第十二話 女神様
『またいつか、私と会ってくれますか?』
――
――あるところに一人の幼い少女が住んでいた。
彼女の名前は『神ノ瀬愛花』。
日本人の、小学校中学年くらいの少女だ。
彼女は明るく、元気な子で、毎日のように公園で遊んだり、友達の家に遊びに行ったりしていた。
そんなある日、彼女の運命を変えた出来事が起きた――。
『やばっ、もうこんな時間じゃん』
その日、少女は友達の家に遊びに出かけていた。
しかしゲームに夢中になり、気付けば時間の針は、夜の七時を指していた。
『そろそろ帰ったほうがいいんじゃない? 愛花のお母さんも、心配してるだろうし』
『そうだね。ごめんねこんな遅くまで居ちゃって』
少女は友達に謝り、帰宅の準備をする。
『一人で大丈夫? よかったら、親に頼んで送っていってあげるけど……』
『大丈夫だよ。もう小四なんだから、一人でも帰れるよ』
友達は夜道を一人で帰る少女が心配で、親の送迎を勧めたが、大人に頼ってしまうのは失礼だと思い、少女は断った。
『じゃあね、また明日ね』
そして彼女は友達の家を出た。
ポチャ
『――わっ、雨!? 勘弁してよ……』
急ぎ早に帰っていると、突然、一粒の水滴が少女の頬を掠めた。
そういえば今日の夜は雨が降るんだったと、この瞬間思い出した。
少女は頭に鞄を乗せ、走って家に帰る。
(急がないと、お母さんに怒られちゃうよ……)
時間が経つにつれ段々と、雨が激しさを増していった。
鞄も服もびしょ濡れだ。
『ここを通れば、確か近道だったはず』
目の前には二車線の広い道路が立ち塞がる。
少女は急いでいたので、横断歩道を渡らずに、道路を渡ろうと考えた。
(車の音もしないし、大丈夫だよね)
車が来ないことを確認すると、彼女は勢いよく道路に飛び出した。
『はあ、はあ、この道路、意外と広いんだよねっ』
少女が雨の中、二車線の広い道路を走った。走っているときだった。
ピカァッ
(ん? なにっ? 光?)
突然、横から一筋のライトが体を照らした。
少女がふと正面を向く。その視線の先には、
ブォオオオオオオッ!!
『え……? と、トラック……なんでっ』
猛スピードで走ってくる大型トラックがそこにいた。
実は、一つ前の交差点で左折したトラックが、こちらに迫ってきていたのだ。
雨の音でトラックの走行音が掻き消されてしまったため、認識することができなかった。
『あ……ああっ……』
トラックとは、走れば十分避けられる距離だった。
しかし少女は恐怖でその場から動けず、座り込んでしまった。
(おしまいだ……私)
そのとき初めて、幼いながらにして死を覚悟した。
ちゃんと横断歩道を渡ればよかったと、心の中で後悔した。
絶体絶命。まさにその瞬間、
目の前に人生を変える救世主が、突然現れた――。
『――うおおおおおおおっ!』
『えっ? 誰の声?』
どこかから声が聞こえてきた。
その声は自分の横、歩道の方向からだった。
少女は首をそちらに曲げ、声のする方を向いた。すると、
『あっ』
タッタッタッ!
