第九話 勇気という名の蕾
「――簡潔に申し上げると、カナリアさんは今、昏睡状態にあります。現在はこの基地の治療室で眠っているところです」
「……そして、カナリアさんの救援に、私の助手を向かわせました。しかし、彼女は翌朝になっても帰還しませんでした。住民の目撃情報もないため、行方不明であります」
「―――」
言葉が出なかった。受け入れたくなかった。想像したくなかった。
そんな感情が一気に襲いかかってきた。
「そんなっ、カナリアがっ……! クソォ……!」
「……」
アレイシスとフォーティンスも受け止めきれない現実に絶望の表情をしていた。
特にフォーティンスは自分の不甲斐なさに打のめされ、その場に座り込んでしまった。
「………」
「――状況は……ある程度理解できました。ですからまずは、カナリアのところに、僕らを連れて行ってくれませんか」
アレイシスがこの重たい空気の中、口を開けた。
この状況を打開したかったのだろうか。
「そうですね……では、治療室に案内しましょう。詳しい話はカナリアさんの顔を見ていただいてからお話します」
そうして、一同はアルネブに案内され、カナリアが眠っている治療室に向かった。
―――
コツンコツン
長い長い、足音だけが反響する廊下を歩いていた。
薄暗い廊下だ。厳密には、蛍光灯の明るさは前とは変わっていないが、何故かツルギはそう感じた。
(なんで……守れなかったんだろう)
誰も会話などしていなかった。ただ、自分達の主人の後ろに付いていっているだけだ。
(なんで……あのとき一緒に着いて行ってあげられなかったんだろう)
後悔――。
自己嫌悪なんかじゃない、ただの後悔だ。その二文字が心を抉るのだ。
何故だ――。
その言葉が脳内に妙に響く。
(なんで俺は……こんなに、弱いんだろう)
そして最後に残ったのは、自分の弱さ、醜さだけだった――。
―――
「ここです」
しばらく歩いていると、アルネブが一つの扉の前で立ち止まった。どうやらここが治療室のようだ。
「カナリアさんは……部屋の奥のベッドで眠っております。入るとカーテンが掛かっていると思うのですぐにわかるかと」
「……アルネブさんは、入らないんですか?」
ツルギが弱々しい声でそう質問する。
「はい。私が居たところで邪魔なだけですから。君たちだけで、カナリアさんの顔を見てあげてください」
「あっ……」
その瞬間のアルネブの表情から、合わせる顔がないのだとツルギは悟った。
そして、三人は扉の前に立った。
(この先に、カナリアが……)
ツルギが扉の取っ手に手を掛けた。しかし、すぐには開けられなかった。
「ツルギ……」
手がプルプルと震えていた。
恐れているのだ。現実を見るのが、知ってしまうのが。
(俺……怖いのか……? この先に、進むのが……こんなにも)
ツルギは自分の力じゃ、扉を開けることさえできなかったのだ。
「……ほら、手どかせよ。俺が代わりに開けてやるから」
「あっ」
それを見かねたフォーティンスが、ツルギの代わりに扉を開けようと、手を伸ばした。
ツルギはすぐに手をどかした。自らの手では、目の前の壁を乗り越えることができないのは、わかっていた。
「ふぅっ、開けるぞ」
フォーティンスが大きく息を吐き、扉を開けた。
ガチャ
―――
「……カナリア」
部屋に入り、掛かっていたカーテンを引くと、そこには昏睡状態のカナリアがいた。
見た目は至って外傷もなく、最後に別れた時とあまり変わっていなかった。
本当に、ただぐっすり眠っているだけのようだったのだ。
(想像してたより、変わってないじゃないか……)
ツルギは少し安心した。
しかし、それだけだ。昨日の太陽のように明るかったカナリアはそこにはいない。名前を呼んだところで返事は返ってこなかった。
「カナリアは、頑張って戦ったんだね」
「くそぅ、俺が着いて行っていれば、こんなことには……」
フォーティンスがふと言葉を漏らした。それはツルギも、否、アレイシスだって、皆が感じていたことだった。
「――あっ、シーツが」
カナリアを眺めていると、掛かっているシーツがズレて、腕が露出していることに気づいた。
(このままじゃ、寒いよな。安心できないよな)
せめて、このときだけは自分にできる事をしたいとツルギは思った。
