
「うん。そして、刃が欠けていたのに、今はまったく欠けていない包丁。つまり、そうなのではないかな」
僕は唖然としていた。親友君の言いたいことが分かってきた。
「……奴らが破壊したものは、時間が経てば修復する? 人の記憶からも消えて……」
親友君は、いや、と否定した。
「僕は、彼らが死ねば、全て元通りになるのではと思っている。君が蛇を気絶させても蛇は残っていたが、始末した途端に消滅した。消滅のトリガーは死だ」
「…………」
不可逆であるはずの破壊や死、さらに人の記憶が巻き戻るなんて。
物理法則が捩れている。どこまで世界は狂ってしまったんだ?
「実を言うと……」
親友君は声を潜めた。
「近所で起きた大事件の方を、僕も少しずつ忘れかけてきている。忘れてしまう前に君に話せてよかった。君には僕がこういう話をして、忘れてしまったことを覚えていて欲しい。たぶん、彼らを認識できる君だけが、彼らの破壊や存在を覚えていることが可能だろうから」
「……奴らは、いったい何なんだ?」
「さあ。僕は実物を見ていないから、何とも言いようがない。だが、それは僕の主観だ。君の見ている世界では確実に異変が起きており、だから僕に助けを求めた。嬉しいな、僕をそんな楽しい世界に誘ってくれるとは」
親友君はにんまりと微笑んだ。僕はそれを見て、苦虫を噛み潰した気分になる。
おっとと、親友君の悪いクセが始まったぞ。
彼にとって普段の日常は先読みのできてしまうもので、ひどく退屈であるそうだ。フィクションの世界もある程度のパターンが分かってしまえば、展開を読めてしまって純粋に楽しめないとのこと。つまらなくなるのなら、先のことなんか考えなければいいのに、と凡人の僕は考えてしまうが、彼にとって考えないことは息を止めろと言われているのと同義らしい。人はある事物について意識しない振りはできるが、意識しないことは人の心理では不可能である、と親友君は説明してくれた。
要するに、親友君は予想外が大好きなのだ。予測できないイレギュラーが起きたとき、必要以上に関心を寄せてしまうクセがあった。
「親友君が食われるところなんて見たくないから、あまり首を突っ込んで欲しくないのだけど……。まあ、話したのは僕だ。親友君にそう言ってもらうと僕も心置きなく相談できるよ。そうだな、いつまでも怪物と呼んでいては印象が曖昧だ。仮に奴らを『クリアレス』と呼ぶことにしよう」
「クリアレス。不透明という英単語はあるが、消去のクリアーとも掛けているのなら、そちらの方が適当かもしれない。透明でなく、消すことができない。それを認識できる君とっては、それは間違いなくクリアレスだね」
親友君は上機嫌そうに頬を紅潮させた。こういう反応は、年相応で可愛らしい。
「クリアレスについて一旦整理するよ?」と僕は言う。
「したまえ」
「親友君は、仮説としてクリアレスが死ぬと、奴らが起こした被害は消滅すると言ったよね。それは僕も頷く。死亡がリセットのトリガーで間違いない」
僕はここに来るまでの行程を思い出しながら続ける。
「クリアレスたちは、積極的に人を襲わない。僕だけがなぜか狙われたが、姿を隠すと奴らは追撃をあっさり諦めた。そして、もう一つ重要な事実がある」
「重要な事実とは何かな?」と親友君。
「クリアレスは仲間割れをしなかった。個体数が少ないから戦う必要がないのか、戦いを避ける知能があるのか分からないけど。遠目に見ている限りは、クリアレスは人を襲わないし、物を破壊しない。仲間割れをして大暴れすることもない。こう言ってはなんだけど、大人しい生物だ」
「生物かどうかはまだ分からないがね。うん、そこまではオーケーだ」
「でさ……、ちょっと疑問に思ったんだけど、君がクリアレスの性質に気づいたのは、巨大ニワトリが起こした事件がニュースでやっていて、でも僕が来る頃にはさっぱり消えていたからだよね。記憶も被害も」
「事件? ニュース?」
親友君は表情を曇らせた。
「……んん? 少し待ってくれ。何の話だ。そんな話、僕がしたか? さっぱり覚えていないが……」顎に手を当てて、渋面になる。「……ああ、つまり、僕は忘れてしまったのか。話を遮って済まない。君がそう話す以上、覚えていたときの僕はそれを話したのだろう。それで、君は何を疑問に思ったのだ?」
「ニワトリの被害は消失していた。それはニワトリが死んだことを意味している。そしてクリアレスたちは仲間割れをしない」
僕は唾を飲み込んで、次の一言を言った。
「じゃあ、誰がニワトリのクリアレスを殺したんだ?」
「推測はすでにできているだろう?」
「うん。僕と……、同じことをした人間がいた。僕以外にクリアレスを認識できる人間……。しかも、超大型の怪物を倒せる能力を持った人間だ」
「その推測を僕は支持しよう」
親友君は微笑んで言った。
仲間がいるかもしれない、という光明が見えてきて僕は安堵した。
親友君が提案してきた。
「午後からは町に繰り出してみようか。もっとラグなしで君の実体験を聞きたいし、君と同じ性質の人間が見つかるかもしれない」彼は立ち上がり、台所の方へ行った。「僕はお昼を食べるけど、君は? 何か食べるかい?」
「いや、大丈夫」
僕はつい遠慮して言い返した。
テレビの横にある柱時計を見ると、十二時だった。ぐぅーとお腹が鳴って、僕は今日の給食のメニューに思いを馳せる。焼きそばだったことを思い出した。焼きそばは僕の好物の一つだ。
チッと舌打ちする。やっぱり学校に行っておけばよかった。
「あの、やっぱ煎餅、食べていい?」
「どうぞ」台所から親友君の声が返ってきた。
僕はごま煎餅を一枚取って包装を開ける。齧ると、ごまの風味が口の中に広がる。
うむ、なかなかのお味。