そこには一人の中学のジャージを着ていた少年が、こちらに向かって全速力で走ってきていた。
『間に合えぇぇぇっ!』
少年が倒れ込みながら、手を限界まで伸ばす。
その少年の手が、少女の体に触れて、触れて、触れて。
ガシッ
触れた――。
*************************
「――は……?」
ホテルの扉を押し開けると、目の前に、広大な花園が地平線の先にまで広がっていた。
「な、なんでここに……」
ツルギはこの場所に見覚えがあった。
そう、飲食店街を探して、裏路地に入ったときだ。
そのとき、ここに迷い込んだ。
(どういうことだ? 前は裏路地で迷い込んだはず。どうしてホテルの前で……)
「考えても仕方ない。とりあえず戻るしか……」
「――ッ」
しかし振り返ると、そこにあったはずの扉が消えてなくなっていた。
「なんでっ、扉が」
これでは、自力でこの空間から出る方法がない。
前回来た時は、気づけば外に出られていたが今回はそのようにいくとは限らない。
「くそっ、どうすれば……!」
ツルギはこの状況に焦り、地団駄を踏んだ。
自らの意思で抜け出せるのか、それすらわからない。
しかし、
フワァッ
「あっ、この匂いは……」
風に乗せられて、花の匂いがツルギの鼻を優しく撫でた。
(この匂い、前にも嗅いだことがある。この匂いを嗅ぐと、なぜか懐かしい気分になる)
薔薇の匂いだろうか。足元にある花の中には、薔薇はない。どこかから、漂ってくるのだ。
(……やっぱりこの場所、なんだか落ち着くな)
ツルギはこの空間だからなのか、焦りが鎮まった。
まるで地団駄踏んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。
清々しい気分になったツルギは、腕を目一杯広げて、風を感じた。すると、
(……ん? なんだ、誰かくる)
何者かの気配がこちらに近づいてくるのがわかった。
そしてバッと、足音がする方向、後ろを振り向く。 そこにいたのは、
「――やっと、見つけたっ」
「……え? 誰、だ……?」
満面の笑みを浮かべた、一人の女性だった。
年齢は、おそらく二十代前半くらいだろうか。
絶世の美女だ。髪の毛は鮮やかなクリーム色で、服装は古代ギリシャを彷彿とさせるような、洗練された服を着ている。
そしてなんとも神々しい雰囲気を身に纏っていた。
まるで、女神のような……。
「あ、あなたは、誰なんですか?」
ツルギはその神々しさに圧倒され、思わず敬語になる。
「あっ……そうですか……」
その言葉に女性はなぜか、口をへの字に曲げ、悲しそうな反応を見せた。
そして何かを思いとどめたような顔をして、口を開いた。
「私はこの世界、イデラル・ワールドの女神です。あなたを、アサヒ・ツルギさんを、探していました」
「め、女神様!? でもなんで、俺なんかを探してたんですか……?」
ツルギは女神と聞いてとても驚いた。と同時に分からなかった。
何故女神という崇高な存在が、自分なんかを探していたのか。
「そ、そんなっ、『自分なんか』なんて言わないでください! あと、敬語を使うのも禁止ですっ!」
すると女神が顔を赤らめ、ツルギに指差しでそう言う。
「えっ、ああじゃあ、そうさせて、もらうよ……」
ツルギはそれに従うしかない。
「ふふん、それでいいんです」
そして女神は誇らしげな、満足そうな顔をする。
(……なんか、この顔、この表情、どこかで見た気がする。一体どこでだ……?)
ツルギは初対面のはずなのに、この絶世の美女をどこかでみた覚えがあった。
しかし、その場所、光景は思い出せない。
「私、ツルギさんに感謝してるんですよ。だから、お礼をしたくて探してたんです。あのときは本当にありがとうございました」
女神はツルギに深くお辞儀をした。
その言動に驚いたツルギは、思わず謙遜する。
「感謝してるって、俺、感謝されるようなことなんて、この世界に来てからやった覚えがないけどな……」
「そんなことありません! 私はあなたに、大いに救われました。これは紛れもない事実なんですっ」
「ええっ、そう……なのか……」
女神はまたもや誇らしげに鼻を高くした。しかし、
「でもそれは、ツルギさん自身は覚えてなくていいんです。私の心の中にしまっておくだけで、それでいいんです」
急に胸に手を当て、顔を曇らせた。
何故だろうか。とツルギは思うが、その理由は分からなかった。
「――あの、この空間は一体なんなんだ……?」
「ああっ、そういえば伝えていませんでしたね」
「この空間は、『女神の宮殿』と言う場所です。この空間は地上と切り離された別空間であり、実体がありません。それは私自身も同じです」
「なるほど……」
どうやらここの空間は、現世、つまりアレイシスやフォーティンスがいる場所とは別空間らしい。
そして実体がないということは、夢や幻覚に近いものなのだろう。
そして女神自身も肉体を持っていないとのこと。
「そして、この場所には私に認められた人しか入ることができません。だからツルギさんは、私に認められたんですっ。自信を持ってくださいね」