しかしそれは、ズレたシーツを直し、カナリアの体の上に掛けてあげるだけ。
不甲斐ない気持ちでいっぱいになった。
「……今掛けてやるからな」
そしてツルギはカナリアの腕に手を伸ばし、触れた――。
―――
「――あれ? どこだ……ここ」
ツルギは気がつくと、いつの間にか真っ白な空間に立っていた。
周りを見渡しても建造物も何もない、真っ白な空間だ。
「俺はさっきまで治療室に……」
そう、先ほどまでツルギはカナリアが眠る治療室に居たはずだ。
しかし、何故この空間に立っているのか、心当たりはない。
「おーい、誰かー、いないかー!」
「―――」
誰かがいることに賭けて、大きな声を出してみたが、返事は返ってこなかった。
しかも妙だ。あれだけ大きな声を出したのに、声がこだましない。
「一体なんなんだよ……ここは」
ツルギは不安からか焦りを見せていた。
「……とりあえず、歩き回ってみよう。何か、もしかしたら、戻れるヒントがあるかもしれない」
そしてツルギは何もない空間を歩き出す。
ポチャ、ポチャ
「地面は、水……なのか?」
歩いてみると、水を踏む音と感触がした。しかし何故か靴は濡れていなかった。
「――ッ。目印がないから、方向感覚狂っちまいそうだ。同じところをぐるぐると回ってないといいけど」
この空間はこれといった物が何もないため、方向感覚が狂ってまう。
「――ん? あれは……人か?」
しばらく歩き回っていると、真っ白な空間に佇む何かを見つけた。人間だ。一人でポツンと立っていたのだ。
しかも、その人物には見覚えがあった。
「――ッ、もしかして、カナリアか?」
そう、その人物は紛れもないカナリア本人だった。
服装、髪の毛、そして特徴的な獣耳はカナリアそのものだ。
「カナリアッ……! ううっ」
ツルギの目から、涙がこぼれ落ちた。
あのカナリアが目を覚まして、目の前に立っているのだ。ツルギは喜びと安堵感でいっぱいになった。
「カナリアー! おーい、カナリア俺だ! 聞こえるか!」
ツルギがカナリアに向かって自分の存在を叫ぶ。
しかし、
「―――」
「え?」
カナリアがこちらを向くことはなかった。
「カナリアー! おーい!!」
先ほどより大きな声を張るも、やはりこちらに体を向けることはない。
「な……なんで……くそっ」
(この距離なら声が届くはずなのに……)
ツルギはひどく落ち込み、地面に尻をついた。
そのときだ。
『そんなに悲しまないでいいのよ』
声が聞こえた。カナリアではない、別の声だ。
「――ッ。あれは……」
ツルギが頭を上げると、カナリアの他に別の人物が存在していた。
日本人の女だ。おそらく年齢は五十代くらい。知らない人物だ。
するとツルギの声には耳を傾けなかったカナリアが口を開けた。
『……ごめんなさい。お母さん』
出てきた言葉にツルギは驚嘆した。
「お母さんだって…? いやおかしい、だってこの世界に来たのは五人だけのはず」
そう、この世界に召喚されたのは、ツルギ、カナリア、アレイシス、フォーティンス、そしてもう一人の謎の女だけ。カナリアの母親が来ているわけがないのだ。
「――なるほど……つまりこれは幻覚か」
「そして、母親ということは、これはカナリアの記憶……」
察しのいいツルギはこの空間が幻覚であることに気がついた。
『謝らないでいいの。まだあなたの人生は終わったわけじゃない』
『……ごめんなさい』
(そういえば、この世界に来てから、これと似たような現象があったな)
実はこのような現象に陥ったのは今回が初めてではない。
アルネブと初めて出会い、この世界を救うと誓ったあのとき、ツルギ自身も、過去の経験を目の当たりにした。
(でも、俺のやつとは何か違う。不思議な感覚だ)
しかし、何かが違う。その違いを鮮明に認識することはできないが、直感で感じ取った。
『お母さんは、ずっとあなたの味方よ』
『――なんでお母さんは、私を叱ったりしないの?』
そのときだった。
ピカッ
「な、なんだ!?」
突然目の前に、思わず顔を隠してしまうほどの強烈な光が現れた。
「ぐっ、うわぁぁぁぁぁぁ!」
そしてツルギはその光に吸い込まれてしまった。
*************************
――いつからだろう。私が落ちこぼれていったのは。
いや、もしかしたら生まれたときから、落ちこぼれだったのかもしれない。
――私は子供の頃から、勉強も運動も、人より劣っていた。
テストの点も毎回平均よりずっと下。体育の授業も大嫌いで、人に誇れる要素がこれっぽっちも無かった。
だけど、食べることだけは一丁前に大好きだった。それが、唯一の誇りで、唯一の楽しみだったんだ。
食費……大変だったんだろうな……。
でも、小学生までは、順風満帆な生活を送っていたと思う。小学生……までは――。
『やっ、やめてよ!』
『ふふ、このノートを返して欲しいんだったら、そのふっとい体で土下座することね。アハハハ!』
――中学に入ってから、私は体型が原因で、ひどいいじめを受けた。
最初はすれ違いざまに軽くお腹を叩かれるくらいだったけど、どんどんエスカレートしていって、最終的には、
『あ、ああっ……! 私の……お弁当……』
自分のお弁当をトイレに捨てられる始末になった。
その日から私は、学校に行けなくなってしまった。
部屋に閉じこもり、ネットで現実逃避する毎日。そのくせに、食べる量は全く落ちない、怠惰の塊のようだった。
――でも、お母さんだけは、私のことを蔑んだり見限ったりしなかった。
お母さんは、女手一つでこんな私を育ててくれた。
引きこもりの私にも、いつも美味しい料理を作ってくれて、リビングで一緒に食べると言うと、ぎゅっと抱きしめてくれて、私が泣いていたら、優しい言葉を投げかけて、慰めてくれたり。
私もそれに応えないとって、そう思ってダイエット、そして勉強を始めた。
初めは、あまり効果が無いように感じて、途中で諦めそうになった。
『ダメよ私! お母さんを……! 喜ばせてあげるって、決めたじゃないのっ』
でも私は諦めなかった。お母さんに、変わった私を、見てもらいたかったから。
その甲斐もあってか、私は頭のいい高校に進学した。
高校では、ダイエットのおかげで、体型が中学の頃とは見違えるくらい変わったから、いじめられることはなかった。
友達もたくさんできた。周りに私より頭のいい人が大勢いて、成績が下の方でも、後悔なんてしていない。
この時期が人生で一番楽しかったのかもなぁ――。
高校三年生なって、進路選択の時期が迫っていた。
将来的にお母さんを楽させるためには、収入がいい会社に入らないといけない。そして、いい会社に入るには、有名大学に受からなければいけない。
そう考えて、私は某T大学を受験することにした。
『お母さん、私、T大学を受けることにしたんだ』
『え!? あら、そうなのね。お母さんも応援するから、勉強頑張るのよ』
『うん! 私頑張るから』
この瞬間に、諦めておけばよかったのかもしれない。いや、このときの私には無理だったのかな。
お母さんは少ない収入から、毎月何万、下手したら何十万もかかる塾の費用を絞り出し、賄ってくれた。
そして私もそれに報いるために、
一日何時間も、寝る時間を削ってまで、毎日を勉強に費やした。
……と言ってしまうと、たぶん嘘になると思う。
実を言うと、私は勉強をサボってしまっていた。
受験勉強を始めた頃は、やる気に満ち溢れていたけど、段々とストレスが溜まっていき、過去に捨ててきたはずの自分の弱さが、また再発してしまった。
お母さんの前では勉強している素振りをして、隠れてネットにのめり込んだ。
たまに勉強を頑張るときもあったけど、ストレスで、食に逃げてしまった。
塾もお母さんに隠れて、休む日が多くなった。でも、全く行かないと、いずれバレてしまう。
だから、塾に行く日を自分で決めて、その日は絶対に休まないようにした。
それにしても、何でお母さんは、週五回も塾の予定を入れてたんだろう。
――そして、T大学受験当日、私は不十分な状態で試験に挑んだ。
『私なら出来る……! 出来るんだから……!』
今まで、私は絶望の淵に落とされても、なんとか立ち上がることが出来た。
だから、無駄に自分の力を過信してた。
自分は失敗しないって、思い込んでた。
『――試験開始!』
(よし、この問題は……あれ? なんで? 解き方が……わからない……)
私はこの瞬間、初めて自分の力を思い知った――。
T大学の合格発表の日――。
『よし、発表の時間ね』