「ええっ、そうなのか。なんだか嬉しいような恥ずかしいような……」
この女神の話し方、かなりあざとい。
本当に女神なのか? とツルギは一瞬思った。
そのときだ。
「――では、そろそろ本題に入りましょうか」
「えっ……?」
突然、先ほどまで穏やかだった女神の顔が、人が変わったかのように真剣な表情になった。
「私がツルギさんをここに呼んだのは、お礼をしたかったのも事実なのですが、もう一つ、大きな理由があるのですよ」
「それってどういう……」
もう一つの理由、それは一体何なのか。
女神は話を続ける。その口から出てきた言葉は衝撃の事実だった。
「まず最初に申し上げますと、私はツルギさん達が計画していることを、存じ上げております」
「ええっ!? 計画って、世界を壊す計画のことですか? 何で知って……。まさかっ、敵側なんですか!?」
驚愕した。まさか女神が自分たちの計画を知ってるとは。
そしてツルギは、女神が、宿敵ニーハル側で自分を殺そうとしてるのではと疑い始めた。だが、
「勘違いしないでくださいっ、私があんな奴の味方をするなんて、あり得ないにも程がありますよっ!」
女神が決してそんなことはないと横に首を振り、必死に弁明する。
顔を見ると、今にも泣いてしまいそうな表情だったので、本心なんだなとツルギは思った。
「だから安心してください。私はいつだってあなたの味方ですから」
女神は優しい目つきでツルギを見つめた。それにツルギも安心したようだ。
「そうですか……なら安心です」
「ああっそういえばまた敬語! 敬語はダメって、さっき言ったじゃないですかっ」
すると女神が接近し、ツルギの頬をポンッと優しく叩いた。
いきなり顔を近づけられたため、ツルギは思わず顔を真っ赤にする。
「ああっそう……だったねっ。すっかり忘れてたよ」
「そう、そうだよ。素のままで、接してください」
しかしツルギはよくわからない。
何故女神はこんなに自分に親しげにしてくれるのか。
「では、話を戻しましょうか」
「あっ、うん」
女神が話を戻す。だが先ほどとは違い、少し表情が柔らかくなっていた。
「アルネブさんを筆頭にしたツルギさん一同の計画は、創造主でもあり、この世界一の悪党である『ニーハル』を打ち倒し、世界を壊す。そして人々を解放することで合ってますね」
「うん、その通りだけど」
「しかし、先日ある事件が起こってしまった……。
それについて、現時点でどのくらい知っているか教えてください」
「ああ、カナリアとクレア……俺の仲間が何者かに襲撃されたんだ。そして、カナリアは昏睡状態、クレアの方は多分そいつに攫われた。今はそれしかわかってない」
ツルギはこちらが知っていることを女神に事細かに話す。
「なるほど……それなら私がお伝えできることも多いと思います」
「本当!? よかった、女神様も俺らと同じことしか分かってなかったらどうしようかと思ったよ」
とりあえずツルギは安心した。これで収穫が全くなかった、とはならずに済む。
「では、現時点で判明している情報を、私の知る限りでお伝えいたしますね」
ツルギはこくりと頷き、真剣に話を聞く。
「まず、その二人を襲った人物についてですが、一人だけ、心当たりがあります」
「それは俺も。昨日案内所の奴に聞いたんだけど、金髪のタキシードを着た怪しい男が、人探しの目的で案内所に来たらしくて」
「その探してる人の名前が、カナリアとクレアだったんだ。だからそいつで多分確定だと思う」
これはエルメスから聞いた話だ。
一日目にツルギがあの場から逃げた後、二人を探している怪しい男が来たのだと言う。
「おおっ、さすが! まさにその通りです! やっぱりツルギさんはすごいですねっ」
女神がこれでもかという程に褒め称える。
どうやら女神の見解も、犯人はその金髪男で間違いないようだ。
「そういえば、女神様はなんでその男が犯人だってわかったんだ?」
「私は空の上から民衆の様子を常に見守っています。今はここにいるので、見ることはできませんが。ですから、お二方がその男に襲われたところも、目にしております」
言われてみれば確かにそうだ。
女神というのは、地球の世界でも民衆を手助けするような役割で信仰されてることが多い。
それはこの世界でも共通なのだろう。
「じ、じゃあ、その男の名前は? 一体、どんな奴なんだ?」
女神がこくりと頷き、口を開く。
その口から出てきたのはまさかの名前だった。
「その男の名は『スネイル・ランズ・ライドレア』。ニーハル直属の配下、七晶傑の一人です」
「――えっ……? ニーハル、直属……だって?」
とても驚いた。まさか、ラスボス直属の部下が直々に襲撃してきていたなんて。
それに伴い、これであの二人が負けた理由にもある程度説明がつく。
そして女神が、敵について、そしてそのとき何があったのか、彼女が見た全てを説明する。
「スネイル・ランズ・ライドレア。奴は自らを『閃光の遣い』と名乗っており、文字通り、光属性の魔法を使っていました」