合格発表の時刻になると、私はすぐさまスマホを開き、大学のサイトにアクセスした。
『私の番号は……』
合格発表の欄に、私の受験番号はなかった。
『―――』
このときに私は全てを悟った。
圧倒的な努力不足だった。この一年間、まともに勉強に向き合った記憶がなかった。
そう、私は初めて失敗したのだ。
T大学に受かることだけを考えていたから、滑り止めで受けた大学も、全て落ちてしまった。
全落ちだ。
そして、私は今にも泣きそうな顔で、打ち明けた。
『お母さん……大学……全部落ちちゃった』
『―――』
そのときのお母さんの顔は今でも覚えている。
怒っても、悲しんでもなかった。ただ哀れんでいるだけのような、そんな顔だった。
だけど、お母さんは私の顔を見るなり、
『そんなに、悲しまないでいいのよ』
と言った。
『ごめんなさい』
そのときの私は罪悪感から、謝ることしかできなかった。
『謝らないでいいの。まだあなたの人生は終わったわけじゃない』
『……ごめんなさい』
しかし、お母さんは全てを肯定する。
気味が悪かった。
なんで叱ってこないのか。
なんでこんな出来損ないの娘に手を差し伸べられるのか。
そして、私は人生で最大の過ちを犯してしまった――。
『お母さんは、ずっとあなたの味方よ。だから……』
『じゃあ、なんでお母さんは、私を叱ったりしないの?』
『―――』
私はお母さんに問い詰めた。いや、反発してしまったのだ。
『それはね……あなたがとっても大切だから……』
『だったら叱ったらいいじゃない! こんな出来損ないの私を、とことん叱ってやればいいじゃないの!』
『あっ……』
『私、受験勉強サボってたんだよ!? 塾にあまり行ってなくて……食べ物に縋って……最低の人間じゃない……! そんな奴を叱らないなんて……お母さんどうかしてるよ……!』
『―――』
言ってしまった。あの女神のような優しいお母さんに。隠すべきことまで言ってしまった。
『――ごめん……ごめんねぇ……』
『――ッ』
その言葉を聞いたお母さんの目には、激昂するのではなく、なぜか涙が溢れていた。
悲しみの涙なのか、後悔の涙なのか、そのときの私にはわからなかった。
『……ううっ!』
私は駆け足で自分の部屋に戻った。
その日を境に、私はお母さんと言葉を交わすことはなくなった――。
もう三月で卒業が近かったから、すぐに家を出ることが決まった。
高校を卒業した後、すぐに就職することにした。幸いにも、こんな私を雇ってくれる会社が見つかり、そこで働くことにした。
私はその選択に後悔はしていない。
――でも、唯一心残りなのは、お母さんとは喧嘩したまま、家を出てしまったことだと思う。
お母さんは、どんな気持ちだったのかな。
女手一つで育てて、塾まで行かせて期待していた一人娘の受験結果が、全落ちで。
そして、最後は何も言わずに家を出て行かれてしまうなんて。
たぶん、悲しかったんだよね。辛かったんだよね。
ああ、謝りたいなぁ。
謝って、ちゃんとありがとうって言いたい。
私にお腹いっぱい食べさせてくれて、ありがとう。
私を絶望のどん底から救い出してくれてありがとう。
私を最後まで信じてくれてありがとう。
って、言ってあげたい。
でも、その一歩を踏み出すことが出来ない。
私には、勇気が足りないんだろうなぁ。
でも、私は信じてる。いつの日か、私に勇気という名の蕾が芽生えることを。
そしてそれが、いつか花開くことを。
だからいつか、私とお母さんが仲直りできる日が
訪れますように―――。
*************************
「……カナリア」
ツルギは眩しい光の中から白い空間に戻ってきた。
「俺は……あいつの過去を追体験したのか」
あの感覚は、他人の人生を側から見れるようなものではなく、自分自身がその人になりきっている、そんな感覚だった。
パキッ
「あっ、空間に……ヒビが……」
ツルギは空間にヒビが入っているのに気がついた。
「もしかして、そろそろ時間切れって感じか?」
そして、何故だかわからないが、タイムリミットが近づいているのだと、勘づいた。
初めて来たところのはずなのに、自分が何もかも知っているような感覚。実に奇妙だ。
すると、目の前にとある人物が出現した。
「あっ……」
そこにいたのは、しゃがんで俯いているカナリアだった。
グスッ
(……泣いてるのか)
すると、
「――え? カナ……リア?」
カナリアが涙で濡れた顔をこちらに向けた。
なんとこちらの存在に気がついたのだ。
しかし、
「――あなたは……誰?」
「――え?」
「何言ってるんだよ! 俺だよ、◆◆◆・◆◆◆だ! ……あれ?」
ツルギは自分の名前を口に出そうとした。しかし、何故か出なかった。
特段喉がおかしいわけでもない。名前だけが、発した言葉から切り抜かれる感覚だ。
「あなたは、名前がないんですか?」
「いや、そういう訳じゃない! ◆◆◆だ! ◆◆◆・◆◆◆だよ!」
しかし、何度言っても、その言葉は声に出ない。
そして、他にもおかしいところはあった。
(でも、なんでカナリアは俺を認識できない? 顔が見えてるはずだろ)
だが、この疑問は次のカナリアの言葉に打ち砕かれた。
「あなた、本当に何者なの? 名前もわからないし、顔も隠してるし。しかも私の名前も知ってるし」
「顔を……隠してる……? 俺の顔、見えてないのか?」
カナリアはこくりと頷いた。
「なんか、モザイクがかかってる感じで、とっても不気味」
衝撃の事実にツルギは口が塞がらなかった。
名前も、顔も認識されない。
そして、不幸なことに服装もカナリアに見せたことのない寝間着のままだ。
これでは自分が何者なのか、伝える手段がない。
しかし、ツルギは開き直って、カナリアと向き合うしかなかった。
「そうか……なら、いいんだ」
「――?」
「聞きたいことがあるんだけど、何でお前は泣いてるんだ?」
ツルギはカナリアに泣いている理由を問う。
しばらくの間沈黙が続き、カナリアはこう呟いた。
「……わからないの」
「あっ」
「わからないの! 昨日から肉体の情報が伝わって来なくて、自分が今どうなっているのか、わからないの! 不安なの!」
カナリアは悲痛な声で泣き叫びながらそう嘆く。
(――今のカナリアの状況を伝えてもいい。でも)
(昏睡状態と聞いたら、もう目が覚めないかもしれないと聞いたら、こいつはどうなるんだ)
ツルギは今の状況を言いたかった。
しかし、精神体のカナリアにそのことを伝えてしまうと、ショックで廃人になってしまう可能性がある。
そうなると肉体にも影響があるかもしれない。
(それだと、俺は今、何が出来る? こいつに、何をしてあげられる? 考えろ、アサヒ・ツルギ)
ツルギはじっくりと考えた。目の前で泣きじゃくるカナリアにしてあげられること――。
(――うん。しばらく考えたけど、俺にはこれしかない)
(あいつの過去を見た、俺だからこそ出来ること)
ツルギはカナリアの前に立った。
「なあ、カナリア。俺はお前に伝えられることは多くはない」
「―――」
「でも、お前のその大粒の涙を止めることはできる。だから、話を聞いてくれないか」
カナリアが拍子抜けな顔をして、ツルギを見た。
そして、ツルギは自分が伝えられる精一杯の言葉を話す――。
「話すことっていっても、本当に時間がないから、アドバイス的な感じでいくぜ」
「……うん」
「俺からお前に伝えるアドバイスは三つだ」
「一つ目は、『信頼すること』だ」
その瞬間、その言葉を聞いた瞬間、カナリアが血相を変えてツルギを睨む。
「信頼って……私は! 信頼してたよ! お母さんも、友達も……みんなのこと信頼してたよ」
カナリアは思いのままに激昂する。痛いところを突かれたのだとツルギは思った。
「……お前は、なんでも自分一人で成し遂げようとする癖があるよな」
「―――」
「受験のとき、お前は自分の力を過信して、一人で乗り越えようとした。力を過信してたのは認めてたけどな」
「でも、自分一人じゃ出来なかったなんて、一言も言ってなかった。それは、努力すれば一人でも成し遂げられると思い込んでたからだ」
「――ッ!」
「でも、実際はどうだ? 母親が塾の費用を出してくれたり、友達と励ましあったり、全部一人で出来たわけじゃなかっただろ?」
「だけどお前は、何事も他人を頼らずに出来ると、信じ込んでた」
「それはつまり、他人を信頼できてないことと、同じじゃないのか」
「ううっ……!」
カナリアの瞳から大粒の涙がポロポロと溢れた。