光属性の魔法とは、電気を使ったものや、実際は物質として存在しない光線を、物質として空間に抽出するものなど、様々だ。
アレイシスが使っていた剣術もこの魔法を応用したものだ。
「それは具体的に、どんな技だった?」
女神がスネイルの技について、見た戦闘の状況も交えて説明する。
「まず奴は、私でも目で捉えられない速さでクレアさんとの距離を詰め、首を叩いて気絶させました。
おそらく、足が静電気を帯びていたので自らの足に電流を流して一時的に途轍もないスピードを生み出しているのでしょう」
クレアに使ったのは具体的な技ではなく、自分の足に電気を帯電させて、筋肉の痙攣で速さを大幅に上げているものらしい。
なんとも大胆な方法だとツルギは思った。
「一方のカナリアさんは、スネイルに攻撃を仕掛けましたが、指から濃密度の光線を放つ魔法、『スターリング・デスレイ』という技を食らい、腕を切断されてしまいました」
「腕を切断!? でもあいつの体には損傷はなかったはず……」
ツルギが治療室で見たカナリアは、腕を欠損していなかった。一体どういうことなのか。
その答えは女神は知っていた。
「カナリアさんが戦闘不能になり、スネイルはクレアさんを抱えて、立ち去ろうとしました。
しかし、クレアさんは僅かに意識を繋ぎ止めていたようで、連れて行かれる寸前にカナリアさんに治癒魔法を使いました」
「かなり高度な魔法でした。ですからカナリアさんは戦いによる損傷が全く残っていないのです」
「そういうことか……」
(クレアちゃん……。俺、頑張るよ)
クレアは少しでも、奴に勝てる可能性をカナリアに託したのだろうか。それはわからない。
しかしその託された運命は、自分たちが受け継ぐのだ。そうツルギは心に決めた。
「あとは、スネイルとやらの居場所か……。
女神様は何か知らない?」
後、ツルギが知りたいことはスネイルの居場所だ。そこにおそらくクレアもいる。だが、
「申し訳ありません。それに関しては、私も存じ上げておりませんでして」
「ええっ!? 女神様も、知らないのか?
でも女神様は確か、空から地上を見れるんじゃ……」
女神は地上の様子を監視できるはずだ。
何故知らないのか。その理由を話し出した。
「実は、私がスネイルを見たのは、その戦闘している場面のみなのですよ」
「――ッ。それって、どういうこと?」
「奴があの場から立ち去り、私は後を追いかけました。もちろん、敵の拠点を判明させるためです」
「しかし、奴はある途中で突然立ち止まり、自分の周囲に謎の霧をばら撒きました。そして、霧が晴れた時には、奴の姿はもう見えませんでした」
「まるで神隠しみたいだな……」
「ええ、私が推測するに、あれは闇属性の魔法一種だと思います」
闇属性の魔法とは、自分の身を隠したり、相手の視界を奪ったりなど、防御や攻撃にも使える万能な魔法だそう。
アルネブの基地のテレポート機能も、実はこれを利用している。
「なので、私はスネイルの居場所を判明させることが出来ませんでした。あわよくばニーハルの本拠地に辿り着ければよかったのですが……申し訳ありません」
女神が負い目を感じ、深々と頭を下げた。
「ちょっ、頭上げてって! 女神様は敵の情報をたくさん教えてくれたじゃないか。それだけで十分だよ」
「……確かに……そうでしたねっ。私、女神ですから、もっとちゃんとしてないとですよね!」
(よかったぁ、なんとかネガティブ思考にならずに済んだか)
ツルギはなんとか慰めることに成功した。
「――以上が私が現時点で教えられることの全てです。他に何か聞きたいことはありますか?」
女神がツルギに質問する。
「もうないよ。十分すぎるくらい教えてもらった。あとは俺たちでなんとかするさ」
「あっ……」
それを聞くと、女神はまたもや顔を曇らせ、悲しい顔を浮かべた。しかし、
「でも、もし俺らが行き詰まったり、立ち直れなかったりしたら、そのときは助けて欲しいんだ。いいかな」
「――ッ。はいっ、もちろん」
ツルギが続けた言葉によって、女神の顔は再び、太陽のように明るくなった。
すると、後ろから何かが出現する気配がした。
「あっ、ホテルの扉が」
「ツルギさんは、すごい人です。だから私が、もう大丈夫だと、そう判断しました」
どうやら女神が扉を出してくれたらしい。
これで元いたところに戻れる。
そしてツルギは再び女神の方を向く。
「ありがとう、女神様。本当に助かったよ」
ツルギは心からの感謝を込めて、深くお礼をした。
「はい、頑張ってください。私もずっと、見守っていますから」
女神が少し顔を赤らめながらはにかんだ。
笑顔に染まった表情を確認したツルギは、扉の方向に向かって、歩き出した。
「――じゃっ、またな。次会ったらそのときは、もっとたくさん話をしようぜ」
ツルギは女神に向かって、大きく手を振った。
(――これで、よかったのかな……)
そのとき、女神の脳内は、葛藤の色に染まっていた。
そして、ある日の思い出を思い浮かべる。
思い出すのは、いつだってあの時の光景だ――。
*************************
ブォオオオオオオオン!!