「そして、他人ってのは、自分の体も同じだ。お前の体もな」
「だから、心配なんてするな。自分の体を信頼してやれよ」
そしてカナリアは不本意そうだったが、「うん」と頷いた。
「だから、これが一つ目だ。『人を信頼すること』、わかったな」
「そして二つ目、それは『ちゃんと行動すること』だ」
「行動する……こと?」
「ああ、ちゃんと行動に移すことだ」
「お前は、失敗したと自覚しても、それを行動に移そうとはしていない。それは俺も知っている」
「――ッ」
その言葉にカナリアは歯を食いしばって、言い返す。
「でも、行動するのが怖いの! だって、行動しちゃったら自分がしてきたことが無駄だったって、証明されちゃうもん……!」
(行動に移したら、自分の負けになるって、思ってるんだな)
先ほどよりも口調が弱くなっているが、カナリアにとってはこれが決死の反論だった。
そこにツルギが決めの一手を投げる。
「――お前は知らないかもしれないけど、行動しないと、勇気は生まれてこないんだぜ」
「……え?」
カナリアが不意をつかれたような、きょとんとした顔をする。
ツルギが話を続けた。
「例えばだ、もしお前の大切な人がもう長くはないとわかっていたら。そして、その人に謝らなければいけないことがあったとしたら」
「――ッ」
「お前は多分、勇気がないから、何もできない」
「……」
カナリアが黙り込んでしまった。
しかし、ツルギが「でもな」と話を続ける。
「行動すれば、話は別だ」
「それって、どういう……こと?」
「噛み砕くと、行動しないと、勇気は生まれない。でも、勇気が無いと、行動も出来ない」
「まあつまり、行動と勇気は表裏一体ってやつだ」
「じ、じゃあどうしたら……」
カナリアはツルギが言っていることがよくわからなかった。
勇気と行動が表裏一体なら、どうすれば、どちらも手に入れられる?
その答えはツルギが持っていた。
「でも、勇気を生むことは、行動することより何倍も難しい。つまり、行動の方が簡単だ」
「あっ」
「だから、最初に行動だ。深いことは考えないで、行動するんだ」
「自分から動くことを忘れてやるな」
そしてツルギはカナリアの肩を叩く。
この言葉しか見つからなかった。
でも、この言葉が最善だと、ツルギは信じている。
「そうすれば、いつの日か勇気という名の蕾が、花開くから」
その言葉を聞いたカナリアの顔はさっきよりも涙で濡れていた。
濡れてはいたが、少しだけ笑みを浮かべているような気がした。
バキッ! バキバキッ!
すると、空間のヒビが大きくなり、光が差し込んできた。そして、その光がツルギに手を伸ばす。
「ああ、そろそろお別れだな」
「え!? ま、待って! まだ話が終わって……」
カナリアがツルギの足元に、悲しそうな顔で縋り付いてきた。
すると、ツルギは指を三本立てた。
「三つ目のアドバイス、それは、『この先は、お前自身で考えること』だ」
「あっ――」
「ただ単にアドバイスだけしても、意味がないって思ってな。こういうの、いいんじゃないかって」
時間がなかったのもあるが、これがツルギなりの最後のアドバイスだ。
「で、でも私、何も知らないの! あなたのアドバイスを聞いて、自分がどれだけ無知だったか、思い知ったから……!」
ツルギはふっと微笑み、カナリアの肩に手を当てた。
「だったら、今、この瞬間から変わるんだ」
「――ッ!」
「俺が教えたアドバイスを最大限生かすんだ。知ったことを、後悔しないように、育むんだ」
「……うんっ、うん……!」
カナリアは何度も何度も、頷いた。
だが、腫れぼったい彼女の目には涙が浮かんでいなかった。
それを見て安心したツルギは、裂け目から出る光に向かって歩き出した。
振り返ることはなかった。
そして最後にこう呟いた。
「――じゃあな。俺のことを知ってるお前には、もう会えないかもしれない」
「でも、もしまた会えたら」
「成長した姿を、見せてくれよな」
〈ちょこっと解説〉
Q.幻覚空間のカナリアがなぜ、自分の肉体が眠っていることに気がついていないのか?
A.肉体、つまり脳も昏睡状態にあるため、情報が伝わっていないからです。
幻覚空間は、実は脳が司っているわけではありません。ここら辺は後々明かしていきます。