『――ッ!』
少女はその少年にがっちりと体を掴まれた。その少女は少年に身を預けるしかなかった。
『よし、掴んだっ! 目瞑ってろよ!』
少女は涙を溢しながら首を縦に振り、目を瞑った。
そして少年は、少女を抱えると、歩道と道路の間にある、わずかな隙間に身を捩った。
『おっりゃあ!』
ドサッ
ブォオオオオオオ……
二人はその場に転がり落ちた。
幸いにもトラックとの距離がある程度あったので、
避けることができた。
『はあ、はあ。大丈夫? 怪我はないか?』
『う、うん。お兄ちゃんこそっ、ボロボロだよ』
愛花は目に涙を浮かべながら、少年の身を案ずる。
『これくらい平気さ。そんなことより俺、守れたんだよな。君を、守ることができたんだよな』
その少年は自分が成し遂げたことを深く噛み締めているようだった。
『うん……うんっ、守ったんだよ……守れたんだよ……!』
少女は少年の言葉を肯定するように、涙した。
その言葉に少年も涙を禁じ得なかった。
『……俺、傘持ってるんだ。一緒に帰るか?』
『え? いいの?』
『ああ、もちろん。なんかちょっと、心配だからな』
少年はへへっと笑いながらそう言い放った。
『えへへ、ありがとう、お兄ちゃん』
そして少女はぎゅっと少年の手を握り、一緒の傘の中に入って、帰路についた――。
――
『――そういえばお兄ちゃん、名前は?』
『なあに、名乗るほどの者じゃないよ。そこら辺の中学校に通ってる、ただの情けない男さ』
『情けなくなんかないよ! 私を命をかけて守ってくれたんだから、お兄ちゃんは誰よりもすごいよっ』
『えっ、そうか。そう言ってくれると嬉しいな』
『えへへ……』
『■■■■■だ。俺の名前。覚えてくれるかい?』
『うん! 忘れないから! 絶対に!』
『あはは、そんなこと言われたの、生まれて初めてだなあ』
『えへっ、私、■■お兄ちゃんの初めてになれたの、ちょっと嬉しいかも』
『ちょっ、恥ずいこと言わないでくれよぉ……』
『じゃあ、君の名前は?』
『ああ、私ね。名前は『神ノ瀬愛花』って言うの』
『愛花ちゃんか。可愛いくて、ぴったりな名前だな』
『えっ、そんな……恥ずかしいよぉ……』
『あっ、顔が真っ赤だぞ?』
『――ッ! それは、お兄ちゃんも一緒でしょ?』
『あははっ、そうだったな。俺らって案外、似た者同士なのかもな』
『そうだね……なんだかとっても嬉しいかも』
その帰り道で話したのは、単なる自己紹介や、よくある世間話、学校での生活などの、ごくありふれた会話だ。
だが、少女にとってはその一つ一つの会話が、
かけがえのないものだった――。
――
『――あっ、君の家ってここであってるか?』
『そうだよ。ありがとうお兄ちゃん、着いてきてくれて』
『いいんだよ。このくらい大したことじゃないよ』
すると少年は腕時計を確認した。
もう時間は二十時をとっくに過ぎていた。
『やべっ、もうこんな時間だ! すまんな、俺もかなり濡れたから、急いで帰るわ』
そして少年は少女に手を振り、歩いてきた道を戻ろうとする。
『ま、待って!』
すると少女は焦った声で、少年を呼び止めた。
『ん? どうした?』
少女が顔を赤らめ、だが、勇気を持ったその顔で、どうしても聞きたかったことを話す。
『――またいつか、私と会ってくれますか?』
『あっ……』
少女は心配していた。
なんとも、その少年は中学三年生だったため、高校生になると、どこか遠くに行ってしまうのではないかと気に留めていたからだ。
その問いに、少年は、
『安心しろ。遠くに行くつもりなんか、一切ないよ。だって、地元から出るなんてちょっと怖いだろ』
微笑みを浮かべながら、そう結論づけた。
『……うん、そうだよね。ありがとう!』
少女は安心したのか、口角を上げ、満面の笑みを浮かべた。
『――最後に一つだけ、いい?』
『うん、いいよ。なんでも言ってみろ』
『――お兄ちゃんってさ、好きな人とかいるの?』
『――ッ』
少年はフッと笑うと、
『いないよ! 生まれた時から今日まで、誰からもモテたことなんてないさ!』
陽気な明るい声で、顔を真っ赤にしながらそう言った。
それに少女は、安堵した顔をした。顔は前よりも赤くなっていた。
『じゃあ、私、■■お兄ちゃんと結婚する!』
『――ええっ!?』
衝撃の言葉に少年は言葉を失った。
『結婚して、今日の恩返しとか、楽しいお話とか、いっぱいするのっ。そしてお兄ちゃんに幸せを、いっぱいあげるの!』
少女は未来を語る。元気な声でそう言った。
それに対して、少年は微笑み返した。
その答えは――、
『わかった! その言葉、覚えといてやる! だから君も、忘れるんじゃないぞ? 約束だ』
YESだった。
『――ッ! うんっ、忘れないっ! 絶対、約束守るからねっ!』
少女は感激して、大粒の涙をポロリと溢した。
そして少年は再びフッと笑い、彼もまた帰路につく。
『じゃ、またな! また会ったら次はもっと話そうぜ』
『うん! またねー! お兄ちゃーん!』
少女は大きく腕を振り、少年を見送った。
その背中は、まるで勇者のように逞しく見えた。
しかし、その少女がまたその少年と会うことはなかった。今この瞬間までは――。
*************************
(――あのとき、私は約束を破ってしまった)
(お兄ちゃんは、ずっと待っててくれてたのかな? 私を信じてくれてたのかな?)
(そう考えると、余計、胸が痛くて正体を伝えられなくなっちゃう)
(もっと、こうしていれば……)
女神は考え込んでいた。
自分の、本当の自分を伝えられなかった後悔。
自分がもっと役立っていたら、と思ってしまう後悔。
(……でも、また会えてよかったな。お礼をちゃんと言えて、よかったなぁ)
しかし、その逆もある。
また会えたということへの嬉しさ。
言い足りなかったお礼を言えたことへの嬉しさ。
たくさん話せたことへの嬉しさ。
「あっ」
そんな感情に浸っていると、ツルギがもうすでに扉に手をかけていた。
「待っ……。――ッ」
女神はその反動でツルギを止めようとした。だが、踏みとどまり、言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
そして自分の胸を叩き、言い聞かせる。
(ダメだよ、私。これじゃ、お兄ちゃんを信じてないのと一緒じゃないの)
女神には信念があった。
自分自身を肯定することと、絶対にツルギのことを信じることだ。
女神はツルギの歩みを止めはしなかった。
それは彼を、ツルギを信じているからだ。
そして女神は大きく息を吸った。
「ツルギさーん! 私、信じてますからー!
ずっと、ずっと愛していますからー!」
「――ッ」
その言葉が届いたのか、ツルギは動きを止めた。
そして扉の取っ手を離し、
バッ!
後ろを向きながら、腕を真っ直ぐ、勢いよく掲げた。
その手の形は親指を上げる、サムズアップだった。
「……うっ、ううっ」
それに女神は思わず目が潤んでしまう。
しかし、耐えた。少なくともツルギがいるときだけはこの姿は見せられない。
弱かった、あの時の自分とは違うのだ。
ガチャ
扉を開ける音がした。
彼はもう、こちらを振り向くことはなかった。
そのとき、足元に水滴が一粒ポロっと落ちた。
「――がんばれっ……! 剣斗お兄ちゃん……!」
その美女、いや一人の少女の目は、大粒の涙で溢れていた――。




